「 迷 信 」に つ い て


  狐狸妖怪、日柄縁起、鬼門方位、人相家相、霊魂……、
私達のまわりには、いわゆる「迷信」といわれることが
たくさんあります。どこまでが本当で、どこまでが「まゆつば」
なのか、迷うことです。

  迷信には、さまざまのものがありますが、特に「死」つまり
「霊魂」に関するものには、種類も多く根深いものが多くあります。
  早稲田大学理工学部、大槻義彦教授は、『火の玉の謎』と
いう本の中で、火の玉の発光現象について詳細に検証されて
います。それによると、昔から云われているように、墓場などで
リンが燃えて「ひとだま」になるということはあり得ないことだ
そうです。大槻教授だけでなく、ヨーロッパ等でも火の玉の研究が
されているそうですが、プラズマ発光現象・振動する電圧・
自然界の放射線、この三つが「火の玉」の有力な原因と
考えられているそうです。(もっとも、これだけでは説明のつか
ない現象もあるそうですが)

  そうしてみると、霊魂としての「ひとだま」は存在しないの
でしょうか。臨死体験をまとめた本もいろいろありますが、
ある本によると、人が死ぬ瞬間の体重をはかると、
死の瞬間に数グラム体重が軽くなり、その数グラムが魂の
重さではないかと説いていました。

  余談になりますが、日本の場合、人が死ぬと、その魂は
どこにゆくとされているのでしょうか。
古来の民間信仰によると、人が死ぬと、その魂は高い山の
上にあがり、長い洞窟を通ってゆくと、そこには現世とは
左右・上下の逆さまの世界があり、そこで祖先の魂と共に
暮らすとされています。
また、神道には、高天原・黄泉の国という世界がありますし、
もちろん仏教にも、西方浄土、いわゆる極楽と地獄があります。
キリスト教の天国・地獄も入ってきていますし、死後の世界も
なかなか複雑で、よほどしっかりと道路標識を見てゆかないと
道に迷ってしまいそうです。

  話が遠くまでいってしまいました。もっと身近にみてみますと、
葬式・法要のしきたりもいろいろといわれています。
友引には葬式はしない。四十九の法事は三月越しをしては
いけない。うるう年にはお墓を建てない。墓石の猫足はいけない
等々、なんと多いことでしょう。
  友引には葬式はしない、ということは、「ともをひく」つまり
不幸がつづく、という語呂合わせですし、四十九の三月越しも、
「しじゅう苦が身につく」という語呂合わせ的なもののようです。
お墓の猫足台については、地震のときに、猫足台をつけていた
お墓がたくさん倒れてしまったので、石がすべりやすく倒れやすい
猫足はしない方がよい、ということから広まったようです。
うるう年にはお墓や仏壇をつくらないということは、昔ある藩で、
一年が十三ヶ月ある「うるう年」には、墓を建てたり仏壇を
つくったり、多くの経費のかかることはしないように、という
倹約令を出したのが始まりだそうです。

  このように、迷信の中には、合理的な理由のあったもの、
根も葉もないもの、実にさまざまです。だからといって、迷信と無視
してしまい、あとで何か悪いことがあったときに、あれがいけな
かったのだろうか、と気になるのも人間の心です。
宗教心・宗教習慣を伝えてゆくために有益なもの、霊魂への
恐怖をあおるもの、その効果もさまざまですが、いたずらに
迷信迷妄にとらわれるのではなく、それが私たちの人生に良い
方向に影響するように見きわめてゆかなくてはいけないでしょう。

  特に、それが高額の対価を要求するものであったなら、よほど
慎重に見きわめていただきたいものです。

「霊魂のたたり」ということもよく聞きますが、死者の魂が存在し、
私たちに影響を及ぼすものなら、お釈迦さまをはじめとした
仏さま、歴代の高僧の方々の御遺徳も存在するはずです。

あなたは、どちらに頼りますか。
正しい信仰に生きたいものです。
                                     ( S)