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道元禅師は、鎌倉時代の初頭、正治2年(1200)![]() 1月2日、京都の宇治でお生まれになりました。 幼少時の名前は、文殊丸(もんじゅまる)。 父は、天皇家の流れをくむ名門貴族、内大臣 久我通親(こがみちちか)。母は、藤原基房 (ふじわらもとふさ)の娘、伊子(いし) 。 ![]() 16歳で木曾義仲の側室となりましたが、義仲の死後は、 久我通親のもとへ側室として入るという、時代の荒波に 翻弄された女性でした。 ![]() |
![]() 名門貴族の家に生まれ、また幼くしてその才能のきらめきを あらわした、幼い道元禅師ではありましたが、わずか8歳の時、 最愛の母、伊子に死別することになります。 この時、亡き母にたむける香の煙が立ち上るのを見て、 世の無常を感じ出家を決意されたとされています。 ![]() |
![]() 4歳にして漢詩を、7歳の時に『春秋左氏伝』、9歳で 『倶舎論(くしゃろん)』を読んだといわれる道元禅師は、 母の死後、次第に仏教に惹かれる思いを増し、 13歳の時、とうとう母方の叔父、三井寺の良観法眼を 頼って、比叡山横川(よかわ)の 首楞厳院(しゅりょうごんいん)に入りました。 ![]() |