福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
篠井孝夫
旧名
野島孝夫
しのい・たかお のじま・たかお
岡山県教育長、倉敷市立短期大学学長
篠井孝夫 (出典1)


経 歴
生:明治43年(1910年)3月13日、広島県深安郡神辺町道上村(現福山市神辺町道上)2493生まれ
没:(不明)
昭和2年(1927年)3月31日 18歳 広島県立福山中学校(誠之館)卒業
東京高等師範学校卒業
昭和13年(1938年) 29歳 東京文理大学心理学科卒業
愛媛県宇和島中学校教諭
東京都で教員
昭和20年(1945年)1月 36歳 岡山県立玉野中学校教諭
岡山県林野高等学校校長
昭和32年(1957年) 48歳 岡山県教育委員会学事課長
岡山県教育委員会教育次長
昭和37年(1962年)4月 53歳 岡山県立天城高等学校校長(第12代)
昭和41年(1966年)4月 57歳 岡山県立操山高等学校校長
昭和43年(1968年)4月2日〜
 昭和46年(1971年)3月31日
59〜
62歳
岡山県教育長
福山予備校校長
倉敷市立短期大学学長
倉敷市立保育専門学院学長


「浪人生活三ヶ年」 昭和49年3月28日 篠井孝夫
昭和四十六年三月県教育長を辞して丁度三年になります。
その間若干会社とか、私立学校に顧問的な立場で関係して参りました。
その間に痛切に感じた事は自分ながら教員の上りは社会に役に立たないと云う事です。
その理由を考えて見ますと、教職員は金を使う事だけに専念して金を入れる事を考えた事が無いと云う事です。
予算の獲得とかPTAの会費の増収とかには若干心を配りましたが、それは微々たる事です。
一般企業は収入の事に大部分の勢力を使います。
私立学校もそれに近いところがあります。

学校の先生は収入を考える事には慣れていません。
そのうえに、収入の事に専念する事に若干の抵抗を感じます。
随って退職した教員の第二の人生は教育の仕事か、社会奉仕の仕事かをすべきでしょう。
またもう一つ私の頭から離れない事は教員には永年教育した教え子が居ると云う事です。

教え子の目から見ると先生は一つの偶像に近いものがあるでしょう。
それをこわしてはならないと云う事です。

そんな事を考えて三ヶ年遊んでくらして参りました。
将棋とテニスとビールが私の友でした。
もう一つの喜びは、永年窮屈な身分で、自由がなかったのに、現在は、云い度い事が何でも云える事です。
少々食べ物が少なくても、着る物が無くても、云いたい事が云える事位幸福な事は無いです。
外国では云いたい事が全然云えない体制のところがある様ですが、他に如何に恵まれた条件がありましても、その国のようになって貰いたくありません。

併し、不幸な事に、この四月から亦公務員になります。
しばらく亦、云いたい事を我慢しなくてはなりません。

家の中で、独り言でも、壁に向かって、大声で、しゃべっておきましょう。
   (出典2)


出典1:『輝く生命(bP)』、昭二会(昭和2年卒業福山誠之館同窓会)刊、昭和43年5月19日
出典2:『輝く生命(第5巻)』、昭二会(昭和2年卒業福山誠之館同窓会)刊、昭和49年5月19日
関連情報1:『山陽新聞・昭和43年3月29日』、山陽新聞社、昭和43年3月29日
2004年10月29日更新:経歴の一部・本文(山陽新聞記事)を追加●2005年1月21日更新●2006年3月2日更新:経歴・本文(深安郡→福山市)●2006年6月7日更新:タイトル●2007年9月21日更新:経歴・本文・出典●2012年3月8日更新:本文・出典・関連情報●