佐賀:熊本:大分紀行
〜7月活動のための視察〜

専務理事:中村 隆嗣



 2006年度の事業活動として「火山学習」を計画した。湾曲した列島で土地が出来ている日本列島は、いわゆる「火山列島」である。有史以前からの火山活動によって土地は形成された。火山の痕跡は福山地域でも見られる。仙酔島はその一つである。そうした環境にある日本に住み、生活している我々が「火山」について知ることは大切なことであり、加えて環境問題が取りざたされている昨今だけに、自然エネルギーを活用しての発電施設「地熱発電所」を見学学習することは大いに意義あることと考える。また、大昔の我々の祖先が生活していた遺跡「吉野ヶ里」で過去を知ることも自分のアイデンティティーを形成する上で大切だろうと考えた。このような遺跡は、青森県の三内丸山遺跡、鳥取県の妻木晩田遺跡の三箇所で見られるが、ここ吉野ヶ里が規模で勝る。

<吉野ヶ里遺跡>

 順調に調査、再建されていると見られ、随分遺跡エリアが拡大していた。“葦”で葺かれた竪穴式住居も数多く復元され、それぞれの建物の中で色々な物の製作が行われていた。案内役の人が待機されていて、参観者の質問などに対応されていた。見張り台は高く作られ、いくつかは上って眺望することができた。資料館にはこれまでの調査の経過や出土品が展示され、大陸からはるばる渡来した人々の生活や、土着の祖先との係わりなどが推察される。十分な時間をとって、私達日本人のルーツについて学ぶことは大切なことだろう。親子でしっかりと対話してくれることを望みたい。

<御船町恐竜博物館>

 「車にも昼食を」とGSを探し、燃料補給。その後自動車道をJCまで戻り、九州自動車道を御船ICで下りる。カーナビが拗ねて上手く働かないので多少迷い、小学校に紛れ込む。PTC行事なのか、母親が多く立たれていた。変な車が入ってきて不審に思われたのではなかろうか。お一人に場所を聞く。学校の裏だった。町役場の片隅にある小さな博物館だった。入り口には“ティラノザウルス”が立っていて、入館者を迎えていた。口の中にはお茶の空き缶が入っていたが、主食は空き缶なのだろうか。そういえば、不味そうな顔のように見えたのだが。過去にこの近くで恐竜の骨の一部が化石として発掘されたことが、この博物館の由来と聞いた。展示物は恐竜関係は殆どがレプリカ、化石も一部はレプリカだった。でも、かなりの点数が展示されていて、学習には適した環境に見えた。生活の近くにこうした施設があるということは、子ども達の興味・関心を喚起し、将来の人材育成には大いに貢献すると思う。福山にもこうした施設が欲しい。無くては成らない物だと思うのだが、行政にその意識は乏しい。私自身の収集品として数十点手元にある物を、いつか展示して見せてやりたいとは思っている。

 熊本市内のホテルへの道すがらKリーダーの実家へ立ち寄り、墓参を。静かな落ち着いた町で生まれ育ったから、Kリーダーの今があるのだろう。IリーダーとTリーダーは“はなこ”という犬を脅していたなあ。

 熊本城も水前寺公園も閉門時刻が早く、どこも見学できなかった。「今回は“物見胡散”ではない、視察だ」と言う代表理事の言葉を思い出し、諦める。水前寺公園への道沿いに流れる川面に鴨の群れが泳ぎ、水中には大きな鯉が群れていた。阿蘇の伏流水が噴出するといわれる熊本の川は、清く水が澄んでいた。

 静かに熊本の夜は更けていった。

2月5日

 朝食は6時45分から。5名は1Fへ食事に着たが、2名が来ない。7時半前に出発準備をしている頃に食堂へ顔を出した。ほぼ予定通りにホテルを出る。阿蘇山へ行く途中に「地獄温泉」へ立ち寄ることに。進行方向遠くに風力発電の風車が10基。熊本空港の滑走路下をくぐって、一路阿蘇へ。立野駅のスイッチバックを右下に見ながら、車は高度を増していく。その昔、このあたりが崩壊して「阿蘇のカルデラ湖」が流れさり、その後今の阿蘇山が噴火し中央火口丘が出来たといわれる。その場所の急崖を列車が上るために“スイッチバック”方式が取られたのである。ちなみに福山近くでは、島根県のJR木次線出雲坂根駅で見ることができる。

<阿蘇山・火山博物館>

前方に見える“噴煙”を目指して、とにかく高度を稼ぐ。駐車場へ行くと有料道路は閉鎖中。ロープウエーも止まっていた。「火山ガスのため閉鎖」と案内があった。4ヶ国語(日本語・英語・韓国語・中国語)で書いてあった。そういえば、12月に「九州地区リーダーズセミナー」で指宿へ行った時、JR九州の車内案内はこの4ヶ国語でされていたのを思い出した。中国・韓国からの旅人が多いのだろう。北からの風で噴煙が南に流れ、併せて火山ガスも流れるので閉鎖されているとのことだった。冷たい強風の中記念写真を撮り、珈琲も飲まずに次の施設へ移動する。本当にススキの群落。放牧されている牛や馬の餌の為に管理されているのか、それとも昔の建物の屋根を葺いた“萱”の確保で管理されていたのか、山頂のみならず一面ススキ、またススキ。四輪駆動車で走ってみたい光景である。雪の無いスキー場は荒れ果てていた。「草千里」、火口丘の一部のカルデラ湖だった所が草原になったのだという。僅かに残る水場は凍っていた。時にスケートができるという。その「草千里」前に「火山博物館」はある。展示内容はかなり難しいが、一見の価値はある。ただ入館料金が高い。短時間で阿蘇の歴史が学べる。この日は韓国の旅行者が多かった。阿蘇火口湖のライブカメラは面白い。沸き立つ火口湖の様子が分かる。展示されている写真の中に、火口近くで野球をしている写真(昭和7年)があった。驚きであった。ここでティータイムの予定だったが、先を急いで「国立阿蘇青年の家」へ向かう。途中、展望台から“米塚”を俯瞰する。古墳の土饅頭のような地形だが、何故“米塚”と呼ぶのだろうか。「郷土美術館」という施設があった。10年くらい前に私が訪れた時は「徳川美術館」と呼ばれていたのだが、何故に名称がかわったのか?

<国立阿蘇青年の家>

 ロケーションも環境も素晴らしい場所にある施設。HPではまだガラガラ空きだったのに、事務所で伺うともう満員。あのHPは一体どうなっているのか。毎日、時間をおかずに更新してくれないと困る。予定していた7月末は満員でダメだった。「昼頃に一週間前の土日が空いた」と言われた。「午前中に来られたら、この日も埋まっていた。運が良かったですね」とも言われた。利用頻度の高い施設らしい。一応、「大人・子ども合わせて50名程度」ということで予約を入れて帰った。今回の視察の一番の目的を終了した。使用の決まりが厳しい。たまにはそれも良いことか。

 “簡保の宿”で昼食を摂る。バイキング、自分の好きな物を好きなだけ取ればいい。日本人の悪い癖、食べきれないのに取ってくる。一人2000円。料金分食べただろうか。帰りに踏み切りで列車と出会う。2両編成の特急列車。編成も色も可愛らしかった。「阿蘇神社に寄っていこう」と代表理事。パーキングマークがあったので駐車したところ、“有料”。隣に神社の無料駐車場があった。TVのコマーシャルではないが「よく確認しなくちゃ」である。この神社は「流鏑馬」と「火振り祭り」があるところ。天皇も行幸された所。肥後細川家縁の神社らしい。

<八丁原地熱発電所>

 過去のカルデラ湖の跡は平地であるが、外輪山の頂きへの道は急勾配のつづら道。車は喘ぎ喘ぎ(?)上っていく。外輪山の頂きから来た方向を振り返ると、「なるほどなあ〜」と陥没の跡をおもいやることができる。自然のエネルギーは凄まじい。冬景色の高原を一路「地熱発電所」へ。途中にある温泉の看板を見ると「温泉だ!」と叫ぶ乗客がいた。確かに温泉は多い、というよりは温泉ばかり。地面から湯気が出ている様子から、地下の湯溜まりが浅く、広範囲にあることが推測される。雑木林の続く中、すれ違う車の屋根にはスノボーやスキー板。「スキー場でもあるんかなあ?」と会話しながら進むと、突然草原の中に一筋の白いスペースが。「あっ、人工雪だ」と。全長1000mの人工雪ゲレンデとのことだった。駐車場もゲレンデも満杯。「あ〜あ。すべりたいなあ〜」と感想を洩らした。北に目を転じれば、谷あいから上がる蒸気の雲。地熱発電所は近い。「こんな山ん中だ。人はいないだろう」と思って「展示資料館」へ入ると、先客が数名。丁度「説明を聞き、構内案内」に入る所だった。資料館でガイダンスを受け、発電所の外部施設と内部の発電機・タービンを見る。冷却塔は凄かった。建物上部からは冷却の為にファンが回り、空気を上に強制で排気する。そのため、側面からは空気が流入するのだが、低温の為に水が凍っていた。1m以上もあるツララや氷の塊が出来ていた。その後、資料館へ戻り説明用の映像を見る。「地熱発電所」の映像は分かりやすく作ってあったので、受付で「DVD(CD)をダビングしてもらえないか」と尋ねたが体よく断られた。ここでも見学の予約を入れておいた。

<帰路>

 大分道まで山を下る。助手席に「ナビゲーターをする」と言って座った代表理事、「カーナビが正常に動かん」と言う。見れば高千穂あたりに車はいることに成っている。休ますことなく働かせていたので、多分、ストライキだ。案の定、少々休ませると動き始めた。機械にも意思があるのかなあ。

 道すがら、ログの別荘も多かった。「豊松より大きいなあ」とか「豊松の方がええで」とか。

 高速に乗るとあとは一本道。ただひたすらに事務局へ向けて。「ほらっ!抜かれた!」などと運転手を煽りながら。九州を出る頃にはとっぷり日も暮れ、“布刈SA”で土産を買う。「熊本へ行く、と言ってでたから“熊本の土産”がいる」とIリーダー。「陣太鼓」を買い込んでいた。下関タワー辺りは照明が綺麗だったが、もう少し灯りが欲しかったねえ。ヘッドライトに照らされた路面を見つめ、追い抜く車輌、追い越してゆく車輌を眺めながら、真っ暗な山陽道をひたすら東へ。小郡・徳山など人や工場が密集する地域は明かりが鮮やかだが、人気がなくなると周囲は真っ暗。日本にはまだまだ自然が残っているなあ、と変な納得。

 20時過ぎに宮島SAへ着く。慌しく夕食を摂り、福山東IC経由で事務局へ着いたのが22時過ぎ。写真データを整理して解散した。初期の目的を達成しての視察だった。さてさて、7月活動にはどれ位の参加者があるだろうか。折角の阿蘇、温泉にも入れる計画を立てなければ。