「秋聲賦(しゅうせいのふ)」 t0420 | ||
阿部正精 書 文化5年(1808年)1月27日 32×226 cm |
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↓「秋聲賦(その1)」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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↓「秋聲賦(その2)」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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↓「秋聲賦(その3)」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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↓「秋聲賦(その4)」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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読み下し | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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大 意 |
われ欧陽子が夜中に書物を読んでいると、西南の方から響いてやってくる音が聞こえたので、はっと思って耳をかたむけて聞いて言った、「奇妙だな。初めは雨のはらはらと降るような音がしているうちに、風のさびしく吹きすさむような音になり、たちまち水が勢よく走って岩に当るような音がして、大波が夜急に起って、風雨がにわかにやって来たようである。そしてそれが物に触れると、かん高い金属性の音がして、金物や鉄が皆鳴っているように聞える。また敵に向って行く兵が、枚を口にふくんで物も言わずに速く走り、号令の声も聞えず、ただ人や馬の足音だけが聞えているというふうでもある。」と。 私は召使の童子に言った、「これは何の音だろう。お前家の外に出てしらべて見よ。」と。 童子は言った、「星や月が白く輝いてきよらかで、天の川は空にあり、雨が降っているのでもなく、あたりには人声もなく、人馬の影など見えません。その音は樹の枝の間に鳴っているのです。」と。 私は言った。ああ悲しい響よ。これは秋の声である。何のために秋は来たのであろう。 思うに一体秋の有様というものは、その色はいたましくあわくて、もやも飛び去り雲もおさまって静かである。 秋のすがたは澄んで明かるく、天は高く日の光も透き通って輝く。 秋の空気は身にしみて冷たく、人の肌や骨を針でさすようである。 秋の心持はさびしくて、山や川も静かに物さびしい。 だから秋の声というものは、物がなしく、さしせまってかん高く、呼びさけんで勢いはげしく起るのである。 ゆたかな草が緑こまやかに争い茂り、見事な木がこんもりとしげって、見る目も楽しめるのに、この草はこの秋の気に吹きはらわれると色が変り、木は秋の気に遭うと葉が落ちてしまう。 その草木がくだけ枯れ、葉が衰え落ちてしまうわけは、それはこの一つの秋の気のはげしい力の結果なのである。 一体秋は刑罰を司る官に当る。時節としては陰気が盛んである。又秋は生物を殺し枯らす性質があるので、武器に似た現象とする。 五行では秋は金にあたる。これを天地が正しい道理を断じて行なうはたらき、即ち義気という。 だから秋は常に物事を引きしめ殺すことを心とする。 天の万物に対する働きは、春には物が発生し、秋には物が実るのである。 故に秋は音楽では商声にあたり、西方の音を支配している。 十二律の中で夷則は七月、即ち秋の音律である。 商の字は音が傷で、物がもはや老いて、悲しみやぶれて、おとろえるという意味がある。 また夷則の夷は戮、即ちころすの意味で、万物は盛りを過ぎては、それを衰滅枯死させるのは当り前である。 ああ、草木の感情のないものでも、時には秋風に吹かれてひるがえり落ちることもある。 人間は感情があって動くものである。 それこそ万物の中で最もすぐれたはたらきのあるものである。 多くの心配がその心を感じ動かし、多くの仕事がその体をつかれさせる。 心の中に動くことがあれば、その感情をゆり動かすものである。 それなのにまして自分の力の及ばないものを思いねがい、自分の知恵でできないことを心配して、自然物とその生命力を比べ争うようなことをすれば、心身を苦しめることになるのはいうまでもない。 そのまっかな色つやのよい顔がすぐ年老いて枯木のように衰え、まっ黒な髪が白髪まじりになるのももっともなことである。 どうして金や石のように不変な生れつきでもない人間の身で、物事に感動しない草木の繁茂と生命力を比べ争おうとするのか。 それは不可能なことである。 思うに誰がこの人間の生命をそこない傷めることをするのであろう。 それは自然の理がそうするのである。 またどうして秋の声を恨むことがあろうか。 と語り了ったが、童子は答えもなく、無邪気に頭を垂れてねむっており、ただ部屋の四方の壁ににあたって秋の虫が断えず鳴き続ける声が、私の繰り返す感慨の嘆息(ためいき)を助けるように聞えているばかりで、いつの間にか夜が更けていたのである。 |
解 説 |
賦が、物象を形容し、事を叙し、景を述べる文学であるとすれば、この「秋聲賦」は、まことによくその特色を発揮しているといえる。秋風の吹く音の巧みな形容の中から、だんだんと中国古来の秋に対する伝統的な観念、陰陽五行思想や、周の官制や音楽上の律調などにまで言及し、自然と人生の密接な結びつきを叙述して行く。そして連想は自然現象と関連して人生の盛衰栄枯の詠嘆に拡がるのであった。詩人のこの深い悲しみを、自然の推移に従って生きるという人生観によって救おうとしたのである。これは陶淵明の「帰去来辞」にも見える、「化に乗じて以て尽くるに帰す」という思想と同じである。いわゆる「自然哲学」ともいうべき、中国伝統の処世観であろうが、そこにまた宋代の説理を主題とした、散文賦の特性が見いだされるのである。しかもこの賦は情景描写にすぐれていて、はじめに秋風の音を、風雨や波浪、或いは人馬の音かと疑って、童子を戸外に出して見させると、夜空は晴れて人影も見えず、ただ樹間に鳴る風の音であったという、一種の技巧振りの大きな表現は、最後に至って、欧陽子が語り終った時には、童子が答えもなく、頭を垂れて睡り、虫の声がしきりと続いて、詩人の嘆息を助けるように聞えているだけであった、と結んでいるのと首尾一貫している。そこにまた秋の夜のいつしか更けて、推移した時間の経過がたくみに言い表わされているのである。 |
↓姓名印 | ↓雅号印 | ↓遊印 | |||||||||||||||||||
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HT氏蔵 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出典1:『新釈漢文大系16 古文真宝(後集)』、43〜48頁、星川清孝著、明治書院刊、昭和38年7月20日 出典2:『アジア歴史事典(第2巻)』、48頁、平凡社編刊、昭和59年12月15日 |
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2010年8月6日追加●2010年8月9日更新:タイトル、写真、読み、訳注●2010年8月10日更新:読み、読み下し、大意、訳注●2010年8月11日更新:読み、読み下し、大意、訳注●2010年8月12日更新:読み、読み下し、大意、解説、訳注●2010年8月13日更新:制作日、訳注●2011年2月2日更新:誠之館所蔵品●2011年2月16日更新:読み下し、訳注、誠之館所蔵品●2015年7月17日更新:レイアウト(改頁)● |