深草興聖寺における道元禅師の教団は順調に発展していきましたが、比叡山からの圧迫は続き、 また、体制の側に受け入れられることはありません でした。 寛元元年(1243)、道元禅師は波多野義重 (はたのよししげ)の招きに応じて、越前志比庄 (しいのしょう)に移ることになりました。 道元禅師、44歳の時のことでした。 |
寛元2年(1244)波多野喜重の寄進による修行道場が完成。はじめは大仏寺と名づけられましたが、のちに 永平寺と改められました。 これが今日の大本山永平寺です。 ![]() |
深山幽谷の地、永平寺に入った道元禅師は、修行道場の規定や諸行事の 制定などを行い、以前にもまして弟子達の 指導に心血をそそぎました。それはまさしく、 恩師如浄禅師の言葉を実践してゆこうとする ものでした。 |
![]() 宝治元年(1247)、波多野義重から書状が届き、 幕府の所在地、鎌倉へと招かれました。 鎌倉では、時の執権、北条時頼と対面し道元禅の 真髄を説きましたが、当時の鎌倉武士達の信仰も 加持祈祷や密教がほとんどであり、道元禅師が 目指した禅による教化は、ここでも理解されることは ありませんでした。 (道元禅師、48歳) |
![]()