宇宙(そら)」へ

 分団の7月活動として、「且O菱重工業飛鳥工場」見学を計画した。この工場では、わが国の宇宙開発には欠くことのできない運搬手段としての「HU−A」ロケットを製作している。3年前にリーダー有志が種子島の宇宙センター見学をして以来の、懸案事項であった。工場見学の原則は、「バス1台で50名以内」である。6月末を締め切りとして募集を始めたが、最終的にはリーダーを含めて52名となり定数を超えた。が、担当者の川東さんに御願いして「52名OK」となった。見学に際してはJAXA宇宙教育センター長的川泰宣先生、三菱重工業総務課主任浅田正一郎さんのご支援があったことを付け加えて、紀行文を起こそう。

 

一日目(7月29日)

 午前5時半〜50分が受付の時間だった。事務局で荷物を積んで、少し遅れて集合場所に行くと、すでにほとんどの参加者が集合していた。夏休みに入って9日目、この研修を「夏休みの課題」にしている分団員がかなりいたようである。予定通りに、午前6時に移動を始めた。車両は2台。貸し切りバスには42名が乗車し、付属のマイクロバスにはリーダー6名が乗車。マイクロバスは「緊急車両」の意味も持つ。参加者は合計48名である。私はマイクロバスに乗車し、貸し切りバスへは引率責任者である代表理事(分団長)に乗ってもらった。

 自動車専用道(高速)で一路、各務原を目指した。途中、京都南IC辺りで渋滞に巻き込まれて、予定の時間が1時間余狂ってくることに。

 <かかみがはら航空宇宙博物館>

 1917年(大正6年)「かがみがはら飛行場」がこの地に開設され、「現存する国内最古の飛行場」となっているとのこと。ちなみに1917年は、あのライト兄弟が初飛行に成功した14年後となる。

 パンフレットには、次のような記述がある。

 「古くからこの地方には豊富な木材や木工業・からくり技術などがあり、これらは初期の航空機産業の振興へとつながりました。現在ではロケット開発やI T 技術等へと発展しています。

 1996年(平成8年)3月、各務原にゆかりの技術と航空機を中心テーマに『かかみがはら航空宇宙科学博物館』が開設されました。

 航空機等を主とした博物館としては国内最大級の規模を誇り、研究・開発等に直接使用したものなど他で見ることが出来ないものがほとんどです。複葉機からロケットまで航空宇宙の歴史をたどるとともに、産業技術などを学んでいただけます。」と。

 たしかに屋内外に展示してある航空機は、実機が多かった。建物に入ってまず目を惹いたのがサルムソン2A−2型機。この機体は復元されたものだが、歴史的には日本の航空機産業の草分けであり、各務原飛行場で誕生した第1号機となったものである。複葉機で見た目の美しさがあった。後ろへ回り下から見上げると、胴体内部は木製であった。初期もそうだったのだろうが、「多分、金属部分は違っただろうね」とリーダー同士話し合った。「私達が子どもの頃、模型飛行機の高級機はこんな胴体や翼だったが、高かったので棒胴体の飛行機を作ったよなあ」・・・と会話した。実機展示場では実験機「あすか」をはじめ戦闘機まで各種の展示があり、内部を見学できるものもあった。国産の飛行機もあったが、コックピットの計器板は全て横文字。「国産なら日本語でもいいのにねえ」と、私。だって、国産の航空機で輸出されたものはあるのかしら? YS-11が外国の空を飛んでいるのが、唯一例外か? その他に「愛・地球博覧会」で展示された(アメリカ館)火星探査車「マーズ・エクスプロレーション・ローバー」も展示されていた。ただ「宇宙の挑戦から」のテーマでの展示は、HUロケットの説明であった。一世代前で、今は「HU−B」の開発研究が開始されているだけに、内容の変更を期待したい。1Fに「対話ロボット」なるものが展示され、独特の言葉(?)で喋っていたが、「このロボット、なにを言ってるのか分からん」とT 団員。

 屋外では、狭い機体にしっかりと必要なものを詰め込んだYS-11や双発ヘリコプターなども展示してあり、内部を実際に見ることもできた。分団長は、ミュージアムショップで「水ロケット」用の部品を購入していた。1時間に満たない見学時間、「もう少し時間が欲しかった」との感想があったが、これは次のトヨタでも同じであった。その後、近くのレストランで昼食。昼食時の一こま、「食べるときには“いただきます”と言わんと」と、私。「“いただきます”。僕はお父さん似だ。」とM団員。「うん、お父さんは“いただきます”言わんの」、「うん、言わん」。こんな会話もありました。

 

 次の見学地へ向けて移動の途中、マイクロバスも昼食を欲しがったので「車のレストラン(ガソリンスタンド)」を探しながら走ったが、28日にオープンしたイーオンへの車で渋滞。どの地方でも郊外型のモールショップがオープンすると、近くの人々は交通渋滞で迷惑する。私の居住地の近くにも郊外型店舗がオープンしているが、土日・祭日は車の渋滞で困っている。周辺の狭い道(道路ではない)にも車が入ってきて困惑。「やれんなあ〜!」。

 

<トヨタ博物館>

 パンフレットには横文字で「TOYOTA AUTOMOBILE MUSEUM」とある。「自動車の博物館」ということだが、カメラや日常雑貨の展示もあった。また、車は国内外の色んなメーカーの物が展示されていた。ここでも時間不足。駆け足での見学と相成り、「もっと時間が欲しかった」とか「他の団体はガイドを受けながらの見学で、私達もガイドが欲しかった」などのご意見を頂いた。「反省!」である。次回から生かさなければ。

 私達世代にとっては「車」は別世界の物であった。市井の人々が利用できるものは乗り合いバスであり、自家用車が生活の中の主要な手段となるとは予想だにしなかった。だから、こうした博物館の展示品に一喜一憂するのである。が、現在を生きる子ども達にとっては「車」は当たり前のものであり、とりたてて珍しいものではないので興味・関心の惹き方が違う。それは「蒸気機関車」に群がる(?)実態も同じ意味を持つかもしれない。

 このミュージアムは2Fが欧米車、3Fが日本車の展示場となっている。また、新館では2Fに「生活と車」のテーマでの展示がある。欧米車両は車の変遷を知るには素晴らしい展示であり、今乗れるなら乗ってみたいデザインでもある。現在のようにIC化されて全く分からないエンジンルームではなく、シンプルで必要最小限のものでしかない。日本車の展示場では、見学する私達リーダーの世代感覚が分かる。他のメーカーの車両も展示してあり、本当に懐かしい。私が初めて手にしたホンダN360も展示されていた。真っ赤な塗装のN360で万国博覧会を見学に行った記憶がある。まだ、中国地方に高速道路なんてなかった時代のことである。スバル360もマツダの360クーペもシンプルで良い。本当に小さくてかわいい。

 メロンパンを焼いて売る車の展示もあった。あの車は福山地域だけかと思っていたが、全国展開なのだろうか。軽のバンを改造したキャンピングカーも展示されていた。なるほど、こういう改造もあるのか。

 「生活と車」のコーナーでは、懐かしい「バタンコ(3輪自動車)」や木炭車も展示されていた。カメラや家電も古いものが展示されていたが、子ども達はどんな目で見ただろうか。あるいは、興味・関心も示さず駆け抜けたかもしれないね。木炭自動車は、私の古い記憶の中で生きている。私は子どもの頃、あの軍港で有名な呉で生活していた。戦後の混乱期に「トレーラーバス」なるものが“庶民の足“として走っていたが、それが木炭自動車であった。運転席の後ろから、モクモクと煙を出していた。

1960年代から車も身近な存在となり3Cブームが起きましたが、さてここで問題です。3Cとは一体何でしょうか。頭文字にCの付くもの、そうです「カー、カラーテレビ、コンポーネント」。生活が段々贅沢になり始めました。

 

<南極観測船「ふじ」>

 「16時半までに入館しなければならない」と名古屋港へ急ぐ。東京のお台場には「宗谷」が係留され公開されているが、「ふじ」は一回り大きい。バスを降りて「ふじ」へ急ぐ。「17時までですから」と係員。もう少し親切心はないのだろうか。「ふじのスクリュー」は2つとも外されて公園で展示されていた。氷海での格闘の跡か、かなりの傷が見受けられた。「宗谷」には入ったことは無いが、「ふじ」は結構大きな船である。内部も効率よく造られているようだ。「観測船」の役割が大きいので、そのための機器やスペースが大きい。生活空間などはベッドに見られるように十分ではないが、不自由はなさそうだった。後部のヘリポートとなる甲板も広かった。操舵室は特別変わったものはなかった。とにかく、時間に追われた。「もうじき閉館の17時になります」というアナウンスが煩く聞こえた。「南極の氷」や「南極の石」なども展示してあったが、南極の石は我が家にも標本としてある。「片麻岩」の一種であるが、地球の歴史が読み取れるような気もする。

皆が下船して待っていると、M団員と母親がまだ船上にいた。何でも「船の上で小鳥の雛が落ちてきた。助けようとしたら母親らしき親鳥がやってきたので、そのままにしてきた」とのこと。何と優しき団員か。彼は、本当は優しく思いやりのある子どもなのだ。

現在、南極へ行っている観測船は「しらせ」。日本人で初めて南極大陸へ足を踏み入れた男、白瀬 矗。その栄光を記念して名づけられた船「しらせ」である。

 

<本日の宿舎「ハーバーロッジなごや」へ、そして夕食と入浴>

 夕食はイタリア村で摂り、風呂はスーパー銭湯“花の湯”へ行く。よって宿舎へチェックインして、必要な物だけを持ってバスで移動する。イタリア村はスーパーのようなもの。3Fにバイキング様式のレストランがあり、1〜2Fはショッピングモール。近くには水路も造られ、ベニスを模してゴンドラが浮かべてあった。夕食はバイキングで、好きなものが好きなだけ食べられるということだが、肉気たものばかりで私向きではなかった。おまけに隣室では結婚披露の宴で、騒々しかった。若者(?)は周囲を気のすることなく騒ぐんだねえ。

 食後、銭湯へ。湯があるだけで、石鹸等のサービスはなかった。ただ湯に浸かるだけ。大きな満月を見ながら宿舎へ帰る。明日も晴れと思いつつ。

 宿舎ではリーダーと親の懇親会をしたが、全員が揃った訳ではなかった。それでも意思の疎通を図るには十分だった。23時頃解散し就寝したが、夜中に雨音で目覚めた。物凄い雨だった。

二日目(7月30日)

 9時半に開館する名古屋港水族館へ行く。入り口近くで西田親子4名が合流。今朝、福山を始発(6時25分)の新幹線で出てきたという。強行軍だねえ。今夜は私達が泊まった宿に泊まるという。色々日程の都合で一日ずれたのだろうね。

 開館時間に合わせて入館。11時から「イルカのショー」があるので、それまでは自由行動。今日は時間的なものもゆとりがあり、満足いく見学だったと思う。イルカも賢いねえ。良くあれだけのことを憶えるものだ。この水族館では「シロイルカ」に子どもが2頭生まれ、目下飼育中。薄暗い水槽が、窓越しに公開されていた。「シロ」というから「白」いのかと思ったが、通常のイルカよりは白っぽいだけだった。(島根県浜田市のシロイルカも同じようなものだろうな。)

 11時半から30分間のショーの終了後、全員が貸し切りバスに乗り換えて今回のメイン「飛鳥工場見学」へ。埋立地の中にあるようだが、工場ばかりで公的交通機関(路線バス)は走っていないという説明があった。大型のトラックが荷を満載して通行し、本当に騒々しかった。

 

<且O菱重工業 名古屋航空宇宙システム製作所飛鳥工場見学>

 予定通り13時に到着。総務課の前で主任の石井 大策さんが待っていて下さった。この工場では写真撮影は厳禁とのことで、見学記録は撮れなかった。飛鳥工場では航空機とロケットを、大江工場では航空機を造っているとか。勿論、航空機は完成品(戦闘機やヘリコプター等)や部分品(ジャンボ等)を製造しているとのことだった。

 会議室では説明と会社の概要を映像で見せてもらったが、子ども達には難解だった。見学フロアーが狭いので2班に分かれて移動した。先の班が工場見学に行っている間、残った班はビデオ視聴とお土産売り場へ。以前の守衛室を改造して、土産物売り場とちょっとした展示スペースを造る予定とか。現在は土産物だけが置いてあり、三々五々購入していた。と言うことは、今後も公開は続けるのだろうか。それともVIPのみを対象にするのだろうか。

 私は2班について見学した。飛鳥工場のロケット製造スペースは30m×100m

の床面積であるという。工場は3階吹きぬけで、内部に14号機と15号機の2機が製造中として置かれていた。私は種子島の倉庫でHUの機体を見たが(現在はつくば宇宙センターで屋外展示をされています)、初めて目にする人は「あれがロケット?」と頭を傾げられるかも知れませんね。1段目が2つと2段目が2つ、確かにありました。メインエンジンからフェアリングまでを接続すると、太さφ4mで全長が52mになるようです。建物で言うと15階建て位になるのでしょうか。本体の材質やロケット表面の材質などの説明を受けて、組立工場を後にしましたが、「ロケットは1年間に2機しか製造できない」とのことでした。その全部が「手作り」とのことで、なかなか大変な作業のようでしたね。工場内部に入るには、エアーシャワーを浴びたり、クリーンルームで体の埃を払ったりと、汚れにもセキュリティーにも厳格でした。

 建屋を出てバスに乗る頃、右の方向から大きな荷が近づいてきました。説明してくださった方の話では「ジャンボジェット機747の胴体に翼を取り付ける部分」なのだそうだ。大きな部分品がゆっくりと通り過ぎるのを待って、最初の会議室へ戻りました。この部分品もロケット本体もすぐ側の岸壁で船積みされて、ロケットは種子島へ部分品はアメリカへ船便で輸送されるとのことでした。飛行機の部分品は製造過程で溶接されること無くすべてリベットで留められているということですが、ロケットはつなぎ目は溶接されています。

 会議室に戻り、若干の質問に答えていただいた後、展示されている軽飛行機の前で記念写真を撮りました。お世話くださった皆さんにお礼を言って、15時に飛鳥工場を後にしました。

 

<帰路>

 帰路は、南に下り紀伊半島を東から西に名阪道を走りました。奈良県を通り抜け、近畿道から中国道・山陽道をひた走り、21時過ぎ無事に出発した事務局裏の駐車場に帰着しました。長年の懸案事項であった「ロケット製造工場の見学」は終了しました。参加者の感想はどうであったでしょうか。運営側の者としては無事終了したことに安堵し、この紀行文を終了します。