閑 古 錐 〈かんこすい〉


 閑古錐〈かんこすい〉、掛け軸などにもよく書かれている禅の言葉です。
 閑には、「ひま」とか「静かに落ち着いている」という意味があります。
錐は、大工道具の「きり」ですから、古錐とは、古くなって先の丸くなって
しまった「きり」のことです。したがって、閑古錐とは、先が丸くなって
使われなくなった「きり」のことを指します。買ってきたばかりの真新しいきりは、
先もするどく、容易に穴をうがつことができますが、反面よほど注意をして
使わないと、指先を傷つけることにもつながりかねません。ところが、
使い込まれて先の丸くなってしまったきりは、その胴も黒光りをし、何ともいえない
風格がそなわり、また人を傷つけることもありません。

 人間も、若くて意欲的な時には仕事もばりばりとできるかわりに、時には
利害のからんだ人を傷つけてしまうこともあるでしょう。真偽のほどは
分かりませんが、証券マンの世界では「人を一人殺さないと(自殺させないと)、
一人前ではない」と言われていたそうです。そんな若者も年と共に円熟味が増し、
穏やかな人柄と重厚な存在感をそなえるようになっていくことも多く見られます。
 司馬遼太郎に、『坂の上の雲』という長編小説があります。日露戦争を題材にした
小説ですが、司馬遼太郎はその中で、日本人の理想の大将像として、順境の時には
部下を信頼して任せきり、逆境になった時、はじめてその統率力を発揮するような、
そういう大きな人物を理想の大将像として描いています。西郷隆盛や大山巌が
これにあたるとしていますが、たしかに、西郷隆盛の茫洋としたイメージと、幕末の
薩摩藩を率いた指導力は大きな魅力です。尊敬をする人アンケートの常連と
なっているのもうなづけます。
 また、村の子供と手まりをついて遊んだ良寛さまは、江戸時代後期の曹洞宗の
僧侶ですが、今でもその詩歌に表現されている内面の深さや書の美しさが高く
評価されています。しかし、良寛さまが高く評価されるのはその死後で、
生きている間にはあまり注目されていませんでした。おそらく、詩歌や書の
上手な、気さくなお坊さんという受け止め方が多かったのではないでしょうか。

 禅には、悟後の修行ということがあります。文字通り、悟りを開いた後の修行の
重要性を説いているのです。悟りを開いたばかりの時には、悟りにとらわれ、
それが鼻の先にぶらさがっているから、悟りを開いたということ自体を超越
しなくてはならないと教えているのです。
 長年使い込まれて先が丸くなり、それでも、どっしりとした存在感のある、
この閑古錐に教えられることは多いのではないでしょうか。