三瓶の自然を訪ねる旅
専務理事:事務局長  中 村 隆 嗣
 宇宙少年団(NPO法人日本宇宙少年団 備後ローズスター分団)の構成員(分団員10名、保護者4名、リーダー17名)31名が、リーダー研修も兼ねて「島根県三瓶山の自然に学ぶ」ために、大型バス1台を借りて三瓶山へ向った。その様子を紀行文式にまとめてみよう。

7月27日(日)

 事務局裏の“妙政寺”駐車場集合は7時で、出発は7時半の予定だった。私が着いた時にはもう殆どの参加者は集まっていたが、2家族が未だだった。何度かこの駐車場や事務局へ来たことのある方は場所は分るが、初めての方は分りにくかったらしい。ある参加者から場所を尋ねる電話がかかってきたので、分りやすく(私はそのつもりだったが)説明し、リーダーが交差点まで迎えに出た。それでも早めに集まったので、予定時刻より早めに出発できた。

 車は人権平和資料館前を通り、山手橋経由で芦田川右岸を北上し、石原トンネルを抜けた。日曜日の早朝なので、通行車両は少なかった。運送会社前で左折し、農免道路へ入る。「地方道を通って行く」と運転手は言っていたが、担当リーダーは上下へ抜ける国道を通るつもりでいたらしい。読みにくい地名を読ませようと考えていた。「行縢」という地名を読ませようと準備していたようである。ところが、車は芦田町から尾道市原田町を通って“串柿の里:菅野”から、国道436号を経て御調へ向かい国道184号へ向った。計画は“頓挫”である。

 動物園の話、吊るし柿の話、工事中の自動車道(松江線)の話などを説明していると、時間は適当に経過する。途中、御調川の中に「白い花」が咲いている様子を説明しておいた。植物本体は水の中にあり、花が水面上で開花していた。御調の交差点で、直進すれば「円鍔記念館」や「刀剣工場」があることなど、地理の説明もしておいた。

 45人定員のバスに27名が乗っているので席には余裕がある、ゆったりと座り適当に雑談しつつ説明を聞いてくれるような車内風景であった。世羅町に入る辺りで芦田川上流を渡った。「河川の水質汚染」について、若干の説明を加えておいた。この辺りの稲は、ぼちぼち花穂が伸び始めていて、中には花が咲きそうな田も見られた。R184は本当に久しぶりに通ったが、世羅町北部にある「絵麗顔都」という喫茶店は潰れずに未だあった。過去に何回か立ち寄ったことのある店舗で、樹木に囲まれて風情のある店だった。

 三次市との行政区境には「分水嶺」という所がある。過去には「ドライブイン“分水嶺”」という店があったが、今は跡形もなくなっていた。この辺りで降る雨は、南は芦田川水系で瀬戸内海に流れ行き、北側は江の川(馬洗川)水系で日本海に流れ行く。左手に「幸水梨園」を見ながら、車は一路吉舎を目指す。かなり以前、鳥取で二十世紀梨を栽培している人と話したとき、「世羅は山を切って梨園にしたようだ。土地に肥料分がないので、梨作りには向かない」と言われたことを思い出したが、努力を重ねられて素晴らしい梨が出来るようになった。「何事も努力をすれば成就する」ということだろう。

 吉舎町は私の友人が産まれ育った郷。学生時代一度、スキーに行くために数日間泊まらせていただいたことを思い出した。彼は日彰館高校の卒業生で、現在は神戸大学で学長職にある。この地の神社には、秋に素晴らしい黄葉になるイチョウの樹があるし、また奥田元宗さんの出身地でもある。日彰館(今は県立)高校と川を挟んで位置するSAでトイレ休憩。丁度親水公園の雑草を刈り、手入れをされていたところに出くわした。見ると、川の中に御調川で見た水草と同じものが流れの中で揺れていた。早速、堀江リーダーが採集に走った。採って来た水草は「カナダモ」に似ていたが、正式名称が分らない。高下リーダーが持参した「福山の水」が入っていた500ccのペットボトルに入れて持ち帰ることにした。{この水草は、「三瓶自然館サヒメル」で調べようとしたが、図鑑がなかった。帰宅後、堀江リーダーが検索し「オオカナダモ(トチカガミ科)」という外来種であることが分った。}車は、次の休憩地「ドライブイン赤名」へ向けて出発した。途中から国道をそれ、R54までショートカット。三次総合運動公園や三次ワイナリー、奥田元宋・小由女美術館の側を通過しR54へ。この近くにはマツダのテストコースや三次ICがある。昔、未だ中国自動車道が工事中の頃、三次ICの工事現場で化石採集をしていて「サメの歯」の化石を掘り出した。物凄い感動があった。その標本は、今でも私の本棚に飾ってある。三次市や庄原市では、随分多くの化石を採集させてもらった。それら標本は、いずれどこかで公開できる機会があることを祈らずにはいられない。

 さて、話を戻そう。R54を北上したが、途中に布野という土地がある。以前は村だったが、広域合併で今は三次市。ここでは「荷車の歌」の山代 巴さんと、「アララギ派の歌人」中村憲吉さんの紹介をした。広島県と島根県の県境に赤名トンネルはある。南側から「トンネルを抜ける」と赤名ドライブインがある。2度目のトイレ休憩。新山リーダーが串団子を買っていたが、代金を払うや否や周りのリーダーに全部食べられ、追加を買っていた。

 頓原まで行かずに、また途中からショートカット。今度は地方道に入る。杉や檜の林や、雑木林の間を走る。所々で橋を渡ったが、結構深い谷だったりした。近くに「来島湖」があるはずだが、車窓からは確認できなかった。この道路では途中に2箇所、凍結防止や積雪から道路を守るためにトンネル状に屋根が付けられていた。「予算が余ったからなくても良いものを付けたのか?」なんて、陰口を言っているリーダーがいたようだった。確かに家並みがあるわけではなく、家は点在している。当然、住人も少ないのだろうが、これも人の安全を守るには必要な施設に違いなかろう。沢沿いには葉の一部や全部が白化した「マタタビ」が多く見られた。夏の終わり頃には「マタタビの実」が収穫されることだろう。三瓶温泉(昔は志学温泉)を迂回して、三瓶山の高原道路に入った。この道路は所々低い樹木に覆われているので、バスの屋根を打つ音がした。胡桃の樹が多かったが、さて「オニグルミ」だろうか。その外には「ネムノキ」も多く見られた。この花は、今の皇后・美智子様が皇太子妃の時に作られた「ネムの木子守歌」で一躍名が知れた。

 本日の宿舎である「独立行政法人三瓶青少年交流の家」へ曲がる交差点近くにある「三瓶自然館サヒメル」は、日曜日ということもあって駐車場は満車であった。

 予定より早く、11時半頃に青少年交流の家(以下青年の家)に到着した。ところが入所式はなく、しばらく待ってから施設使用に係るオリエンテーションが開かれた。山間部なので、植物や動物(蛇や昆虫)についての注意事項が多かった。とりあえず部屋割りにしたがって入室し、荷物を置いて昼食にすることにした。この施設の食事は総て「バイキング方式」なので、自分の食べたいものを食べられる量取る。したがって、初めての食事(昼食)はバイキング。子ども達は自由に選択し、皿に取る所から楽しんでいた。リーダーにとっては手間が係らずに良い。300名近くが利用しているようで、広い食堂も狭く感じた。この食堂では、食中毒防止のために2段階のステップを踏ませていた。最初は手洗い液を手につけての水洗い。次は消毒液を手に噴霧する。しかし蛇口が少なく、ここで長蛇の列が出来ていた。その分、食べ物を取るエリアが混雑しないから良いのかも知れない。「ここでしっかり手に液を吹きかけなければいけないんだ」と医者の息子A君に教えられた。

 食後、十分な休憩なしにバスに乗り、最初の見学・学習地「三瓶小豆原埋没林公園」へ行く。三瓶山を構成している岩石は「デイサイト(安山岩)」といわれているが、最近の研究では「安山岩より流紋岩」と結論付けられているようである。途中の崖で六角形の模様を2箇所確認した。流紋岩は場所による違いはあるが、六角柱や五角柱の状態が見られる。したがって、流紋岩が正しいのかも知れないが、二日目に大平山へ登ったときに見られた岩石は私の目には安山岩と見えた。

 埋没林公園でサヒメルとの共通入場券を購入し、入館した。団体で入ったので、学芸員が説明をしてくださった。お陰でよく理解できたと思う。三瓶火山は10万年前頃から噴火を繰り返していたようだが、3500年前頃の噴火でこの小豆原(ここは谷窪地)下流を火砕流がせき止め、その後火山泥流が静かに逆流し、一帯の樹木を深く覆い尽くした結果炭化せずに埋もれ木の状態で残ったようである。発見されるまでは、農家の人々は掘り出される木々に苦労を重ねたようである。未だ木の香りがする不思議さに、何だかタイムスリップするようだった。

 その後、同じ道を戻って「三瓶自然館サヒメル」に入った。本当に大勢の人で、どのフロアも人、ひと、人であった。丁度「大化石展」を開催中だったが、一昨年見学した熊本・御船町博物館の所蔵品が多く展示されていた。個人所有の物や徳島県博物館、成羽博物館の所蔵品も見られた。有料だが「化石クリーニング体験」のコーナーもあった。最初に小豆原で掘り出された埋もれ木は、ここに運び込まれて展示され、埋もれ木のコーナーが設けられていた。子ども達も保護者もリーダーも最初に小豆原で学習し、ここで再確認しながら復習したに違いない。

 工夫された野鳥観察コーナーでは、皆さん(特にリーダーが)熱心に観察されていた。TVカメラで撮影した映像が、モニターで確認できるシステムも設けられていた。鳥に詳しい藤田・飯山リーダーの目は輝いていた。

 16時に退館し姫逃池の周りを散策しながら宿舎へ戻ったが、オリエンテーションで説明された「ツタウルシ」がかなりの数確認された。この植物は、秋には素晴らしく紅葉する。

 夕食後、19時半から「サヒメル」で天体観察。特別にお願いしての研修講座(有料)だったが、素晴らしい機材で観察させていただいた。西村製の60cm反射赤道義も素晴らしかったが、20cm屈折赤道義(クーデ式)4台が良かった。雲に邪魔されつつも木星は観察できたし、60cmでは球状星団M13を、20cmではリング星雲M53を見ることができた。いずれも集光力・分解能とも素晴らしく、私の望遠鏡は覗きたくなくなってしまう。私達を歓迎しに来たのか、蛍が一匹明かりで歓迎してくれた。天体観察のために「レーザー・インジケーター」(5mW)を製作して使用しているが、サヒメルでは輸入した30mWを使用しているとか。上には上がいるものだ。

 21時に終了して宿舎に帰り、入浴を済ませる。消灯は23時ということだったので「食堂で懇親会・反省会」と考えたが、食堂は22時まで。仕方なくルールには反するが、部屋で始めた。リーダーと保護者が集まり、少々のアルコールで「ごくろうさん」と。でも、途中で警備員に見つかってしまい「部屋ではだめですよ」と注意された。ゆっくりと懇親会は出来なかったが、23時の消灯は厳守して一日を終え、三瓶山の帳の中、夢の世界へ誘われて行った。


7月28日(月)

 三瓶の夜は涼しく、快適だった。野鳥観察隊は早めに起床して林の中に消えていった。決まりでは6時半起床、7時朝のつどい。布団を整理してシーツ類は返却場所へ。簡単に部屋の掃除をして「朝のつどい」のために広場へ。国旗・所旗掲揚の役割があったので、分団員のB君とC君に出てもらう。その後の団体を代表しての挨拶もB君にやってもらった。この施設は個人でも利用できるようで、個人的な2家族も代表が挨拶をされていた。

 つどい終了後、割り当てられた場所の掃除。私は山崎リーダーと二人で、本館の2F男子トイレを掃除した。昔、蔵王小・緑丘小で「トイレ掃除に学ぶ会」と共にトイレの掃除をしたことがあるが、それ以来のトイレ掃除である。学んだように「心を込めて、丁寧に綺麗に」掃除した。それから朝食を済ませて、本日の活動に入ることに。

 今日は三瓶山登山(?)。東ノ原駐車場までバスで行き、リフトで鞍部まで上がった。ここは冬はゲレンデになるところ。息子が保育所に通っている頃、一度このスキー場へ連れて来たことがある。その時もこのリフトで上がり、斜面をそりで雪だるまになりながら滑り降りた経験があるが、今はリフトの本数も増えていた。春から秋にかけては、牛の放牧地らしい。急斜面のリフトは、上がる時は気持ちが良いが、下るときは少々不安。

 鞍部で3班に分れる。1班は「女三瓶」へ。2班はカルデラの底にある「室の内池」へ。最後の3班は「大平山」へ。一番苦しさがあるのが2班だが、子ども達の参加が一番多かった。次が1班。一番楽なのが3班なのだが、ここに子ども達の参加はなく、分団長夫妻と北野・山崎、そして中村だった。

 「室の内池」コースでは、近くに「烏(鳥かも)地獄」という場所があり、昆虫が死んでいたとのこと。「火のついた煙草を近づけたら消えた」ということだったから、今でも「火山ガス」が出ているのではなかろうか。正に「火山」の名残なのかも知れない。「室の内池」は貧栄養の池とのことだが、今でも「鯉」が生息している。秋には周囲が紅葉しとても綺麗なようだが、看板に「熊が出ることがあります。」と書いてある。「要注意」だ。

 「女三瓶」頂上は、TVや電話等の中継基地のような建物やアンテナが林立している。頂上から大平山までは見通し距離。通信手段は不要で、大声で意思の疎通を取ることができた。

 「大平山」はなだらかな山頂。鞍部から数mの高さと数十mの距離。誰かさん、山頂で乾杯をしていた。

 全員が揃ったところで記念撮影をして、リフトで下山。途中で名札を落とした分団員がいたが、拾いに上がるのも大変なのでそのままに。また新しく作ってもらおう。斜面には「ギボウシ」や「ナデシコ」「アザミ」などが咲き誇っていた。

 宿舎に戻って昼食。これがここで食べる最後の食事。昼の「ソバ」は美味しかった。食事を終えて玄関先に集合し「退所式」を、と思ったら「適当にお帰りを」とのことだった。少々苛立ち、整列させて大きな声で「ありがとうございました」と言わせたが、事務室からは誰も出ては来なかった。この施設は「入所式・退所式」というセレモニーは不要なようだ。

 一日目に来た道をそのまま帰ることにしたが、途中で寝入ってしまい気がついたら赤名峠はとっくに越えており、君田のSAの近くだった。ここでトイレ休憩、と思ったら浅漬けキュウリを買い込んで(1本:200円)かぶりついていた。土産を買うために(?)三次ワイナリーに寄る。ワインやジュースの試飲コーナーがあり、皆少しづつ嗜んだ後土産用にワインやジュースを購入していた。これでバスの荷が重くなった。燃費2〜3km/?のバスの燃費が、余計に悪くなったかも知れない。疲れで寝入る者や起きていても口数が少ない者が多く、バスの中は静かだった。

 「行きはよいよい、帰りはこわい」ではなく、行きと同じ道を通って集合場所の妙政寺へ着いたのは17時前だった。予定通りに移動でき、また事故もなく無事にスケジュールを消化することができて安堵した。子ども達にとっては「夏休みの宿題」の一つになっただろうか。子どもだけで参加した分団員には、独立心が培われただろうか。親と一緒では見ることが出来ない子どもの一面を見ることができ、親と離す事も大切な教育だとも思う。保護者も他人の子どもを見ることで、わが子の良さを再認識できるかもしれない。

 昨日、泰子さんから電話があり、体験参加した子が入団することになったと。喜ばしいことだ。

 「サヒメル」でJAXA広報の「JAXAクラブの案内」を手にした新山リーダーが、「入団案内と一緒にこれを渡したい」と言ったので、早速手配した。近々、事務局へ100部送られてくることになっている。

 色々な意味で、分団も一歩ずつ前進している。これも、こうした宿泊活動の成果かも知れない。将来に期待して、「三瓶山紀行文」を終えよう。