拓本「福原甚之助先生頌徳碑」 06657
丸山鶴吉 撰書
昭和13年(1938年)建立
213.5 ×69 cm
↓読み
訳 注
「福原甚之助顕彰碑」
広島県福山市神村町八幡神社境内に立つ
↓碑前面 ↓碑裏面
写真提供:松田利彦氏
福原甚之助
福原麟太郎の父、松永小学校校長
慶応3年(1867年) 広島県福山市新市町生まれ、号は鏡山(きょうざん)
明治19年7月 19歳 広島県師範学校中学師範科を首席で卒業
芦品郡新市小学校
明治19年 19歳 沼隈郡神村の神村小学校訓導、同村に居をかまえる
明治21年 21歳 神村の大塚カツと結婚
明治21年 21歳 安那郡高等小学校(神辺)
明治22年 22歳 松永小学校訓導
明治26年 26歳 松永小学校校長
明治37年 37歳 校舎狭隘につき二部授業を実施
明治39年 39歳 学校図書館を設置
明治41年〜
 大正10年
41〜
54歳
組合立松永高等小学校校長
明治44年 44歳 優良学校として県表彰をうける
大正7年 51歳 文部大臣より教育功労者表彰
大正7年11月 51歳 新設の小学校教員奏任官待遇制度で奏任官待遇
大正10年 54歳 退職
大正11年 55歳 沼隈郡立高等実業補習学校(県立沼南高校の前身)校長
大正13年 57歳 財団法人義倉図書館長
大正13年〜
 大正14年
57〜
58歳
備後郷土史会副会長
大正14年〜
 昭和4年
58〜
62歳
神村村長
昭和6年 64歳 上京し福原麟太郎氏宅に寓居
昭和11年1月 69歳 東京の寓居で病没、享年69歳、東京雑司が谷墓地に葬る。
氏は趣味人で謡曲、能、盆栽、演劇、読書などに一見識を有し、詩文に長じ、能書家である。雄弁家でその講話は聴衆に多大の感銘を与え、式日の講堂訓話は天下一品、居並ぶ児童父兄は感激の極めに嗚咽の声を洩らしたという。
著書に『尋常小学校珠算新書』、『鏡山堂小史』などがある。
大正元年(1912年)10月、福山市松永町に「丸山翁碑」を撰書、
大正13年(1924年)6月、福山市松永町下之町に「加藤翁彰徳碑」を揮毫。
その他、松永には福原甚之助揮毫の碑は数百に及ぶ。
昭和13年、子弟が相謀りて神村八幡神社の境内に頌徳碑を建ててその徳を讃えた。撰文並に書は教え子である貴族院議員・丸山鶴吉の筆である。
(あまね・く) あまねし、広くゆきわたる、うるおす
(さき・むかし) 以前、かつて、さきに
溘焉(こうえん) にわかなさま、にわかに、たちまち、多くの人の死去にいう
(落款)丸山鶴吉撰書 丸山鶴吉は、丸山鶴吉のこと
出典1:『備後先覚者名鑑−郷土を創った人々−』、18頁、村田露月文、式見静夫写真・編、備後文化出版社刊、昭和35年6月
出典2:『福山いしぶみ散歩』、108頁、「丸山茂助」、佐野恒男著、福山市文化財協会刊、1993年5月12日
出典3:『福山いしぶみ散歩』、115頁、「加藤翁彰徳碑」、佐野恒男著、福山市文化財協会刊、1993年5月12日
出典4:『広報ふくやま(bX88)』、28頁、「歴史散歩bQ23 福原鏡山頌徳碑」、福山市秘書広報課編、福山市刊、平成24年3月1日
2011年3月31日追加●2011年6月17日更新:訳注●2011年11月17日更新:建立年月・訳注・出典●2012年1月24日更新:タイトル・顕彰碑写真●2012年2月16日更新:訳注・出典●2012年2月17日更新:訳注・出典●2012年3月2日更新:タイトル・訳注・出典●