お釈迦さまのたとえ話


  お釈迦さま御在世中、四十年間の膨大な御説法の中、
たとえ話をまとめて作られた「比喩経」という経典があります。
その中に、こんな話しが載っています。

  インドに、Aさんという目の不自由な方がいました。
ある日、Aさんが友人のBさんを久しぶりに訪ねて、
つもる話に花を咲かせ、ふと気付くと外は真っ暗な夜になって
いました。あわてて帰ろうとするAさんに、
Bさんは、「夜道は危ないから」と提灯を持たせようとしました。
するとAさんが、真っ赤になって怒りだしました。
「目の不自由な私に提灯が要るわけがない。悪い冗談はよしてくれ。」
「でも、あなたには要らなくても相手の人がぶつかってくると危ない。
だから持って行きなさい。」
というBさんのその言葉にAさんは納得し、素直に提灯を持って
帰ったというお話しです。

  これは一体何を教えられているのでしょうか。
目の不自由なAさんには提灯が不要ですが、目の見える人には
必要なのです。
静かに考えてみると、この世の中で生きてゆくには、
たとえ自分には不要のものでも、相手には必要なものが
数多くあります。

私達は、時には相手の側に立って、必要・不必要を考えてみる
ことが大切なことではないでしょうか。
それは品物だけではなく、たとえば笑顔です。病で寝ている人は、
とても笑顔をする心理状態にはないでしょう。
そして、病人自身に笑顔は必要でないかもしれません。
しかし、その病人を看護する家族の者や、見舞ってくれる友人には
笑顔が必要なのです。
病人が笑顔をしてくれれば、まわりの人たちはどんなに
救われるか、計り知れぬものがあります。
また病人が笑顔を浮かべるべく努力していると、その微笑みが
自分の心を引き立ててくれて、相手のための笑顔が自分のために
なることもあります。

  現代人はお互いに、俺が、俺が、と自我一辺倒で、相手の
立場に立って考えるということを忘れているようです。
その結果、政治も教育も道徳も救いようのない腐敗、混迷、
堕落を招き、いつどこから拳銃の弾が飛んでくるか分からない
ような、おぞましい社会が浮上してきています。
このような今日、約二千五百年昔にお釈迦さまが諭された、
目の不自由な人と提灯のお話しは、二千五百年という
気の遠くなるような永い時間と空間をとびこして、私達に
大きな警鐘を鳴らして下さっているような気がします。
                                 ( T.)