福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
楯岡文蔵
たておか・ぶんぞう
誠之館教師、福山教育義会幹事
楯岡文蔵 (出典1)


経 歴
生:弘化4年(1847年)
没:明治の後年、定福寺に葬る
藩校誠之館で漢学、英学修業
長兄とともに脱藩二十五人組のひとり
箱館戦争に従軍
明治7年(1874年) 27歳 深津小学校で漢学を教授
明治8年(1875年) 28歳 広島師範学校卒業
明治8年(1875年)7月11日 28歳 小田県師範学校訓導
明治9年(1876年)7月12日 29歳 広島県公立師範学校(福山)分校教員
明治12年(1979年)7月10日 32歳 広島県福山中学校画学担当教員
明治14年(1981年)11月25日 34歳 広島県福山中学校三等教師
明治15年(1982年)9月〜10月 35歳 広島師範学校において体操を伝習される(1ヶ月)
明治16年(1883年)12月13日 36歳 広島県福山中学校教師を辞任、つづいて体操科教師嘱託
学務掛
安那高等小学校校長
郡役所書記
明治19年(1886年) 39歳 福山教育義会幹事・評議員


生い立ちと学業、業績
弘化4年(1847年)生まれ。楯岡瘡竹の三男。長兄とともに脱藩二十五人組のひとり。
長兄は楯岡斧蔵、次兄は楯岡先
(たておか・すすむ)

箱館戦争に従軍、その時は石崎慶吾を名乗る。
はじめ嚢町に住み、のち下市口に住んだ。

広島の官立師範学校に入り、全科を卒業した。

同年に
五十川左武郎(訊堂)らとともに、開設されたばかりの小田県師範学校訓導となる。
小田県師範学校は岡山県師範学校になったが、それも廃校になる。
その後、広島県公立師範学校(福山)分校が開設されると、その教員となった。
明治12年(1979年)には、その師範学校も廃止となった。
そうした状況下で、広島県福山中学校が創立され、文蔵は画学担当の教員となった(月18円)。
他の教員は、
門田重長(漢学担当)と江間平一(数学担当)で、事務掛は草河保男であった。
こうして福山における明治初期の教育界の中心的役割を果した。

その後、郡役所に入り、後年は、福山教育義会の幹事・評議員をつとめ、明治中期から後期にかけての福山中学校(誠之館)の存続に大いなる貢献をした。

明治の晩年に没、西町の定福寺に葬る。

長男楯岡精一は、中尉で戦死。次男石崎良二は中国で活躍したという。
   (出典1〜4)


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名   称 制 作 日 付
07148 佐々木龍三郎 著 『ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む 童謡詩人 葛原しげるの生涯』 文芸社 平成26年


出典1:『すい松館 深津小学校百二十周年記念史』、深津小学校百二十周年記念誌編集委員会編、深津小学校百二十周年記念誌出版委員会刊、平成7年3月1日
出典2:『誠之館百三十年史(上巻)』、268・269・270・281・300・306・329・348・467・475・554頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和63年12月1日
出典3:『近世後期の福山藩の学問と文芸』、86頁、福山市立福山城博物館編刊、1996年4月6日
出典4:『郷賢録』、25頁、福田禄太郎著、福山城博物館友の会編刊、平成12年10月1日
2008年2月22日追加●2014年10月30日更新:誠之館所蔵品●