記 念 講 演 会

演題
「守ろう地球 めざそう宇宙」

講師

宇宙航空研究開発機構 主任研究員 

菊山(きくやま) 紀彦(としひこ) 先生

★★★悲劇を乗り越えて宇宙をめざす.★★★
 みなさん、こんにちは。ご紹介をいただきました菊山です。

 福山ローズスター分団結団式おめでとうございます。

 さて、今、ここに7人の宇宙飛行士が映っておりますが、
【写真−1】
スペースシャトル「コロンビア号」の宇宙飛行士
/提供 NASA
この方たちというのは、
この2月に、スペースシャトルコロンビアの事故でお亡くなりになった
7人の方なのです。
今日、この講演を始めるにあたって、
この方たちのために黙祷を捧げたいと思いますので、お立ちください。

 黙祷します。(1分間の黙祷)

 ありがとうございました。ご着席ください。

 この7人の中にわたくしの知り合いの宇宙飛行士が二人いました。
中央のチャウラさんと、その左隣のローレル・クラークさんです。
この事故で、知り合いの宇宙飛行士が二人亡くなって、
大変悲しい思いがしています。

 この事故のあと、
コロンビア号の破片をアメリカ全土にわたって探すという作業が行われました。
アメリカ中で、何万人というボランティアの人たちがこの作業に加わって、
森や林や沼地、また湖にも潜って探しました。
この水たまりの下には、
スペースシャトルのエンジンの破片が埋まっていました。
掘り出されたり、拾い集められた破片は
一カ所に集められて原因の調査がおこなわれました。
その結果、スペースシャトルの外側に茶色く見える断熱材、
これは発泡ポリスチロールのようなものなのですが、
それがおおよそ幼稚園の子供ひとり分ぐらいが剥がれ落ちて、
それがスペースシャトルの翼に当たったのが
事故の原因ではないかということが分かって来ました。
いまは、それの対策をたてて、
できれば来年、秋頃にはスペースシャトルの運行を
再開したいと考えているところです。

★★★月を歩いた人たち★★★
 今年はライト兄弟が初めて空を飛んでから100年目に当たります。
1903年、ライト兄弟はこんな飛行機で、
文字通りヨタヨタッと空を飛んだのですが、
それからわずか66年経ったら、
人間はもう月を歩いていました。

 アメリカのワシントンに、スミソニアンという博物館があります。
ここにライト兄弟が初飛行した「フライヤー号」と、
アポロ11号の宇宙船「コロンビア号」が並んで展示されています。

 その人間を月に運んでいったロケット、
サターン5型というロケットなのですが、
ものすごく大きいのです。
エンジンが1段目に5個付いているのですが、
そのエンジンひとつだけでも、
ちょっとした3階建ての家ほどあるという
超大きなロケットです。
そして、そのロケットに乗って、
人類初の月着陸を目指した3人の宇宙飛行士が、
アポロ11号の船長のアームストロングさん、
コリンズさん、オルドリンさんです。
【写真−2】
アポロ11号の宇宙飛行士、
左より、アームストロング船長、コリンズ宇宙飛行士、オルドリン宇宙飛行士
/提供 NASA

両側のアームストロング船長と
オルドリン宇宙飛行士の2人が
アポロ11号で、人類初の月着陸に挑んだわけです。
さっきロケットは横に置いてありましたが、
立てるとまた、ものすごい大きさです。
高さが110メートル、
ビルにすると40階建てという大きなロケットです。
すぐ横にあるマイクロバスが、
まるでおもちゃのように見えます。
すべての準備が整って、
1969年7月16日、今からちょうど34年前、
3人の宇宙飛行士はそのロケットに乗り込んで、
いよいよ月に向かって出発します。
40階建てのビルほどもあるロケットが
火を噴いて飛び上がるわけですから、
ものすごい迫力です。
ではさっきの3人はどこに乗っていたのか。
ちょうど、そのビルの40階に相当する
ここのところに乗っていました。
ロケットは、ものすごく大きいのですが、
その40階の部分にくっついている宇宙船は
逆に、ものすごく小さいのです。
タクシーの室内ぐらいしかありません。
ですから、そこに3人の宇宙飛行士が乗り込みますと
もういっぱいになってしまいます。
このようにして3人の宇宙飛行士は、
およそ12日間かけて月へ往復しました。

 月に行くときのロケット、
中央の円錐形の宇宙船に
3人の宇宙飛行士が乗っています。
その宇宙船の鼻先に
奇妙な物がくっ付いています。
月着陸船と呼ばれる、
月に降りるときときだけに使う乗り物です。
月のすぐそばに来たので、
月着陸船にアームストロング船長と
オルドリン宇宙飛行士の2人が乗り組んで、
これから月を目指して降りて行きます。

 月着陸船の中に2人の宇宙飛行士が乗っています。
アポロ11号に続いて、
2度目に月着陸したアポロ12号の
船長のコンラッドさんとビーンさんです。

 先日、そのアポロ12号で月に降りた
コンラッド船長と対談する機会がありました。
月に降りて、歩いてきた人と話をするのですから、
もう、話が弾んで、弾んで、
あれも聞きたい、これも聞きたい、
とうとう時間が足りなくなって、
晩ご飯も一緒に食べながら、
いろいろな話を伺いました。
そのなかで、ぜひみなさんにお伝えしたいことがあります。

 コンラッドさんとビーンさんの2人が乗った
月着陸船が月面へ降りて行きます。
コンラッドさんは
「菊山さん、月は砂と石だけで、ほかは何にもありません」
とおっしゃいました。
砂と石だけでほかは何もない世界。
まったく生命のない死の世界。
そしてコンラッドさんはさらにこう言いました。
「菊山さん、月では風が吹きません」。
月では風が吹かないということは想像はつきますが、
地球では砂漠に行っても風が吹きますから、
わたしたちは風の吹かない世界というのを
体験することはできません。
ですから、わたくしはコンラッドさんが
そう言われたのを聞いたとき、
ああこの人は、
砂と石だけでできていて、
生命が何もなくて、風も吹かない、
そんな世界を自分の足で歩いてきた人なのだなと、
そう思ったのです。
そして、2人の宇宙飛行士を乗せた月着陸船が、
生命の全くない、風も吹かない月の上に降りていったとき、
突然、月の向こうから地球が昇ってきました。
【写真−3】
月の向こうから昇る地球
/提供 NASA


 地球に暮らしているわたしたちには、
この景色は、決して見ることができません。
ですから、この景色を見たのは人類のなかで、
月に行った24人の宇宙飛行士だけです。
その彼らが飛んでいたすぐ目の下の世界は、
まったく生命のない世界、
その上を飛んでいるとき、
その向こうからひょいっと上ってきたきれいな星、
そこには海が見えました。
雲が見えました。森が見えました。
「うわー、地球って、なんてすばらしい星なんだ」と、
宇宙飛行士は大感激をしたのです。

 そしてついに、1969年7月20日、
人類は最初の1歩の足跡を月に印しました。
月に降りた宇宙飛行士は、
まずアメリカの国旗を立てました。
そしてその様子がなんと、
わたしたちの茶の間のテレビに、
月から生中継で送られてきたのです。
わたくしはそのとき、ちょうど就職して2年目でしたが、
テレビにかじりついて、
「うわー、今、月で2人の宇宙飛行士が働いているのだ」と、
もう興奮しまくって、
テレビにかじりつくようにして見ていたのを、
今でもよく憶えています。
その2人の宇宙飛行士を映したカメラがこれ、
ここで2人の宇宙飛行士が働いていたのを、
このカメラが撮って、地球へ、
しかもわたしたちのうちの茶の間のテレビへ、
生中継で送ってくれたのです。
月は風の吹かない世界ですから、
そこで旗を普通に立てると、
旗はベロンと垂れ下がってしまいます。
そこで、旗がきれいに広がって、
テレビ写りがいいように、
旗の上には、横棒を入れて
旗がきれいに四角く広がるような工夫も
なされていました。

 月にオルドリン宇宙飛行士が立っています。
【写真−4】
月面に立つオルドリン宇宙飛行士
/提供 NASA

このオルドリン宇宙飛行士の写真を撮った人はといいますと、
当然のことながら、
もうひとり一緒に降りたアームストロング船長が
この写真を撮ったのですが、
実は、この写真の中に
その写真を撮ったアームストロング船長も、
ちゃんと映っているのです。
オルドリンさんのヘルメットのちょうど真ん中、
ここにこの写真を撮ったアームストロング船長も映っています。
先頃、わたくしはそのオルドリン宇宙飛行士にお目にかかりました。
月に降りたとき、オルドリンさんは39歳、
お目にかかったときは、もう68歳におなりでしたが、
とてもお元気で、
宇宙開発の仕事をずっとお続けになっていらっしゃいます。

 月には、合計6回着陸に成功して、
1回着陸するごとに、2人ずつ月の上を歩きますから、
合計12人の宇宙飛行士が月を歩きました。
あとのほうに降りた6人の宇宙飛行士は、
ジープのような乗り物で月を探検しました。
そのジープから、
自分たちが乗って降りてきた月着陸船を見たところです。
砂と石だけの世界、生命の全くない世界の真ん中に、
地球からやってきた月着陸船がぽつんと座っている。
そしてここを見てください。
空が真っ暗です。
真っ昼間で日が照っているのに、空が真っ暗。
わたしたちが見慣れている澄みわたった青空というのは、
風が吹く世界だけにあるのです。
ですから、風の吹かない月の世界では青空はありません。
砂と石だけで、風が吹かず、真っ昼間でも空は真っ暗、
そんな世界を2人の宇宙飛行士は、
ジープに乗って探検していました。

 この2人の宇宙飛行士、サーナンさんとシュミットさんですが、
この2人は一番最後のアポロ、アポロ17号で月を探検しました。
船長のサーナンさんが、月に行く訓練をしているところに、
奥さんのバーバラさんとお嬢ちゃんのトレーシーちゃん、
このときトレーシーちゃんは9歳でしたが、
見学に来ました。
ではちょっと一休みしようねということで、
サーナン船長はお嬢ちゃんのトレーシーちゃんをだっこしています。
月に行ってから、もうひとりの宇宙飛行士シュミットさんが、
ジープに乗って、砂と石だけで、昼間でも空は真っ暗、
そんな世界を探検していました。
そこに大きな岩がありました。
この岩を見た船長のサーナンさん、
「おっ、これは立派な岩だ。そうだ、この岩に娘の名前をつけてしまおう。」
ということで、この岩に「トレーシーの岩」と名前をつけました。
その「トレーシーの岩」の横にジープを止めたシュミット宇宙飛行士が
岩のまわりを調べているとき、
何気なくシュミット宇宙飛行士がひょいっと上を見上げたのです。
岩の向こうに地球が見えました。
砂と石だけの世界、そこを探検しているとき、
ひょいっと上を見たら、向こうに地球が見えた。
「うわーっ、地球って、なんてすばらしい星なのだ。」
シュミット宇宙飛行士も大感激しました。

 月に行った宇宙飛行士は、
お土産に月の石を拾って帰ってきました。
じつはわたくしは、月の石に触ったことがあります。
さきほどお話しした、
スミソニアン博物館に月の石が展示してあり、
そこに「どうぞご自由におさわりください」と書いてありました。
もう、すぐ触りました。
触っているこの指先から、
「ああ、今、月のかけらにさわっているのだな。」と、
とっても不思議な気持ちが伝わってきました。

 月から帰ってきた宇宙船は、
3人の宇宙飛行士を乗せたまま、
南太平洋へ、パラシュートで着水します。
そのそばに航空母艦が待っていて、
そこからヘリコプターが飛んできて
宇宙飛行士を拾い上げてくれます。
宇宙船も航空母艦に拾われて帰って来て今は、
博物館に飾られているのですが、
宇宙船の底のところをご覧ください。
真っ黒焦げでボロボロになっています。
宇宙から地球へ帰ってくる最後の瞬間が大変なのです。
「大気圏再突入」と言います、
宇宙船は地球の空気の中へ、
マッハ25、これはジャンボジェットの30倍という、
途方もないスピードで、そんなすごいスピードで、
宇宙船が地球の空気の中へ突っ込んでくるものですから、
宇宙船と空気がこすれて、
ものすごい熱、2000度ぐらいの熱になるので、
そのために、帰ってきた宇宙船の底は
真っ黒焦げでボロボロです。


★★★活躍する日本人宇宙飛行士★★★
 現在はでは、月に行ったときに使われた、
あの40階建てのビルほどあるというロケットはもう使われていません。
現在使われているのは、スペースシャトルです。
しかもスペースシャトルは、
太平洋へ着水するのではなく、飛行場へスーッと着陸します。
その仕組みは、
スペースシャトルのお腹の部分の黒いところに秘密があります。
これは「耐熱タイル」と呼ばれる物で、
1枚1枚の大きさは、
みなさんが普段召し上がる食パン1枚ぐらいの大きさです。
そして、これは熱に非常に強く、2000度の熱にも耐える。
しかも軽い。
持ってみると、比重は食パンの半分ぐらいの感じです。
そして丈夫なのです。
そういう、熱にとても強くて、とても軽くて丈夫な物、
耐熱タイルというものが発明されたおかげで、
スペースシャトルが空を飛べるようになったのです。

 そのスペースシャトルに、
日本人として初めて乗って、宇宙に行った人が毛利衛さんです。
【写真−5】
スペースシャトルから宇宙授業をする毛利さん
/提供 NASA、JAXA

1969年9月12日、もう11年前のことです。
毛利さんは小学生のために宇宙から「宇宙授業」をして、
「ニュートンは、リンゴが落ちるのを見てを発見しましたが、
ほら、宇宙ではリンゴは落ちないんですよ」
と楽しく語ってくれました。

 それから8年後、2000年2月に、
毛利さんはスペースシャトルで2度目の宇宙飛行をしました。
宇宙で仲間の宇宙飛行士と一緒に記念写真を撮ったのですが、
毛利さんと一緒に行ったカバンディー宇宙飛行士が
すごい髪の毛をしています。
ブワーッと逆立っています。
こんな髪の人に街で出会ったら、びっくりしてしまいます。
宇宙ではおもしろいことが起こります。
それは物が落ちないで浮かぶことです。
女性で長く髪の毛を伸ばしている方の場合、
髪の毛がバァーと広がってしまいます。
宇宙で仕事中にそんなになったら
仕事に差し支えてしまいますから、
カバンディーさん、宇宙で仕事をするときには
髪を丸めてピンで留めています。
先日、カバンディーさんに会いました。
地球でお会いしたら、
長い栗色の髪を肩まで垂らしたとても素敵な方です。
「カバンディーさん、あなたが宇宙で記念写真を撮ったときの、
あの髪の毛をブワーッとさせた写真、おもしろいですね。」
と言いましたら、
「そうでしょう。
あれはね、地球のこどもたちをびっくりさせようと思って、
わざとやったのよ。」
とおっしゃっていました。
そのあと毛利さんに会ったので、
「毛利さん、カバンディーさんが
宇宙で髪の毛をブワーッと逆立てて撮った記念写真、
こどもたちに人気あったの。」
と聞いたら
「ああ、あれね。バカ受けしましたよ。
でもね、あのときね、ちょっと困ったことがあったのですよ。
スペースシャトルのなかで、
抜け毛がいつまでも浮いたままでいて困りました。」
と毛利さんは言っていました。

 向井さんも2度宇宙に行きました。
一回目は1994年、その4年後、1998年に向井さんは2度目の宇宙飛行をしました。
そのとき向井さんと一緒に、
ジョン・グレンさんという77歳の、お孫さんもいる、
おじいさんの宇宙飛行士が宇宙飛行をしました。
ジョン・グレンさんは、
アメリカで最初に選ばれた7人の宇宙飛行士のひとりです。
ジョン・グレンさんは1962年、
とっても小さな1人乗りの宇宙船
「フレンドシップセブン」に乗って宇宙に行き、
地球を3周しました。
その「フレンドシップセブン」を見たときに、
こんな中に人間が入れるのかと、
信じられないほどの小さな宇宙船でしたが、
ジョン・グレンさんはそれに乗って地球を3周したのです。

 それから36年ぶりに、
ジョン・グレンさんはスペースシャトルに乗って、
2度目の宇宙飛行を向井千秋さんと一緒にしました。
スペースシャトルの中で、
ジョン・グレンさん、水をフワーッと浮かべて、
玉にして遊んでいます。
水は宇宙では玉になってフワーッと浮かびます。

 向井さんは宇宙で、
スペースシャトルの中で
100以上の実験を次から、次からこなさなくてはいけないという
ハードなスケジュールだったのですが、
その合間に彼女は
「宙返りなんどもできる無重力」
と短歌の上の句を詠みました。
【写真−6】
スペースシャトルの中で短歌を詠む向井さん
/提供 NASA、JAXA

「さあみなさん、下の句を応募してください」と、
宇宙からお願いしましたら、
なんと日本中から14万5千もの応募のお葉書を頂きました。
その中で小学校5年生のお嬢ちゃんの句、
「宙返り何度もできる無重力 水のまりつきできたらいいな」
が最優秀に選ばれ、
小渕さんから総理大臣賞を受けました。
ジョン・グレンさんがフワーッと浮かべて遊んでいた水玉を、
まりに見立てて詠んだ句でした。
向井さんが帰ってきて会った時に、
「向井さん、ジョン・グレンさんてどんな人でしたか。」と尋ねました。
向井さんは
「ジョン・グレンさんは本当に元気がよかったですよ。」
と言っていました。
ジョン・グレンさんがスペースシャトルの中で自転車をこいでいます。
なぜ宇宙に行って自転車をこぐのか。
宇宙でフワーッと浮いた状態で何日も暮らしていると、
骨がもろくなる、筋肉が弱くなる、心臓が弱くなるなど、
身体が弱ってきます。
そこで宇宙飛行士は、身体が弱るのを少しでも防ぐために、
1日最低30分の運動をすることになっていた、
それでこうやって自転車をこいでいるのです。

 若田光一宇宙飛行士も2度宇宙に行きました。
2度目に行った時のことは後で、
国際宇宙ステーションの組み立てのところで詳しくお話します。
若田さんがスペースシャトルの中でポロシャツを着て働いています。
国際宇宙ステーションやスペースシャトルの室内には
空気が入っていますので、
この会場と同じように、ポロシャツで暮らせるます。
でも、スペースシャトルの外へポロシャツで出たらすぐ死にます。
スペースシャトルの外へ出るときは、
宇宙服という特別な服を着て出ます。
宇宙服を着てスペースシャトルの外へ出て働く、
このことを「宇宙遊泳」と言います。

 土井隆雄宇宙飛行士は、日本人で初めて、宇宙遊泳をしました。
【写真−7】
宇宙遊泳で人工衛星「スパルタン」を回収する
スコット宇宙飛行士(左)、
と土井隆雄宇宙飛行士(右)
/提供 NASA、JAXA

右が土井さん、左がスコットさんで、
2人で力を合わせて宇宙を飛んでいるスパルタンという人工衛星、
これは大きさと重さが、
だいたい軽自動車1台分ぐらいあるのですが、
それを素手で捕まえました。
それから3日後、
今度は土井さんとスコットさんが、
2人で力を合わせて、
国際宇宙ステーションを組み立てるときに使う
特殊な工具のテストにも成功しました。
土井さんもスコットさんも
宇宙でフワーッと浮かんで仕事をしています。
でも2人とも、地球ではフワーッと浮かぶことができません。
では、こういう宇宙遊泳の訓練を
宇宙に行く前にやるにはどするのか。
実は、宇宙遊泳の訓練はプールの水の中でやります。
そのための大きなプールが、
日本では筑波宇宙センターにありますし、
アメリカではジョンソン宇宙センターにあります。
ジョンソン宇宙センターのプールに
土井さんとスコットさんが宇宙服を着て潜ります。
土井さんの宇宙服の足首に鉛の錘が付いています。
この鉛の重りを上手に調節して、
プールの中の宇宙飛行士が浮きも沈みもしないように、
この鉛の重りを調節します。
そうすると、いかにも宇宙に行ってフワーッと浮かんでいるような、
そんな感覚が得られるのです。
こうやってプールの水の中で、
何ヶ月も、何ヶ月も訓練をしてから、
宇宙で本番の宇宙遊泳をするのです。

 土井さんが帰ってきて会ったとき、
「土井さん、宇宙はどうでした。」
と聞きました。
土井さんの答えはちょっと意外でした。
「いやー、菊山さん、地球はいいね。風が吹くんですね。」
と言いました。
普段わたしたちは、あまりそんなことを言いませんよね。
「いやー、台風来て、びゅんびゅん風が吹いて楽しいね。」
とか
「こんな土砂降りは本当にうれしいよね。」
などと言ったら、
友達がいなくなってしまいます。
でも、風も吹かない、雨も降らない宇宙に行ってき土井さんは、
「ああ、地球っていいな、風が吹くのだな。」
と思ったのですね。


★★★建造が進む国際宇宙ステーション★★★
 今、わたしたちの頭の上を「国際宇宙ステーション」が飛んでいます。
高度400キロメートルの軌道を、
1日に、地球を16周して飛んでいます。
そして、この国際宇宙ステーションに2人の宇宙飛行士が滞在しています。
いま滞在しているのは2人は10月から滞在を始めましたが、
スペースシャトルの事故が起こるまでは3人が滞在していました。

 国際宇宙ステーションは全部出来上がると、
サッカーのプレーグラウンドに一杯になるほど大きな施設です。
現在飛んでいるのは4つの部屋ですが、
完成すると9部屋になります。
その9部屋の1部屋は「きぼう」と名付けられた日本の部屋です。
「きぼう」はもうすっかり出来上がっていて、
すでにアメリカに運ばれて、最後の調整をしています。
「きぼう」の室内の様子です。
わたしたちの家には押入があります。
押入が天井に付いている家はありません。
そんなことをすると布団がドサッと落ちてしまいます。
でも、国際宇宙ステーションの場合は、
物が落ちませんので、物入れは天井に付けてあります。

 国際宇宙ステーションの組み立てが宇宙で始まったのは、
1998年、5年前のことです。
【写真−8】
国際宇宙ステーションの宇宙での組み立て
/提供 NASA

上側が1つ目の部屋、下側が2つ目の部屋、
これを2人の宇宙飛行士、
ロスさんとニューマンさんが宇宙服を着て、
宇宙遊泳をしながら宇宙で結合しているところです。
それに続いて、3つ目の部屋が宇宙に運ばれました。
3つ目の部屋は、ホテルのような部屋で、
その中で寝たり、食事をしたり、トイレを使ったりできます。

 この3つ目の部屋が打ち上げられた後に、
いよいよ若田さんたちの出番がやってきました。
若田さんと船長のダフィーさん、
そしてパイロットは小柄な女性のメルロイさんという方ですが、
腕前は超一流です。
彼らは国際宇宙ステーションに、
姿勢制御の機能を持った「Zトラス」という装置を取り付けに行ったのです。
これは、大きさはちょうど8畳の座敷で、
2階建てぐらいの大きさです。
この「Zトラス」が国際宇宙ステーションに取り付けられると、
国際宇宙ステーションは正しい姿勢を保ったまま
飛ぶことができるのようになります。

 若田さんたちが乗ったスペースシャトルが、
国際宇宙ステーションに近寄ってきました。
すぐそばまで来て、窓の外に国際宇宙ステーションが見えてきました。
さあ、いよいよ国際宇宙ステーションの組み立てを始めるぞ、
と思ったときに、なんとスペースシャトルが故障しました。
スペースシャトルの中にある重要な電線の1本が、
電気が流れなくなってしまいました。
このままではスペースシャトルが使えません。
修理しなければなりませんが、
宇宙のことですから、
誰かに直しに来てもらうとか、
工場に持ち込むなどということは不可能です。
宇宙飛行士が自分の手で、その場で直すしかないわけです。
そこで、若田さんとメルロイさんとマッカーサーさんの3人で、
どうやって直そうかと打ち合わせをして、
打ち合わせがまとまったので、若田さんがパネルの下に潜り込んで、
壊れた電線を新品の電線と交換しました。

 スペースシャトルの修理が済み、
いよいよ国際宇宙ステーションの組み立てに入りました。
国際宇宙ステーションを組み立てるときに、
たくさん付いている電線を1本、1本、
手で丁寧に繋がなければなりません。
その仕事は宇宙飛行士が宇宙遊泳をしながら行います。
そのために宇宙飛行士が宇宙服を着てスペースシャトルから外へ出てきました。
外へ出た宇宙飛行士は、電柱のような物につかまっています。
これは本当に電柱ほどの太さと長さがあり、
自由に動くアームで、ロボットアームと言います。
このロボットアームの操作を担当するのが若田さんです。
若田さんが操作するロボットアームにつかまって、宇宙飛行士が電線を1本、1本、丁寧に繋いでいます。

 電線もすっかり繋がって、
いよいよ国際宇宙ステーションの中に入れることになりました。
若田さんは、日本人で初めて、国際宇宙ステーションの中に入りました。
「若田さん、どんな気持ちでしたか。」

と尋ねましたら、
「鉄腕アトムになったような気持ちでしたよ。」
と言いました。
【写真−9】
国際宇宙ステーションの中に入る若田光一宇宙飛行士
/提供 NASA、JAXA


 若田さんは、宇宙に行くことが決まったときに、
せっかく宇宙に行くのだから、
宇宙から日本の文化を世界の人に紹介したいと思いました。
そこで、いろいろ考えて、
日本の相撲を世界の人に紹介することに決め、
日本相撲協会から本物の軍配ウチワをお借りして行って、
国際宇宙ステーションの中で四股を踏んでみました。
四股は、お相撲さんが上げた足はまた土俵に落ちてきます。
ところが、宇宙ではものが落ちなので、
若田さんが上げた足は、どんどん、どんどん回っていって、
とうとう若田さんは宇宙でずっこけてしまいました。
「いやあ、宇宙で四股を踏むのって難しいですね」
と若田さんは言いました。
若田さんが、日本の国技、相撲を、
宇宙から世界の人に紹介したので、
若田さんたちが帰ってきたときの歓迎会には、
日本相撲協会の北の湖理事長がわざわざ来てくださり、
わたくしも、パイロットのメルロイさんをご紹介かたがた、
ご一緒に記念写真を撮りました。

 若田さんたちが行って、
国際宇宙ステーションに姿勢制御装置を取り付けましたから、
国際宇宙ステーションは、
もうまっすぐ、姿勢を正しく保って飛べるようになりました。
これでいよいよ、人が住める条件が整ったので、
2000年の11月、
第1次滞在として3人の宇宙飛行士が宇宙へ上っていって、
国際宇宙ステーションに住み込んで働き始めたのです。

 宇宙で人が長期間暮らす。
そのためにはいろいろなものが要ります。
空気、水、食料、着替えの衣服、
それらを宇宙へ届けなくてはいけない。
そこで宇宙宅配便というのをやっています。
この宇宙宅配便はロシアがやっている「プログレス」で、
3ヶ月に1回、空気、水、食料、着替えなどを
地上から宇宙ステーションへ送り届けています。
「宅配便が来た。あっ、オレンジだ」
などと言いながら記念写真を撮りましたが、
右端のクリカレフさんは、
記念写真を撮る前にちょっと一口かじっちゃっています。

 この3人は2000年の11月から2001年の3月まで
国際宇宙ステーションで暮らして、
3月に第2次滞在の3人と入れ替わりました。
第1次の3人は、
21世紀のお正月の元旦を宇宙で迎えたことになります。
第2次の3人が乗っていったスペースシャトルの背中に
巨大な円筒形の容器が積まれていました。
中には国際宇宙ステーションでの実験に使う
実験装置が詰まっています。
その実験装置を、
スペースシャトルから国際宇宙ステーションのほうへ
積み替えなくてはなりません。
ひとつ、ひとつが大きいですね。
電気冷蔵庫ぐらいあります。
電気冷蔵庫を運ぶのは大変な仕事ですが、
宇宙では心配要りません。
自動車だろうと、グランドピアノだろうと、電気冷蔵庫だろうと、
宇宙では何でも浮いていますから、
ヒョイ、ヒョイ、ヒョイと運べてしまいます。

 第2次滞在で船長を務めたウサチェフさんが、
ホテルのような部屋の中にある個室に入っています。
個室の壁にある封筒状のものがベッドです。
宇宙では、フワーッと浮かんでいますから、
立って寝る、横になって寝る、逆立ちして寝るは、
どう寝てもかまわないのですが、
寝ている間にフワ、フワッとどこかに流れて行ってしまうと困るので、
こういう封筒のようなベッドに入って寝ます。
壁には家族の写真が貼ってあり、窓からは地球も見えます。
パソコンで、家族とEメールで会話もできるようになっています。

 第2次滞在の女性宇宙飛行士、スーザンさんが、
国際宇宙ステーションの窓から地球を見ています。
宇宙から地球を見ると、いろいろなものがよく見えます。
毛利さんは2度目の宇宙飛行の時、
ぜひ見たいものがありました。
ピラミッドです。
ピラミッドはエジプトのカイロの近郊のナイル河のそばにあります。
国際宇宙ステーションにもスペースシャトルにも、
大きな望遠レンズをつけたカメラが備え付けられていて、
そのカメラで撮った写真にはピラミッドがはっきりと写っています。
小さなのがひとつと大きなのが2つ、
ギザのピラミッドと言われていて、
一番大きいのはクフ王のピラミッドです。
またその写真には、ピラミッドの他にも、道路や街も写っています。
しかし宇宙から肉眼で見ると、
道路もピラミッドも家も、何も見えないのです。
宇宙から肉眼で地球を見ると、ピラミッドさえ見えない。
まして、お店や自動車はまったく見えない。
道路も見えない。
宇宙から肉眼で見た地球には、
人が暮らしている様子はまったく見えないのです。
ところが、スペースシャトルも国際宇宙ステーションも、
1日に地球を16周、90分で地球を1周します。
45分経つと昼間の世界から夜の世界へ回って行きます。
夜になったら何が見えるのか。
昼間に見えていた海、河、山、湖、
そういうものはいっさい見えません。
見えるのはただひとつ、
人々が暮らしている大都会の夜の灯りだけなのです。
若田さんは、
「夜の地球と昼の地球の素顔があまりに違うのでちょっと驚きますよ」
と言っていました。
宇宙から見たオーロラです。
宇宙からオーロラを見ると、本当にきれいだと、
どの宇宙飛行士も言っています。

 第2次滞在の3人は
2001年の3月から8月まで国際宇宙ステーションで暮らし、
8月に第3次滞在の3人と交替しました。
宇宙で何ヶ月も暮らしていると当然、
髪の毛が伸びて来るので、
散髪しなければなりませんが、
宇宙には床屋さんがありませんから、
宇宙飛行士がお互いに相手の髪を刈りっこします。
「きょうは理髪の日だぞ」と言って、
理髪のマークをもって散髪をしています。
【写真−10】
国際宇宙ステーションの中での散髪
/提供 NASA

宇宙の散髪で難しいことがあります。
短く切った髪の毛が落ちないで浮いていると、
それが目に入ったり、鼻に吸い込まれたりすると危ない。
そこで、電気掃除機でどんどん吸い取りながら散髪をします。
宇宙飛行士は、
若田さんのようにスペースシャトルを修理したりできるのですが、
散髪の腕前だけについて言うと、
やはり、本職の床屋さんにはちょっと及びません。
だからこのハサミを持っているチューリンさんは、
もう散髪が終わっていますが、
ひどいトラ刈りになってしまいました。

 第3次滞在の3人は2001年の8月から11月までいて、
11月に第4次滞在の3人と入れ替わりました。
11月に行きましたから、すぐクリスマスがやってきましたので、
地球から持っていっていたクリスマスツリーを飾って、
宇宙で「メリー・クリスマス」とお祝いをしています。
そしてこの第4次滞在の3人は、
2001年の11月から2002年の6月まで宇宙に7ヶ月間滞在しました。
これまでの、国際宇宙ステーションの最長滞在記録です。

 そして2002年の6月にこの第5次滞在の3人と交代しました。
女性宇宙飛行士のペギーさんを含む第5次滞在の3人は
国際宇宙ステーションでおもしろい実験を始めました。
宇宙で大豆を育てる実験です。
国際宇宙ステーションへは、
宇宙宅配便が空気、水、食料、着替えなどを運んでいます。
わたしたちは
「すみません、きょうは息苦しいから、空気、宅配便で運んで下さい」
なんて言いません。
それは、わたしたちが呼吸で吐き出した炭酸ガスを、
地球上の緑の植物が吸い取って、炭酸ガスを酸素に変えてくれるので、
宅配便で空気を運んでもらう必要はないのです。
宇宙で緑色の植物を育てることに成功すれば、
そういう宅配便に依存した生活から、
自給自足の宇宙の生活に一歩近づけるわけです。
そのために、こういう基本的な実験をやっています。
大豆で成功してその後、エンドウ豆も育てるようになり、種子も獲れました。
その種子をまた、宇宙で蒔いて、育てて、
そういうふうに、ずっと半永久的に、
宇宙で緑の植物を育てることに成功すれば、
将来は、空気とか水や食料なんかも
宇宙で自給自足できるようになってゆくと考えています。

 2002年の11月にはまた第6次滞在の3人と交替しました。
地球へ帰るスペースシャトルの窓から、
ペギーさんが国際宇宙ステーションを眺め、
「あそこに5ヶ月間お世話になったんだね、
どうも長いことありがとう、さようなら」
と別れを惜しんでいます。
第6次滞在の3人は、
2002年の11月から国際宇宙ステーションで暮らし始めて、
2003年の3月に第7次滞在の3人と交替する予定でした。

 女性宇宙飛行士のコリンズさんが船長を務めるスペースシャトルに、
日本人の野口聡一宇宙飛行士も乗って、
第7次滞在の3人の宇宙飛行士を国際宇宙ステーションに送り届け、
第6次滞在の3人を地球へ連れ戻ることになっていました。
その直前に、コロンビア号の事故が起こったのです。
スペースシャトルの運行が当面の間中断されることになったので、
第7次滞在として、ルーさんと、ユーリーさんの2人が、
ロシアの「ソユーズ宇宙船」に乗り、
ロシアのロケットで宇宙へ上がっていって、
国際宇宙ステーションにドッキングをして、乗り移りました。
2002年の11月から滞在していた第6次の3人は、
別にもう1機、国際宇宙ステーションに付いていた
「ソユーズ宇宙船」で地球に戻ってきました。
2003年10月からは
第8次滞在のカレリーさんと、フォールさんが滞在をはじめました。

 第2次滞在で、
国際宇宙ステーションの船長のウサチェフさんが
何か抱えています。
【写真−11】
国際宇宙ステーションで、
「ウンチ」の詰まった容器を持つウサチェフ船長
/提供 NASA

中においしい飲み物でも入ってるのかな。
違います。
中に入っているのは「ウンチ」です。
わたしたちのウンチは下水に流れていくか、
バキュームカーが来て吸い取ってくれますが、
宇宙では下水もバキュームカーもありませんから、
このタンクにためておきます。
そして、タンクが一杯になったら、
宅配便の帰りの便に乗せます。
宅配便は来るときも帰るときも無人です。
宇宙食を食べた後の、から容器も乗せます。
着替えた古いシャツやパンツも乗せます。
国際宇宙ステーションの暮らしで出たゴミは
全部、帰りの宅配便に乗せて、
ゴミをいっぱい詰め込んだ宅配便を地球へ向けて落とすと、
空気の中へマッハ25というすごいスピードで突っ込んで、
全部燃えてしまいます。
宇宙で出たゴミはそうやって処理をします。
 国際宇宙ステーションへのスペースシャトルの運行は
今のところは中断されていますが、
再開されたときには野口聡一さんが乗り組んで、
国際宇宙ステーションの組み立てをする予定になっています。
日本の部屋「きぼう」が結合されると、
日本人宇宙飛行士が1年間に1人、
6ヶ月間滞在する権利が得られるので、
そのときに備えて、
星出さん、角野さん、古川さんの3人が、
宇宙に長期間滞在しながら実験をする、
そういう訓練を現在続けています。


★★★守ろう地球★★★
 地球という星は生命に満ちています。
魚も、虫も、鳥もいて、草も生えて、木も生えて、
そしてわたしたちも地球で暮らしています。
でも、そのすぐ隣の星、月には生命が何もありません。
この広い宇宙の中で、
地球と月という本当に隣同士の二つの星の
片方には生命が満ちあふれていて、
もう片方には生命が全くない。
何がこういう極端な違いを生んでいるのか。
それは、地球では雨が降って、風が吹く。
月では雨が降らず、風が吹かない。
雨が降って、風が吹く星には生命がいっぱいあって、
雨が降らず、風が吹かない星には生命がまったくない。
雨が降って、風が吹くということが
地球に豊かな生命を育んでいるのです。
地球では雨と風は誰かがやってくれるというようなものではなく、
地球が全部やってくれます。
だから、わたしたちは、
お前が最近サボってるおかげで風が吹かなくて困るじゃないか、
なんていうことは決してありません。
でも宇宙ではどうか、
宇宙では地球がやってくれるということは期待できませんから、
宇宙飛行士が全部やらなければなりません。
国際宇宙ステーションの空気浄化装置をいま点検をしているのは、
第2次滞在の船長のウサチェフさんです。
もしウサチェフさんが、怠けてしまったり、ミスをしたり、
あるいはこの装置が故障したり、
そういうことがあったら、
すぐみんな死んでしまいます。
地球では、
誰かがサボったおかげで雨が降らずにみんな死んだ
なんていうことは決して起こりませんが、
宇宙では
ちょっとしたミスとか、手抜きとか、
故障とかがすぐ死につながります。
地球はとっても優しい星ですが、
宇宙で暮らすということはとっても厳しい世界なんです。

 雨は空から降り、風も空から吹いてきます。
わたしたちは空を見上げるとなんとなく、
「あー、果てしない青空っていいな」
と思います。
ところが、果てしない青空は実は存在しないのです。
毛利さんが宇宙に行ったときに夕焼けを見ました。
【写真−12】
毛利さんが宇宙から見た夕焼け
/提供 NASA、JAXA

いま、日が沈みます。空ってこれだけしかない。
果てがあるんです。
しかもその果てはかなり近い。
距離にして16キロメートルです。
わずか16キロしかない、
そんな薄い空気の中で雨が降って、風が吹く。
16キロといったら、
歩いて頑張れば4時間、
自転車だったら1時間一生懸命こいで行く距離、
自動車だったら大体20分くらい行けるでしょう。
それを上に行ったらもう空は終わり、
その先にあるのは真っ暗な宇宙なんです。
本当に空は薄い。
だからわたしたちは、うわー果てしない青空だ、
なんてのんきに思ってますけど、
実はその空の外に行って
空の切り口を見るとこんなに薄いんです。

 先日、77歳で宇宙にいらした
ジョン・グレンさんにお会いしました。
そのときジョン・グレンさんが
地球の空気のことを話してくださいました。
ジョン・グレンさんが撮った
地球と宇宙の境目の写真です。
地球のへりの外側になんかうすいブルーのものが
もやもやと見えます。
これが地球の空気の全部、厚さ16キロの空気層です。
ジョン・グレンさんはこう言いました。
「地球をバスケットボールの大きさだと思ってください。
それを水にぬらしたと思ってください。
地球を取り巻いている空気は
バスケットボールをぬらしている水の膜ぐらいしかないんです」
と、バスケットボールをぬらしている水の膜ぐらいしかない空気、
そんな薄い空気の中で風が吹いて、
雨が降ってくれるおかげで、
地球には豊かな生命が育まれ、
そしてわたしたちも安心して昼寝もできるし、
遊びに行くことができるのです。
その水の膜ほどの空気すらない月の世界はまったくの死の世界。

 そんなにわたしたちに優しくしてくれている地球の空気が、
いますごい勢いで壊されています。
その様子を調べるために、
宇宙開発事業団は
「みどり」という人工衛星をロケットで宇宙へ運びあげて、
宇宙から地球を観測しました。
最近の人工衛星はとても大きくて、
8畳の座敷で3階建てくらいの大きさがあります。
これを宇宙に運んでいって、宇宙から地球を調べました。
そしたら、大変恐ろしいことがわかりました。
このピンク色をしたところ、
オゾン層がなくなってしまったオゾンホールというのですが、
それがなんと南極上空に南極大陸よりも大きくできていました。
1996年のことです。
その4年後、2000年に調べたら、
なんとオゾンホールは南極大陸の面積の2倍に広がっていました。
4年で倍になっていたのです。

 いま、世界の森林がものすごい勢いで伐られ、消失してています。
これはアマゾン河の近くの熱帯雨林を調べたものですが、
この赤いところ、魚のような形をしたところ、
これは北海道と同じ面積ですが、
これがなんと7年間ですっかり伐られて、
丸裸にされてしまいました。
【写真−13】
アマゾン川流域の森林伐採の状況
/提供 JAXA

世界全体では1年間に日本の国土の3分の1の面積の森林が、
毎年毎年、消失しています。

 宇宙から砂漠を調べました。黄色いところは砂漠ですが、
世界の陸地の3分の1がもう砂漠になってしまっていて、
しかもその砂漠は年々広がり続けているということがわかりました。

 宇宙から地球を見るとこんなにきれいな星、
【写真−14】
宇宙から見た地球
/提供 NASA

でもその星はよく調べたら、
なんと3分の1がすでに死んでいたんです。
地球は本当にわたしたちに優しくしてくれるんですが、
その星がなんと3分の1死んでいた。
オゾン層には南極大陸の2倍の穴が開いて、
森は毎年毎年日本の国土の面積の3分の1づつが消失し、
砂漠は世界の陸地の3分の1に広がって、
しかも毎年毎年広がり続けています。
いま地球はゴミだらけの砂漠の星に向かっています。

 今日、ここに集まっている6年生の皆さんは、
8年後には20歳になります。
20歳になったらどうなるか。
酒が飲める、たばこも吸える、自動車の運転もできる。
20歳になったら、もっとすごいことができるのです。
この地球をそっくり丸ごともらえるのです。
そのときどうしますか。

 「地球を丸ごともらったよ。
好きに使っていいといわれた。
うちの庭に木がいっぱい生えているから、
みんな伐ってしまおう」、
「うちの庭から石油がいっぱい湧いてくるから、
どんどん燃してしまおう」。
いま、わたしたちはそう言って、
地球に生えている木をどんどん伐って、
石油をどんどん燃やしています。
君たちが地球を丸ごともらった時、
その地球がゴミだらけの砂漠の星だったら悲しいですよね。
ぜったいに地球をゴミだらけの砂漠の星にしてはならない。
この地球は何十万年も昔から、
おじいさんの、おじいさんの、・・・・・・・・・・
おじいさんの、おじいさんの時代から、
ずっと子供へ、孫へ、ひ孫へと受け継がれてきました。
間もなく、君たちがこの地球をそっくり丸ごと受け継ぐのです。
君たちはさらにこの地球を、
君たちの子供へ、孫へ、ひ孫へと受け渡して行く責任があります。
きれいな地球をきれいなままで受け渡して行かなくてはなりません。
きれいな地球を、ずっときれいなままで守り抜いて行く。
それをこの福山から始めましょう。
そしてそれが広島県全体に、日本全体に、地球全体に広がった時、
この地球を、ずっときれいなままで、
君たちの子供へ、孫へ、ひ孫へと受け渡して行くことができるのです。

どうもありがとうございました。