| 「東坡煎茶図」 03470 |
小田海僊 画
| 海僊= |
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39.5×53.5 cm |
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| ↓読み |
↓読み下し |
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| 海 |
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| この「大瓢貯月帰春甕小杓分江入夜瓶」は、以下に挙げている蘇東坡作の七言律詩「汲江煎茶」の第3・4句を抜き出して録したものである。この詩は蘇東坡が騙されて海南島に流された晩年における代表作。 |
| 汲江煎茶 |
江を汲んで茶を煎(に)る |
| 活水還須活火烹 |
活水(かっすい)また須(すべか)らく活火(かっか)もて烹(に)るべし |
| 自臨釣石汲深清 |
自ら釣石(ちょうせき)に臨んで深清(しんせい)を汲む |
| 大瓢貯月帰春甕 |
大瓢(たいひょう)月を貯えて春甕(しゅんおう)に帰し |
| 小杓分江入夜瓶 |
小杓江(こう)を分って夜瓶に入(い)る |
| 雪乳已翻煎処脚 |
雪乳已(すで)に煎処(せんしょ)の脚(きゃく)を翻(ひるが)えし |
| 松風忽作瀉時声 |
松風(しょうふう)忽(たちま)ち瀉時(しゃじ)の声を作(な)す |
| 枯腸未易禁三椀 |
枯腸(こちょう)未(いま)だ三椀を禁じ易(やす)からず |
| 坐聴荒城長短更 |
坐して聴く荒城(こうじょう)長短(ちょうたん)の更(こう) |
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| 訳 注 |
| 貯月(ちょげつ) |
月の影を浮かべて |
| 帰春瓶(しゅんへいにかえる) |
甕に入れる |
| 小杓(しょうしゃく) |
小さな杓子 |
| 入夜瓶(やへいにいれる) |
夜瓶に入れる |
| ◎ |
◎ |
| 活水(かっすい) |
流れる川の水 |
| 釣石(ちょうせき) |
川に突き出た石 |
| 臨(りん・のぞむ) |
かがむ |
| 深清(しんせい) |
深いところの清らかな水 |
| 雪乳(せつにゅう) |
茶が煮立って白くにごる状態 |
| 煎処(せんしょ) |
茶を煮るところ |
| 松風(しょうふう) |
湯がさわさわと沸いた音 |
| 瀉時声(しゃじのこえ) |
注ぐ時の音 |
| 長短(ちょうたん) |
鐘の音 |
| ◎ |
◎ |
| 東坡(とうば) |
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| (出典1) |
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蘇東坡(そ・とうば)のこと。蘇軾(そ・しょく)。中国・景祐3年12月19日(1037年1月8日)〜中国・建中靖国元年7月28日(1101年8月24日)。中国北宋代の政治家、詩人、書家。東坡居士と号したことから蘇東坡と呼ばれた。字は子瞻(しせん)。唐宋八大家の一人。蘇洵の長子であり、弟の蘇轍とともにそれぞれ大蘇、小蘇とも称される。
眉州眉山(四川省眉山市)出身。嘉祐2年(1057年)に進士となり、地方官を歴任後、英宗のときに中央に入る。しかし次代の神宗期に王安石の新法に反対して左遷され、再び地方官を歴任する。更に元豊2年(1079年)に詩文で政治を誹謗したと讒言を受け、投獄された後に黄州(湖北省黄州区)へ左遷となった。左遷先の土地を東坡と名づけて、自ら東坡居士と名乗った。名作『赤壁賦』(二つあるので前赤壁賦と後赤壁賦とも呼ばれる)が作られたのは、この黄州時代のことである。しかし蘇軾が詠んだ赤壁は、三国時代の実際の古戦場ではなかった(彼自身もそのことは承知の上だったらしい)。そのために現在では蘇軾が『赤壁賦』を詠んだ所は文赤壁、戦場の方を武赤壁と呼んでいる。
元豊8年(1085年)に神宗が死去し、哲宗が即位して旧法派が復権すると蘇軾も中央に復帰することができた。だが、新法を全て廃止することに躍起になる宰相・司馬光に対して、新法でも募役法のように理に適った法律は存続させるべきであると主張して司馬光と激しく論争したことから旧法派の内部でも孤立する。更に紹聖元年(1094年)に再び新法派が力を持つと蘇軾は再び左遷され、恵州(現在の広東省)に流され、さらに62歳の時には海南島にまで追放された。66歳の時、哲宗が死去し、徽宗が即位するにおよび、新旧両党の融和が図られると、ようやく許されたが、都に向かう途中病を得て、常州(現在の江蘇省)せ死去した。
蘇軾は北宋代最高の詩人とされ、その詩は『蘇東坡全集』に纏められている。
書家としても著名で、米ハイ・黄庭堅・蔡襄とともに宋の四大家と称される。蘇軾ははじめ二王(王羲之と王献之)を学び、後に顔真卿・楊凝式・李ヨウを学んだ。代表作に「赤壁賦(せきへきのふ)」・『黄州寒食詩巻(こうしゅう・かんじき・しかん)』などがある。 (出典2) |
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出典1:『新世紀ビジュアル大事典』、1458頁、学習研究社編刊、1998年11月9日
出典2:HP「ウィキペディア『蘇軾』」 |
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