生 き る
どなたでも、「生きてゆくことはつらいなぁー」と
思わずため息をつかれた御経験があると思います。
病気が長びいたり、お金のやりくりに困ったり、
家の中が不仲になって、ニラミ合ったりすると、
つくづく生きてゆくのがいやになります。
その上、わたしたちの生命は絶えず無常の風に
吹かれています。一家だんらんの行楽が交通事故で
たちまち悲しみのどん底に落とされたり、朝元気よく
出ていった父親が夕方には声なき姿で帰ってくるという
ニュースは、けっして他人事ではありません。
最近に家族を亡くした方などは、悲しみでいっぱいでしょう。
まことに、「生きてゆくのはつらい。無常を思うと悲しい」と
つぶやきたくなります。
しかし、ふり返ってみるとわれわれの先祖は、よくこんな
つらい世間、人生を生きぬいてきたものだと思います。
そうした例はいくらでも探せますが、四国八十八ヶ所霊場
中興の人ともいうべき花山天皇(かざんてんのう)などは
そのよい例でしょう。
まことに「生きてゆくことはつらい!!、無常を思うと悲しい!!」と
つぶやきたくなります。
このような特別の方でなくとも、いつの世にあっても、
お母さんたちは力いっぱい生きぬいて、子供たちに
「我が母に勝る(まさる)母あらめやも」と慕われて
きました。そして母としての一生をまとめて、去って
いきました。
そこで、この世がいかに苦難に満ち無常であっても、
「しかし人間は生きぬいてきた、人それぞれに足跡を残して」
という感動が湧いてまいります。
どうして我々人間は、こうした悲観すべき材料がいっぱい
ある此の人生を生きぬいてゆかなくてはいけないので
しょうか。何かそれだけの値打ちか理由があるはずです。
そこであらためて生命というものを考えてみると、
我々の好き嫌いをこえて生かしてくれる、偉大な不思議な
力があるように思われます。夏の盛りにピンクの花を咲かし
続ける百日紅(さるすべり)のように、人間誰しも一生
かかって咲かすべき、その人らしい、「いのちの花」が
あるように思われます。
生き甲斐を生み出す青年の夢、限りなき母の愛、
きよらかな人の良心、そんないろいろの力が待機している、
われの生命であることが感じられます。仏教の教えも、
曹洞宗の信仰もつまるところ、「この目覚め」と決意に
あるのだと申せましょう。共々に、仏陀の教えを慕うて、
雄々しく人生の旅路をゆきましょう。
(1999年 T.)
