昭和46年4月、青雲の志を いだいて(?)上京。早稲田 大学法学部に入学する。 しかしながら、法律の勉強と いうのは、生来ファジーな 愚僧にはむかんようじゃった。 そういえば、この頃、 「青春の蹉跌(サテツ)」と いう本があったな。 |
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大学では、民法研究会に所属。 大学生活の基盤となった。 (写真;民研ゼミ風景・・・愚僧は どれかって?・・・愚僧は、 写真係じゃ、呵々) |
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だが、”民法の勉強”よりも、 ”社会勉強”の方が好きだった ようじゃ。 この頃、タクローの全盛期。 TVでもタクローの歌で、 ♪天然色写真を写してみんさい ・・・♪というCMがはやっていた。 というわけで、愚僧の写真も 天然色になった。 中央・上が、愚僧じゃ。 この頃は、ロンゲだったのじゃよ! |
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大学1年の秋、祖母が死去し、 大学4年の初夏、祖父が遷化 した・・・。 |
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そうこうするうちに、4年間は あっという間にたってしもうた。 4年生の卒業試験の時、 試験問題のヤマカンを、単勝で 約8割的中させるという偉業を なしとげ、卒業した! 2年になる頃、お寺を継ぐことに 決めたので、社会勉強の時期、 と位置づけておった。 まぁ、はやいはなし、 アルバイトをしたり、旅行を したり、青春をエンジョイして おった。 |
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昭和50年4月、駒沢大学仏教 学部3年に編入学した。 これは3年の時の時間割じゃ。 ここでは、右の通りの授業に まじめに出席。 2年で卒業した。 |
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みどりの黒髪をバッサリ落とし、 昭和52年3月15日、 大本山総持寺の門をたたく。 いわば、愚僧への一歩を踏み出 したわけじゃ。 |
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「雲水の章」へつづく |