福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
浅野應輔 浅野応輔
あさの・おうすけ あさの・おうすけ
電気工学者、工学博士、
東京帝国大学教授、早稲田大学教授、
従三位勲二等瑞宝章
浅野應輔[浅野応輔](出典1)


経 歴
生:安政6年(1859年)3月8日、岡山県倉敷市茶屋町生まれ
没:昭和15年(1940年)9月23日、享年82歳、東京多摩墓地に葬る
文久2年(1862年) 4歳 父を亡くす
文久2年(1862年) 4歳 福山で医師をしている伯父・浅野玄岱の養子となる
明治初期 10歳
 前後
誠之館で修学
明治14年(1881年) 22歳 工部大学校電気工学科(現東京大学工学部)卒<第3期>
明治14年(1881年) 22歳 工部大学校教官
明治15年(1882年) 23歳 工部大学校助教授
明治20年(1887年) 28歳 東京電信学校長兼幹事
明治24年(1891年) 32歳 逓信省電務局電気試験所(現電子技術総合研究所)所長<初代>
明治26年(1893年)12月〜
 明治28年(1895年)
34〜
36歳
欧米各国へ派遣される
東京市区改正委員会の嘱託を受け、電気事業調査に従事
明治30年(1897年) 38歳 九州(大隅)・台湾間海底電信線<1400km>の工事設計および敷設竣工
?〜
 大正3年(1914年)11月30日
?〜
55歳
逓信技師
電気試験所所長
明治32年(1899年)〜
 大正3年(1914年)11月30日
40〜
55歳
東京帝国大学工科大学(現東京大学工学部)教授、工学博士
明治36年(1903年) 44歳 無線通信用水銀検波器を発明
明治43年1910年) 51歳 ドイツの星章付王冠二等勲章
早稲田大学理工科教授
大正2年(1913年)12月 54歳 勲二等瑞宝章
大正3年(1914年)12月28日 55歳 従三位
大正5年(1916年)9月 57歳 早稲田大学理工科科長
大正9年(1920年)4月〜
 大正10年(1921年)10月
61〜
62歳
早稲田大学理工学部学部長


生い立ちと学業、業績
岡山県倉敷市茶屋町において、医師大野意俊の三男として生まれる。
4歳の時に父を失い、伯父浅野玄岱の養子となる。

工部大学校卒業後、同年同大学校教官を経て、明治20年(1887年)東京電信学校長兼幹事となり、次いで帝国大学工科大学(現東京大学工学部)教授に嘱託された〈当時は帝大が一つしかなかったので「東京」はついてなかった〉。

明治24年(1891年)逓信省電務局電気試験所(現電子技術総合研究所)の初代所長に転じ、明治26年(1893年)12月欧米の電気事業調査のため欧米各国へ派遣せられ、その途中、近世の大事業である大西洋横断の海底電信線敷設事業に参加した。
明治28年(1895年)帰国し、その後、東京市区改正委員会の嘱託を受け、電気事業調査に従事し、電気事業取締規則を編成した。
続いて、大隅・台湾間(約1400km)の海底電信線の工事設計および敷設に尽力し、明治30年(1897年)竣工にこぎつけ、不朽の名声を博した。
次いで逓信技師に任じ、電気試験所所長となった。

明治36年(1903年)には、自ら発明した受信機で、長崎・台湾間の長距離通信にも成功した。
その後ヨーロッパで開かれた電気・電信関係の国際会議には、日本代表として出席した。
また、万国電気単本位国際会議学術委員、万国電気工芸委員会日本委員会長などを務め、特に海底電信の権威として国際的に活躍した。

一方、東京帝国大学工科大学(現東京大学工学部)教授に再任され、のち早稲田大学理工科教授にもなり、その後両大学の名誉教授となる。
明治32年(1899年)工学博士の学位を受ける。電気倶楽部、永楽倶楽部会員。

明治43年(1910年)無線電信に関する功績で、ドイツ皇帝から星章付王冠二等勲章を贈られ、国内では従三位勲二等に叙せられ、瑞宝章を受章した。
昭和15年(1940年)9月23日没、享年82歳。
東京都多摩墓地に眠る。

次兄は大蔵平三陸軍中将。
   石井和佳(昭和25年卒)
次兄の大蔵平三陸軍中将は、功により男爵となった。
明治期陸軍における騎兵隊生みの親と呼ばれた。

養父となった伯父の浅野玄岱は医師で、明治2年(1869年)に開設された福山同仁館病院においても活動している。
浅野の養子となって、應輔は4歳ごろに福山へ来て成長とともに誠之館に学んだが、その正確な時期や修業内容は残っていない。


浅野応輔には子がなく、阪田貞明の子阪田貞孝が昭和14年(1939年)5月に養子として入家した。
貞孝は昭和15年(1915年)5月に長男応孝
(まさたか)をもうけている。


誠之館所蔵品
管理 氏名 名称 制作/発行 日付
05557 工学博士浅野應輔先生伝記編纂会編 『工学博士浅野應輔先生傳』 工学博士浅野應輔先生伝記編纂会 昭和19年


出典1:『工学博士浅野應輔先生傳』、工学博士浅野應輔先生伝記編纂会編刊、昭和19年9月25日
出典2:『岡山県歴史人物事典』、山陽新聞社刊、平成6年
出典3:綴「誠之館時代の出身者」、広島県立福山中学校
出典4:『大正人名辞典U下巻』、日本図書センター刊、1992年
出典5:『福山学生会雑誌(第45号)』、63頁、福山学生会事務所編刊、大正4年4月15日
2005年4月18日更新:レイアウト●2006年5月31日更新:タイトル●2007年7月4日更新:経歴・本文・出典●2007年10月4日更新:経歴・本文●2008年7月17日更新:経歴●2009年8月13日更新:氏名・経歴●2010年1月4日更新:写真・経歴・本文・誠之館所蔵品・出典●