教積院
(住所) 岡山県笠岡市有田1777

(本尊) 聖観世音菩薩

(御詠歌)
 小田原の 峰ふき渡る 松風は
  南無観世音の 法のみ声よ  
( 見 所 )
 西国三十三観音石仏群
 板東観音霊場十三番(浅草寺)石仏[室町期]
( 由 来 )
元享三年、勢真和尚の開創によると寺歴にあり。
しかし当山は、南北朝時代、足利尊氏の臣下、陶山義隆の
建立によるとの言い伝えがある。
陶山義隆は、後醍醐天皇の笠置行在所を攻め、これを滅ぼしたと
太平記の中に記されている武将である。また、当山墓地には、
豊臣秀吉の高松城水攻めの時、毛利方の武将として活躍した
高田豊後守が、戦後その責めを負って当山において
自刃したとの説あり、高田豊後守の墓標が現存している。

尚、当山は、約三百年前に火災により堂宇全焼し約200m
東方に離れた現在地に再建されたが、昭和46年1月26日
再度全焼し、昭和49年11月檀信徒の発願協力により
総工費1億1千万円をもって再建し、現在に至る。

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