豊松閑話(その3)

専務理事(事務局長)中村隆嗣


 10月31日(月)付けの中国新聞朝刊の見出し。「備後宇宙少年団神石高原に施設 ボランティア手作り」と「森のログハウスで天体観測しようよ」とある。この見出しは正しくない。正しくは「NPO法人日本宇宙少年団 備後ローズスター分団 神石高原に施設」であり、「リーダー手作り」である。取材を受けた者は正しく説明したのだろうが、記事にする方が誤記をしたのだろう。記事の内容でも「ボランティアの住民有志」とある。リーダーの頑張りが陰ってしまう。
 ともあれ半年に及ぶ作業の結果として、30日に「落成式」を実施した。天気に恵まれ、初秋の陽光のもと多くの来賓や関係者の参加を得て、午前10時「神事」をスタートさせた。神事では関係者の代表が“玉ぐし”をささげ、続いて子ども神楽(広島県無形文化財)の奉納舞を行った。えびすさんの撒く紅白餅をわれ先とキャッチする姿は、最近あまり見られなくなった都会での行事の簡素さを実感せざるを得なかった。分団員の参加は非常に少なかったが、「文化」という側面を考えた時、非常に得難い経験・体験になったと思う。時間的には神事と神楽舞は長かったが、飽きることなく参加することができたと思う。

 神事の終了後に実質的な「落成式」。YAC憲章の唱和の後、伝書鳩を放鳥した。この鳩は佐藤相互建設株式会社代表取締役の佐藤英明さんが飼育されている、レース用の伝書鳩。100羽を超える数の鳩が一同に頭上を旋回する光景は圧巻であった(何かにつけ“初体験・経験”の落成式だったように思う。)。続いての代表理事(分団長)の式辞の後、宮澤洋一衆議院議員から贈られたパネルの贈呈式があった。このパネルは、NASDAの宇宙飛行士として初めて宇宙を経験した毛利 衛(現日本宇宙少年団長)さんがフライトを終えて帰国した時に宮澤喜一総理大臣に贈った物で、日の丸や自筆サイン等で彩られた物であり、世界に一つしかない貴重な物である。我が分団の宝物になった。
 来賓の祝辞、来賓紹介、研修センター建築に係わって物心共にご協力を頂いた方々への感謝状の贈呈、祝電の披露等を終えて無事に落成式を終了し、鏡開きと相成った。が、乾杯も出来ずに記念撮影。全てが終了したのは12時半を大きく過ぎていた。我が分団には多様な名人がいる。お茶うけのシュークリームはケイキ名人、金尾リーダーの手によるもの。最後は、我が分団の蕎麦打ち名人「清水亭」の手打ち蕎麦を堪能していただき、本日の行事の全てが終了した。
 豊松は自然の真っ只中である。この施設の近くには、活動に使用できる“雑木林”がある。未だ林床は手入れがされていないので、落ち葉などが積もり、枯れた枝が散乱し、棘のあるつる性の低木が生い茂っている。この雑木林を有効活用し、自然との共生とはどういうことなのかを体で体験し感じさせたい。代表理事(分団長)の想いは、この雑木林を手入れしてここに「ツリーハウス」を建築させたいのである。このことは分団員にも保護者にも、指導するリーダーにも「胸ワクワク!」の構想だろう。落ち葉や枯れ枝を集めて腐葉土を作り、花や野菜を栽培する。また、カブトムシなどの幼虫を飼育する。クラフトもできる。夢は大いに広がっていく。
 宿泊のできる施設である。天気が急変しても部屋はある。落ち着いて長時間の天体観測や星空の撮影もできるだろう。近くの畑には仏法僧の巣箱も取り付けられている。椿や山茶花の花も咲く。柿の実もたわわに稔る。初夏にはどどめ(桑の実)も熟れる。スズメバチなどの昆虫も多く飛来する。探鳥会や自然体験も十分にできる。南西方向には標高600mばかりの米見山(玄武岩ドーム)が聳え、頂上には“紙ヒコーキタワー”があり折り紙ヒコーキが楽しめる。分団員挨拶(荒木 舞さん)にもあったように、「ここで将来を見つめたい」。自分の進路や悩みが考えられ、解消できるだろう。建てた私たちも期待するところが大きい。

 完全な形での完成にはもう少々時間が必要である。これまでの半年間、自分の時間のみならず、中には本業を犠牲にしてまでも建築に従事したリーダー達がいたことを忘れてはならない。出来上がった建物だけを見ると、「素晴らしい物ができた」と思うだけかも知れないが、裏で頑張ったリーダー達がいたことを忘れて欲しくない。もう少し、自分の時間を犠牲にしなければ完成には至らない。
 NPO法人日本宇宙少年団備後ローズスター分団での活動も、日々生活している中でも、私たちは誰かの世話になり、見えざる誰かの援助を受けていることを改めて感じ取って欲しい。そして、「夢想学舎」での活動から、さらに人間の生活は自然との共生、自然とは切ることの出来ない“縁”があることを学び、智恵として自分の糧にして欲しい。
 「夢想学舎」の落成式を終え、こんな事を考えた。この閑話で3話続いた「豊松閑話」を締めくくることにする。