佐藤朝山(さとう・ちょうざん):


彫塑家(1888−1963)。
昭和20年10月、相馬市中村町新沼の阿部豊宅の離家に仮寓。
この頃、敗戦による精神的苦悩の心機転換を求めるかのように『太平記』を読みたいと望み、また四書、老荘などを読破していたらしい(松本亨『天女開眼 佐藤玄々の芸術』昭和55年)。
 昭和21年、『陶物頭観音』を制作。
 昭和22年8月、墨画展を開く。同月、相馬市中村町新沼に詩人の土井晩翠を迎える。
朝山は青年時代から晩年まで晩翠の『天地有情』中、諸葛孔明の誠忠をうたった「星落秋風五丈原」の詩を愛誦していたという(松田亨、『天女開眼 佐藤玄々の芸術』昭和55年)。
同月末、大阪高島屋から朝山の芸術活動を後援させて欲しいとの要請により、弟子一人を伴い西宮市甲東園芝川山荘に移住、遅れて11月にみちの夫人も移る。
10月、修業中の東大寺南大門仁王像を見て感激し、その晩奈良の宿で石井鶴三と一夜語りあかす。
 昭和23年1月1日より「阿吽洞玄々
(あうんどう・げんげん)」と号する。
「玄々」は『老子』道徳経第一章の「玄之又玄、衆妙之門」よりとったもの。
5月、第13回清光会展に截金をほどこした『大黒天』を出品、美術評論家の矢代幸雄より「刀法最も鋭利諷爽と木質に切込み、底知れぬ神格神秘を感ぜしむる傑作なり」と評された書簡を受ける。
 昭和25年、『柿』『鼠』『香合』『聖大黒天』を制作。
 昭和26年1月、第5回無名会展に法隆寺夢殿の救世観音像をふまえた『大慈大悲救世観音菩薩』を出品。
3月三越社長・岩瀬栄一郎の懇願により、同店の創立50周年記念事業の一つとして日本橋三越本店中央ホールに巨像を制作することを契約。
この年、『栗鼠』『山兎』を伊勢神宮奉賛会に献上する。
 昭和27年、『蒼鷹』『巣篭鶴』『鶴』『置物』制作。
 昭和28年、『宝の小槌』『笑門福来』『鶴』『香合』制作。
 昭和29年1月、無名会展に『麝香猫』『救世観音』『神狗』を出品、これらを眼にした武者小路実篤は
「今時こんな作品があらわれるのは、奇跡だ、怪物だ」
と記している(「佐藤玄々の彫刻を見て」『朝日新聞』昭和29年1月29日付)。
 昭和30年2月24日、石井鶴三の訪問を受ける。
《日本美術院百年史より》