「『親子で夏の思い出を作ろう』“八岐大蛇に会いに行こう!”」

 

 表題のテーマで「2015年度第4回(通算141回)事業」を計画した。
事業日は8月1日(土)~8月2日(日)、一泊二日の研修である。

 

 2013年3月に発刊された「出雲学通信第8号」に次のような記事がある。

 <特集>第5回出雲学フォーラム

 「対決!オロチは鉄か、斐伊川か」

  「古くから日本人に親しまれている「ヤマタノオロチ退治の神話」。
このストーリーが現実世界の事件を象徴的に記しているとする考え方の中で、
ヤマタノオロチは、製鉄が関係しているという説と、
暴れ川斐伊川を象徴しているという2つの説が特に大きな議論の的になっています。
そこで今回のフォーラムでは、双方の説を主張する研究者を招き、議論を深めました。」……と。

 

それぞれの説を主張する学者2名が登壇して、講演をされた。様々な文献・資料

を紐解かれながら話されているが、結論は出ないし、出せないようだ。学者の説

はどうであれ、私は出雲神話に残る話を自然や人間の生活の歴史と合わせて、

斐伊川の暴れた様子などから、あるいは宍道湖への土砂の流入や出雲平野ので

き方などを考えると「たたら製鉄」との関係を抜きにしては説明が難しいとの

勝手な解釈で、このテーマを設定し夏期の研修として計画してもらった。

 

◎目的 夏休みを利用し、普段出来ない体験や新しい発見をする。

◎内容 ⑴汽水・淡水域に生息するさまざまな生き物について学ぶ。

    ⑵出雲地方の古代の暮らしを、遺跡や出土品の見学を通じて学ぶ。

    ⑶化石や鉱物などから「宇宙の進化と生命の歴史」を学ぶ。

    ⑷ pH9.8の美肌温泉を体感する。

    ⑸奥出雲地方のたたらの歴史と「八岐大蛇伝説」について学ぶ。

    ⑹気動車に乗って、西日本唯一の三段スイッチバックを体験する。

 詰め込んだ内容の凄さに驚く。

 

一日目(8月1日)

 集合時間を7時半~8時としていたが、7時すぎには三々五々と集まり始め、

8時前には全員が集合したので分団事務局前を出発した。当初はマイクロバス

1台と小型のワゴン車1台(いずれもレンタカー)の予定だったが、先方の気配

りのお陰でマイクロバス2台で行くことになった。
1号車には参加する分団員やその家族とリーダー3名で、
2号車には参加者全員の荷物と残りのリーダーが分乗した。
保険は参加者全員、「旅行保険」を掛けての活動である。

 

       開会行事             1号車

 

 府中市にお住いの家族3名が世羅道の駅で合流することになったので、定刻

8時に出発し、R2から山陽道福山西IC~尾道JC~やまなみ街道(尾道・松江

道=通行料は無料)を走った。いつもは乗用車なので車高が低い。そのため車窓

からの、見通しは限られるがマイクロバスの車窓からの景色は素晴らしい。山

あり、谷あり、田圃あり。耕作放棄地も見受けられたが、太陽光発電施設の多さ

にも驚く。と同時に、通行する車両の運転の荒さにも“唖然”とする。車は予定

の“世羅道の駅”に到着したので、ここで参加する家族を乗せるためとトイレ休

憩に時間を充てた。道の駅では、土日を利用してのテント村の設営が進んでい

た。

 

    世羅道の駅の看板         道の駅建物の前景

 

 “やまなみ街道”に付属(?)する“道の駅”は、全てICから一度下りる必要がある。
“やまなみ街道”は全線「新直轄方式」で整備された自動車道で、
通行量が無料であるがためなのだろうか。

 参加者全員が揃ったので世羅IC”からやまなみ街道に入り、
次のトイレ休憩のために
道の駅たたらば一番館へ向かった。
山陽道と比べると通行車両数は少なく、順調に走行できた。

 

     前を走る2号車       ぼちぼち広島県から島根県へ

 

 次の休憩地「道の駅たたらば一番館」へ到着した。ここはすでに島根県へ入って居る。
駐車場には車両も多く、お客さんはかなりの数お出で賑わっていた。
早朝集合だったので空腹になったか、
コーヒー・アイスクリーム・鶏肉のフライなどを購入して食べていた。
世羅の道の駅よりは広くて大きく感じた。

 “道の駅たたらば一番館”を出発して一路「島根県立宍道湖自然館ゴビウス」へ向かった。
松江道を宍道
ICで下りて、出雲平野を北上した。
稲穂にはもう実が入り田の色が変わり始めていたが、
昔ながらの「築地松」に囲まれた民家が少なくなっている。
綺麗に剪定されて刈り込まれた屋敷もあれば、
伸びるままにまかされた(?)屋敷も見受けられた。
また、旧来の「大社様式」の棟瓦が見られる建物も多かった。

    http://www.kankou-shimane.com/yokubari/wp-content/uploads/2014/03/Tuijimatu_M.jpg

            斐川地方の築地松

     http://www5f.biglobe.ne.jp/~aboa/IMG_4060_rs3.JPG

           棟瓦の反りが分かるかな?

 

 ゴビウスへは11時過ぎに到着したが、弁当の到着(1120分頃)まで待機した。
少し遅れて弁当が来たので適当に分かれて座り、昼食となった。
外気温は
32℃を超えていたようだが、建物の中は風が通って過ごしやすかった。

 

            弁当を食べているところ

 

 1150分~1250分までの1時間、ゴビウスの見学に充てた。
特別展は「アメリカザリガニ」についてだったが、参加した子ども達には好評であった。
この施設の名称“ゴビウス”は、ハゼなどの小さな魚を表すラテン語とのことだった。
島根県の汽水湖「宍道湖」を身近に感じてもらうため、
またそこに生息している色々な生き物の様子を学んでもらうための施設のようで、
福山市も競馬場跡地にこのような学びの施設を造ってもらいたいと思った。
「環境が子どもを育てる」というが、
その環境を作るのは大人、政治家の役割のように思うのは私だけだろうか。
宇宙少年団は、「子どもを育てる環境」の一翼を担っていると自負したい。

 在来の魚や外来の魚、汽水圏の生き物や淡水の魚類、あるいは水草など多種・多様な展示があった。
珍しい「ウミヘビ」の展示もあったが、気づいてみただろうか。
アメリカザリガニは自由に触れるようにしてあったが、
触れなかった子どもはいなかったと思うのだが。
最近では身近な場所で、アメリカザリガニなどの小動物を見ることも少なくなったような気がする。
日本固有種の「ザリガニ」が展示してあったが、その個体の小ささに気付いてくれただろうか。
水族館など身近にないので、楽しんでくれたことだろう。
子ども達はまだまだ遊んでいたいようだったが、先を急ぐので見学を終了させた。

 

  

  

 

 

 

大型のコイ        アメリカザリガニの水槽

 

 これからの2施設は、子ども達には少々難解な内容の施設であった。
古代出雲地方に想像を駆り立てるには十分な内容の施設であり、展示であった。
両方の施設に共通するのは、当時の国の施作=広域農道の建設が起点であった。
いずれも工事の初期または事前調査の段階で見つけられて、発掘調査が行われて現在に至っている。

 

 最初は「荒神谷遺跡」である。

 

 この古地図は想像の産物であり、当時がこの通りであったかは甚だ疑問もあるだろうが、
島根半島が陸続きであったか否かは別にして、
古宍道湖の南側に位置する一帯には当時の人々の生活があったに違いない。
古斐伊川も位置づけがあるが、荒神谷も加茂岩倉もその流域に位置する。
出土した物(国宝に指定された)も、彼らの生活と無縁であったとは考えにくい。

<荒神谷遺跡:博物館>

 

ガイドさんの説明を聴く

 外気温は異常に暑かった。が、参加者は皆さん元気だった。
ガイドさんは年配の方だったがここの史跡を愛されているようで、熱心にガイドをしてくださった。
往復
300mほどの道のりだったが、外の暑さには負けなかったようだ。

 

    見学台で説明を聴く        発見当時の銅剣のレプリカ

 博物館入り口から発掘場所までの南側には、古代ハス(大賀ハス)がかなりの面積育てられていた。
ほとんどは咲き終わり、まだ蕾のような花も一つ二つと見受けられ、ハスの実が熟れ初めていた。
蓮の花は咲くときは“花托”と呼ばれ、咲き終わると“果托”と呼ばれると説明された。
博物館の中で「古代ハスの実」を売っていたので、2袋土産に購入した。
結構良い値がしたが、育ててみたい。
藤田リーダー曰く「二つ植えたが、芽が出たのは一つだった。田圃の土で育てている」と。

 その後、博物館内で学芸員さんの説明を聴いた。
今回は「国宝に指定されて県の博物館に展示保存してあるものが、
今は数点この博物館に展示してあります。
運が良かったですね」、とのことだった。

 最初に銅矛・銅鐸・銅剣のレプリカで説明された。

       

           説明を聴く参加者たち

 

 荒神谷遺跡は1983年(昭和58年)に偶然発見された、弥生時代中期の遺跡である。
本格調査が始まった
1984年には、358本の同じ形の銅剣が4列に埋設されているのが見つかり、
世紀の大発見と言われた。
翌年にはわずか7
m離れた地点で銅鐸6個と銅矛16本が出土し、
銅鐸には国内最古の型式のものが含まれていた。
一括国宝に指定され、文化庁所蔵品として
現在は島根県立古代出雲歴史博物館に常設展示されている。

 当時の発掘現場の様子である。

 

 

 国宝の「銅剣」「銅鐸」「銅矛」である。

 <銅剣> 実用の武器として弥生時代の初めころに大陸から伝わり、
日本で作られるようになってから祭器へと変わった。
出土した358本の銅剣は、
いずれも
50cm前後の中細形(なかぼそがた)といわれる型式で、
「出雲型銅剣」といわれるようになった。

 <銅鐸> 神を招くカネといわれている。
荒神谷1号銅鐸は、片面が重狐文、もう片面は市松文様という珍しい文様で飾られている。
また、鈕(つりて)の断面は「凸」の形をしており、
国内でも例のない銅鐸で、総高約
23cmである。

 <銅矛> 根元が袋状になっており、ここに柄をさして武器としたが、
しだいに大型化し、祭器として使われるようになる。銅矛の中には綾杉

状の文様を研ぎ分けしているものもある。全長は68.584cmである。

 <加茂岩倉遺跡>

荒神谷博物館を後にして、直線距離で3.4km離れた加茂岩倉遺跡を目指す。
遺跡発掘のために付け替えられた農道を通って、一路
R54へ向かう。
くねくね曲がりで上ったり下ったりの変化の多い道だが、
子ども達の中には眠気に勝てず眠りだす子も。
下見の時には、松江道の加茂岩倉
PAへ駐車し、
鍵を開けて徒歩で行ったが、今回は展示室の南まで車を入れた。
この展示室は道路をまたぐように設置され、緊急には展示室の下を車が通れるようになっている。
広くはない展示スペースだが、空調が効いていて快調である。
“銅鐸のキーホルダー”を土産に買っている人もがいた。

 

    展示室へ向かう           発掘現場遠景

 

 

荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡の位置関係    加茂岩倉遺跡発掘の銅鐸

1996年に荒神谷遺跡と同じように、農道建設中に発見された。
1997年までの2年間の発掘調査で、
1か所からの出土例としては日本最多となる39口の銅鐸が発見された。
2008年には、発掘された銅鐸の全てが国宝に指定され、
古代出雲歴史博物館に保管されている。

 

 この2か所の遺跡は、子ども達には大変難解な内容であった。
もっと学年が上がった時、「ああ、あの時聞いた話だな。
とか、何となく聞いたような気がする」などと、
思い起こしてくれればそれで良いと思う。

 狭い集落の中を下り、斐伊川筋に出た。
車はこのまま木次駅前を通過するコースを移動した。
途中、左岸に変わった建物が見えたが、合併する前の加茂町役場であった。
木次線は単線で、レールが敷かれたのは絲原家の仕事。
途中で国有化されて、備後落合まで延伸されている。
国道
314号や地方道25号などと番号がつけられているが、
以前よりは道は良くなり
16時半頃には宿泊場所で見学場所でもある
「(公財)奥出雲多根自然博物館」へ到着した。

 

 チェックイン、諸注意の後、17時にロビー集合にして、
それぞれは決められた部屋へ移動し、荷物を置いて集合してきた。
学芸員さんの案内と説明を聴きながら、多くの展示品を見て歩く。
化石や鉱物、現存する貝などの展示品に見とれながら、時々質問などをしていた。
触ることが出来る展示品もあったが、
化石採集などができるスペースがあれば良いなあ、なんて考えながら後について行った。

 この博物館は、中国地方ではほとんどない恐竜を間近で見て、手で触れることができる。
館外には恐竜の復元模型があり、入り口では肉食恐竜の骨格が迎えてくれる。
子ども達は「声にならない驚きの声」を上げたことだろう。

  

 

宿泊ができる博物館で、1階~2階の展示コーナーの他に、
3階には「ふるさとの古代展示室」や「図書コーナー」も併設されている。
朝食時に上がった6階の展望ラウンジ(レストランさじろ)からの景色は、
朝日とともに素晴らしかった。

 「メガネの三城」の創業者が創設したこの施設は、
この地域の科学教育の普及に大いに役立っているに違いない。
展示されている標本は、全てその方の「蒐集品である」そうだ。
興味深い標本も多く見られた。

 

   ウミユリの化石           トンボの化石

 

   カメの化石             カブトガニの化石

 

   アンモナイトの化石

 

 宿泊者を対象に「ナイトミュージアム」というイベントもあるが、
照明が落とされた薄暗い展示室を見て回るのは大変である。
「問題に答えて、80点以上で粗品進呈」と言われたので、孫と挑戦した。
薄暗い中、薄明りの懐中電灯を頼りに問題を読み読み歩いた。
所々で戸惑いながら解答用紙に記入したが、ケアレスミスを引き出すような解答欄。
「鳥根県」とあるのを「島根県」と早合点して間違えたり、
「ビカリア」を「ピカリア」に○したり。
ちょっとしたミスが、〇にならなかった。
それでも90点で粗品をゲット。
粗品は「ジュエリーストーン」が数個入っていた。
夜は暑くて、エアコンをフルに回したが、それでも暑かった。
5時半頃に起床したが、6時前の外気温は21℃もあった。

 

 夕食は近くにある「美肌の湯」という温泉施設。
丁度夏祭りの最中だったが、地域住民が少ないのか頭数は多くなかった。
それでも盛況にしようと頑張っている姿が見受けられ、食事中に館内を“御神輿”が行き来していた。
この温泉は通称「美人の湯」と呼ぶらしく、雲南町3大美人湯があるとのこと。
「佐白温泉長者の湯」「亀嵩温泉玉峰山荘」「斐乃上温泉」がそれらしい。
そういえば、湯がねっとり、ぬるぬるしていたなあ。

 

 早朝ラジオ体操前に起きて、廊下の窓から見た景色である。

 遠くに見えるのが「メガネの三城」で、手前の同じような建物が創業者の生家、最手前が博物館。
左に見える八重の塔は「志學荒神社」で、立志の神様と言われているとか。
「合格祈願」に良いとか。

 朝食は六階のレストランで。
前日に「和食か洋食か」の希望が取られていたので、食事は指定席。

 

     朝食メニュー           満足そうな顔

 

土鍋で炊かれたご飯は食べきれず、この他に切り身の焼シャケがついていた。

8月2日(二日目)

 

8時過ぎに出発。八雲ホシカミ分団の亀山さんが挨拶に来られた。
何とかお会いすることができて、良かった良かったである。
仁多の町に入る前にバスにも朝食を、と軽油を満タンにした。
日曜日なので車は少なく、豊かな自然の中を快調に進んだ。
2号車の中の様子は全く分からないが、1号車では新山リーダーが子ども達を上手に遊ばせている。
流石!である。
1号車に乗っているリーダーは、私と新山さん、それに平田さんの3名。
新山さんは車内管理、私は説明役、平田さんはカーナビ補助。
それぞれ役割分担である。

 以前食べに来た「鬼蕎麦」屋さん側を通って目的地の絲原記念館へ。
開館は9時ということで、しばらくは売店で暇つぶし。
渡壁リーダーが、素晴らしい出刃包丁を予約されていた。
「行くよ~っ!」と呼ばれたので、慌てて絲原記念館の入り口へ急いだ。

 

    入り口の杉並木       次の頭首さんからガイドを受ける

 

 説明を聴きながらの見学は、また別物。説明文を読みながら見るよりは、ず~っと心に沁み込む。
展示品の裏側まで、手に取るように説明された。
本宅の座敷は立ち入り禁止なのだが、「今日はいいですよ」と開放してくださった。
部屋によって畳の長さの違いや、欄間や掛け軸・引き戸の絵や螺鈿の座卓など、
素晴らしいものばかりであった。
維持するのも大変だろうし、文化財的に貴重なものもあるだろう。
「素晴らしい!!」の一言である。

 その後、「洗心乃路」を散策。
まだ花が残っているものや、今が盛りのものは名札があるので良く分かる。
ほとんどの植物に名札がつけてあるのが良い。野草の勉強には素晴らしい場所である。
が、子ども達は退屈だったらしい。今回の研修の旅は、子ども達には少々退屈だったか。
後日、家族で反芻しながら話し合ってほしいと思う。
「感想文を書く」時が、その時なのかもしれない。

 

 

 

 この記念館では、また近々ドラマの撮影があるらしい。
気が付けば楽しく視聴できるかもしれない。

 絲原記念館を後にして、次の訪問場所「奥出雲たたらと刀剣館」へ向かった。
バスは山の中の道をショートカットして早めに
R314へでて、北から横田の町へ入った。
この町は「ホッケー」が盛んな町とのこと。
全日本級の選手を多く輩出しているらしい。
そんな町の「島根デザイン専門学校」前にある、「奥出雲たたらと刀剣館」へ行った。
館前の階段の上で、金属製の「ヤマタノオロチ」が出迎えてくれた。

この施設には川砂から砂鉄を採取するときの「川船」が展示されている。
が、朽ちかけたこの船では、二度と砂鉄は採取できないだろう。

        

 船底が平らで浅い川船である。
このような船を(舟がただしいか)使って、斐伊川で多くの砂鉄を採取したのだろうか。
大変な作業であることは、想像に難くない。

 この施設でも学芸員さんが説明してくださったが、「子ども達にはむずかしいかな。
アニメの映像があるから、みたい人は行ってもいいよ」とのことで、新山リーダーについて行った。
でも、導入部分だけは、映像を見ながら全員が参加した。

 

 「たたら製鉄」の説明に加えて、「鉄の歴史」に至るまで、詳しく説明されていた。
熱心に聴いていたのは、果たして何名だろうか?

 手元に「炎舞う奥出雲のたたら景観」というパンフレットがある。
環境にも考慮したたたらの歴史があるという。
大量の砂鉄を得るために、大量に山を崩した。
そして「鉄穴流し」跡には棚田を拓いたという。
その施設(様子)が、横田町では多く残っているらしい。
砂鉄は「分かりやすく言えば、茶わん一杯の砂から、
耳かき一掬いの砂鉄が取れる、ということである」と。
だから大量に山を崩し、木を切り木炭にした。
そのことと「水害」「暴れ川、斐伊川」は無関係ではあるまい。
鉄を作るためにやった人間の仕事を、架空の生き物「ヤマタノオロチ」になぞらえて、
「人間の罪を軽くした」とは考えられないか。
たたら製鉄では、砂鉄と同量の木炭が必要である。山仕事も大変だったことだろう。

 

    たたらの炉の説明         吹子を踏む様子

 

 

 

 ここに「鐵」という字がある。
他に「鐡」「鉄」「銕」という字もあるが、それぞれに意味がある。
その表が、写真右下の説明である。これも「たたら製鉄」に関係するのだろうか。

 最後に、入り口にあった「ヤマタノオロチ」の前で集合写真を撮り、
この施設の見学・学習を終えた。

 

 

 

 

 本日の昼食は「横田・美雲館」である。
刀剣館の学芸員さん曰く、「あそこの食事は美味しいですよ」と。
期待して行ったが、考えてみれば注文してあるのは
弁当だった。
「弁当はしょせん弁当」で、期待はずれだった。
「お土産、まだ買ってない人のため」とのことで、昼食会場前のスーパーへ行く。
どこのスーパーも変わりはないが、それでも地元の物の販売もある。
「名物は豆腐」っと聞いて豆腐を買おうとした人もいたが、
バスに積んでくさってはいけないので諦めていた。
それでも、何とか購入していた。

 

最後のイベント、「スイッチバック体験」のために、
出雲坂根駅~備後落合を気動車に乗る。
通常は何もない駅だが、休み中は人気があるらしく「屋台」が出ていた。
まけに人が一杯。どうも皆さんは私たちと同じらしい。
ホームで待っていると、上方で気動車の音。
見ると、季節列車の
おろち号が景色を堪能するために速度を落としていた。
我々が待つホームと反対のホームに入り分前に出て行った。
全車指定で、特別料金が必要だが、それでも席が取れないらしい。
車掌とコンパニオンが一人ずつ乗車していた。

 

 

  レールの端をミラー越しに      バックで入る“おろち号”

 

 

 

  “おろち号”エンブレム     “おろち号”全景、右は上り気動車

 

 

木次線のトンネル          木次線から見るループ橋

 

 JR備後落合駅でバスは待っていた。
木次線の列車にこんなに多くの乗客はめったにいなかろうが、この時期だからだろうか。
それにしても長椅子タイプの乗車席はお客で満席で、私たちは経っていた。
木次線の乗車は何年振りだろうか。
若かった頃に「スキー列車“銀嶺”」が福山から三井野原まで、片道だけが走っていたが、
その時以来だ、もう年近く前のことである。
その頃は備後落合駅のホームでは、温かいうどんを売っていたのを思いだした。
せせらぎと緑が綺麗に見えた車窓の風景だった。

 備後落合でバスに乗り換え、やまなみ街道世羅IC近くの「世羅道の駅」で

名を降ろすために、バスは中国道庄原ICへ向かった。
この辺りは昔仕事では良く走ったが、最近はとんと走らない。
道路状況も周りの景色も大きく変わって居た。
正に「光陰矢の如し」である。庄原
ICで中国道に乗り、三次JCでやまなみ街道へ。
そして往路と同じく、世羅の道の駅へ向かって安全運転で走らせる。
道の駅には迎えは来ていたが、外気温は異常なくらい高かった。
「バスが出るまで見送らせて」と言って、駐車場で待機されていた。
予定時刻に全員を乗せてバスが出ると、手を振って見送ってくれた。
彼等にとっての二日間の旅は家庭につくまでだが、
体験したことを迎えに来られた母親に自慢げに話されていた。
母親は、羨ましいなあ~とでも言うように相槌を打っていた。

 渋滞なく事故もなく、2台のマイクロバスは無事に駐車場へ着き、解散した。
二日間の研修が無事終了した。
感想文は宿題にしたが、さて、どんな感想を持ったことだろう。
届くのが楽しみである。
 (文責;事務局長中村 隆嗣)