紀伊山地紀行

 
日時:2005年3月5日(土)〜6日(日)

中村 事務局長


☆ 3月5日に「みなべ梅の里分団」が結団された。結団式に招請されたので、リーダー含めて14名が、出席がてら紀の国を訪れた。

 

       3月4日の23時55分に事務局前を出発。車両はいつものマイクロバス。この型のバスはこれで3度目。初回は種子島宇宙センター訪問時。2回目は、呉で開催した中国地区連絡協議会結成とリーダーズセミナーの時。白浜着予定を7時に設定していたので、自動車道も制限速度で。賑やかだった車内も、車内灯を消すと静かになった。このあたりは人間も動物。暗くなると習性で眠るのか。皆が寝ても起きていなければいけないのが、運転手とナビゲーター。でも、マイクロでは熟睡できないようで、鼾は聞こえなかった。車載のカーナビが「御坊IC」で降りるように指示。従わなくても良いのに、聞き分けが良いのか運転手が指示通り走行、国道へ。土曜日の早朝、車は殆ど走ってなかったから、順調に走行できたが、信号機は早朝からしっかり働いていた。薄明とともに白浜に到着。一年も経たない間に2度もここを訪れるとは、思いもしなかった。「牟婁の湯」の開業が7時なので、それまで「日の出を見よう」と散策。飛行場、アドベンチャーワールドなどを移動してみるが、なかなか適地は見つからなかった。薄明の千畳敷は趣があった。遠くに漁火が揺れ、近くは磯で泡立つ白波が綺麗だった。早朝の冷気で、いっぺんに目が覚めた。

       7時前に公衆浴場前の駐車場に車を停め、時間待ち。この風呂は湯の色が茶色だった。温度は幾分高めで、夜通し走ってきた体には心地よかった。(バスも入浴したがっていたよ〜陰の声)ここ白浜町は71歳を越えた町民に、公営の施設には無料で入れるパスポートを発行しているとか。だから、早朝から公営の浴場に年寄りがいっぱい居たのだ。頷けた。その後、8時前に「ままごとや」という喫茶店へ行く。分からないままに事務局でインターネット検索して探り出した飲食店。電話まで入れて、開店前に開けさせた。朝食はバイキング方式のモーニングサービス。この分団のリーダー達の食欲の凄さ。ああ、店は赤字になったのではないか?と、1人心配した。白浜で入浴と朝食を済ませ、一路結団式の会場へ。多少迷いつつも無事、時間前に到着。

       会場は公共施設。教育委員会と図書館が入っていた。日本宇宙少年団の制服、フライトスーツに身を包んだ27名の分団員が勢ぞろいしていた。何度経験しても「式」というのは身が引き締まる。分団員達も緊張していたことだろう。こちらの参加者、リーダー達は睡眠不足で頭の中も目玉も、ぼーっとしていた事だろう。和尚もいつもと違い、緊張してキリリとしていた。来賓として、森田分団長も挨拶をされた。奈良「まほろば分団」の二唐分団長が、「参加できないが、祝電を打ちます」と言われていたが、分団として祝電を打たれていた。県知事の祝電にはさすがに驚いた。懇意にしている人材がいたのかも知れないが、熱い思いが感じられた。結団式後、記念撮影。我が分団のカメラマンも頑張っていた。的川先生は「都合がつけば是非行きたい」とおっしゃっていたが多忙なようで、記念の講話は斎藤専務理事がされた。素晴らしい資料をお作りのようだったので、図々しくコピーを依頼した。(4月の委員会の際、フラッシュメモリーにコピーして持ち帰る予定。)話の内容は少々難解だったように思えるが、宇宙少年団だ、あれで良かったのかもしれない。アルコールロケットには、喜々として瞳を輝かせて見入っていた。終了してみたら、2時間の予定を大きく上回っていた。

       その後、和尚の息子さんの案内で「修験道場」へ。ここは、今年の8月に我が分団の分団員を連れてくる場所だ。「自然に恵まれた」ではなく、「自然の真っ只中」なのだ。道中、梅の花が見事だったが、残念な事に車を停めなかったから「梅の花の香」は味わえなかった。道場で昼食を摂り、疲れがピークに来ていたのでそのまま本日の宿「鶴の湯温泉」に向かう。チェックイン・部屋割り・入室後、温泉に浸かる。少々高めの湯だったが、いい按配。疲れが湯の中に抜けていくようだった。宿は周りを山に囲まれ、近くには数件の民家のみ。明かりはなく、騒音もなく、飲みに出ようにも出られない素晴らしい環境。目の前に「ログハウス」が一軒建っていた。17時半に赤松和尚(副分団長)と奥様、そして息子さんが岩本分団長・事務局長をされる細川さん(みなべ町教育委員会地域教育主事)と共にお出でになり、夕食をかねての懇親会となった。適度な体の温もりと、適度なアルコールで睡魔がやってくる。2時間ほどでお開きにして、夜の帳に身を委ねた。

       6日(日)、朝食は7時。若者(?)は早起きして温泉に。行けば湯船に和尚の頭。わざわざ、早朝から顔を見せにお出でになったようだ。朝食後、若者(?)数名が、和尚の説教を聞いていた。さぞ、悟られた事だろう。(次回の協議会では、顔が輝いているかもしれませんよ)白浜行きを止めて、車は一路新宮を目指す(した予定ではあったが、予定はしばしば変更されるもの)。龍神から中津川へのコース(これもカーナビの指定)を取る。国道425から国道371に入るが、この国道は僅か。どうやら予定の国道らしく、途中から県道に標識が変わる。左は崖、右は深い谷という道。頭蓋骨の縫合線のようにくねくねとした道。勿論、速度も出せないが左右にゆられ、車酔いをする人も。しかし、どんな山奥にも人の気配あり。「何故、こんな所に」は私たちの勝手な感情だろう。危険を伴っただけに、景色は最高。おまけに雪景色つき。3時間ほどかけて十津川温泉に着く。紀伊半島の南部や山中は、「2度来ることはないだろう」と言いつつ、滝へ行くのを中止し「谷瀬の吊り橋」へ行く事にした。車は北へ向きを変えた。十津川(新宮川)沿いに北へ向かう。人家もまばら、人影もまばらな地域だけに、川は綺麗だった。「青く済んだ水」という表現が正にぴったりの川面である。この十津川村はNHKTVの連続ドラマで有名になり、この吊り橋も観光客が増えたという。あの時代が思い起こされるような自然環境であった。全長257M、川面からの高さ52Mとのようだが、今日は風が強かった。風は冷たくよく揺れた。「怖い」と言って渡らなかった参加者が数名居た事を明記しておこう。現在も子ども達の通学路になっている吊り橋。歴史の重みを靴底で感じながら、往復した。教育活動は「歴史」を紡がねばならない。そして「今の時代」の味付けをして、「次の時代」へ繋いでいく活動である。言い換えれば「生き様を繋ぐ」ということになろう。頑張らなければならない。その後、西吉野村で「柿の葉寿司」を買う。「買う」のは車を停めれば必ず行っている活動なのである。したがって、車は出たときよりは帰ったときのほうが随分重さが増えていた。

       奈良盆地から大阪へ抜けるのに、山越えをしなければならない。昨夜雪が降ったらしく、山道にかかる所に「凍結注意!チェーン装着」との表示。「ええい!行けっ!」と。昼過ぎの時刻、凍結はなかろう。でも、これで何度山越えをしたことだろう。河内長野を経由して羽曳野へ。美原ICで自動車道に乗る。これで一安心。あとは一路、事務局へ。夕日を正面に受けながら、120K/時で走行するも太陽の動きのほうが速く、段々に暗くなる。三木SA、溝口SAで休憩しながら20時頃に事務局へ無事到着。長かった移動も終わった。運転されたリーダーに感謝しつつ分かれた。

       兄弟分団がまた誕生した。月末にはもう一つ誕生する。先の分団と後の分団は距離的に近いから積極的な交流活動が期待できるが、「みなべ梅の里分団」は物理的に遠い。でも、今後できるところでしっかりと交流して行きたい。今年8月にはこちらから訪問し、分団員・保護者、リーダーの相互交流を実施する。我が分団の参加者を多く集める事が「成功への鍵」である。