福山阿部藩
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誠之館
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福山藩
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誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
武田邦太郎
旧名
深田邦太郎
たけだ・くにたろう ふかだ・くにたろう
参議院議員、日本新党副代表、新農政研究所所長
武田邦太郎


経 歴
生:大正元年(1912年)12月20日、広島県沼隈郡鞆町(現福山市鞆町)生まれ
没:平成24年(2012年)11月15日、享年100歳
昭和4年(1929年)3月 18歳 広島県立福山誠之館中学校4年修了(昭和5年卒と同期)
福岡高等学校卒業
昭和10年(1935年) 24歳 東京帝国大学文学部西洋史学科卒業
昭和11年(1936年) 25歳 鐘紡農林部入社、中国において大農牧場の建設と経営に参加
昭和17年(1942年) 31歳 池本喜三夫の『池本農業政策大観』執筆出版を代行
昭和21年(1946年) 35歳 山形県遊佐町西山開拓地に入植、開拓農業協同組合長
昭和36年(1961年) 50歳 新農政研究所(池田勇人首相の私的諮問機関)入所、農政部長
昭和40年(1965年) 54歳 新農政研究所副所長
昭和52年(1977年) 66歳 新農政研究所所長
昭和58年(1983年) 72歳 武田平和研究所代表
昭和61年(1986年) 75歳 武田新農政研究所設立、所長
平成4年(1992年)7月 81歳 参議院議員、日本新党副代表
平成10年(1998年) 87歳 引退
赤木宗徳農林大臣顧問
田中角栄内閣日本列島改造問題懇談会委員
三木武夫内閣国民食糧会議委員
参議院国会等の移転に関する特別委員会委員長


私は国会で何をしているか
参議院議員 武田邦太郎(昭和4年修了)
私は昭和4年(1929年)3月、福山誠之館中学校4学年修了生である。
皆さまのご支持によって参議院に出していただいているが、何もお役に立ち得ず、申訳ない限りである。
任期は平成4年7月から6年間となっている。

当初は予算委員会にいて、主に農政問題について発言し、現在は外務委員会で、世界政策、平和・安全保障問題について塗言しているので、ここでは農政および世界政策について私の考え方の概略を述べ、皆さまのご検討をお願いする。

いま農政で最大の問題は、農業後継者の激減で農業構造が崩壊しつつあること、食糧、とくに穀物の自給率が余りに低く、飢餓線上にあることである。
平成8年1月1日現在、農家数338万8千150戸、後継者2万8千440人であったから、119.1戸に1人であった。(広島県は9万780戸に150人。605.2戸に1人の後継者)。
後継者は今なお減少中であり、これを農業構造の崩壊と認識し、若者に希望を与えるように再建することが急務中の急務である。

後継者がいなくなるのは、所得が少なく、農業では生活できないからである。
農業という形もあるが、現在のような低生産性農業では、膨大な補助金が無限に必要となる。
一方、農産物の輸入自由化が進み、最後の牙城たるコメも21世紀初頭には落城せざるを得ないであろう。

しかし活路はある。
現に後継者1人あたり175.6ヘクタールの耕地が国内に存在するのだから、果敢な規模拡大をやって、輸入価格と競争しながら二次・三次産業並の所得のあがる農業を一般化すべきである。
詳しい話はできないが、1戸当たり耕地を30〜70ヘクタールにすれば足りる(現在は平均1.5ヘクタール)。
70ヘクタールというのは、北海道のように、太陽の恩恵が少なく、裏作できない地方を考えている。

穀物の白給率は平成6年度29.6%(平成8年1月26日発表)、215万7千トンの輸入肉を1千5百10万トンの穀物に換算すれば、自給率は22.1%となる。
21世紀は途上諸国の人口増と経済成長による需要増、穀物生産性向上率の低下により、『飢餓の世紀』という声が高い。
食糧不足なら輸入すればよいという時代でなくなりつつあるのである。

しかし、前記のように、二次・三次産業に均衡する農業を一般化すれば、単収が向上するし、北海道以外は大体二毛作できるから(現在は二毛作はほとんど行われない)、穀物自給率は80%前後になる可能性がある。
イザとなったら牧草畑やゴルフ場にムギや馬鈴薯をつくれば、空腹や栄養失調は防ぎ得よう。
この政策は三木内閣の国民食糧全議に提案し、三木内閣が早期に選挙敗退しなかったら具体化のチャンスがあったものである。
なお、1年分の油類、肥料、農薬の備蓄がつねに必要であり、一定量の食糧備蓄も同様である。

交通・輸送産業や情報産業の驚異的進歩によって世界が狭小になり、どんな国でも一国孤立しては生きて行けない。
いまや人類は国家連合時代に生きている。
歴史がさらに進めば世界一体化の時代となるであろう。

世界政策とは、このように明確な歴史認識により、すべての国、すべての民族の共存共栄をはかる政策である。
歴史をさらに一歩進め、戦争の起こらない世界を実現することが究極の目標である。

国家連合が最も進んでいるのは『欧州連合』で、『政治は独立、経済は一体化、防衛は共同』という原則が成立しつつある。
通貨統合がうまく進んでいないのは、現代が国家連合時代だという歴史認識が各国に徹底していないからである。

『欧州連合』につづくのは『東南アジア諸国連合』であるが、まだ経済の一体化を模索する段階である。他に『北米白由貿易協定』があり、南米にも同様の動きがある。
『アジア太平洋経済協力会議』は定期的な国際全議が開催されるが、太平洋という大空間があるため、欧州連合が先駆している形の国家連含にはなりにくい。

日本は中国、台湾、韓国(北朝鮮)等と『東アジア諸国連合』を形成するのが自然であるが、米国は容易に看過しないであろう。
『東アジア諸国連合』ができても、『北米自由貿易協定』などと絶対に軍事的に対立せず、相携えて世界一体化に向けて前進すべきであるが、それには米国の理解が不可決の要件である。
なお、沖縄の解放はこの方向以外に実現し得ないであろう。

残るのはロシア、南アジア、中東、アフリカ等であるが、世界史の発展方向はすでに確定的である。
国家連合形態の形成を経て世界一体化を志ざす外に活路はあり得ない。
石原莞爾(1889〜1949)やアーノルド・J・トインビー(1889〜1975)の歴史観はつとに、国家対立のない、永久平和の地球世界の実現を唱導しているが、両者とも、永久平和実現に失敗したら、核戦争によって文明の破局は免れがたい、と一致して警告している。
核戦争を同避しつつ世界の一体化を実現するため、石原は日本の平和使命を強調し、トインビーは中国の高き政治性に期待した。

私はこのような見地から、外務委員会で、まず日本、中国、米国の3国、次いで韓半島の両国とロシアの計6国が、30年間の相互不可侵条約を締結すべきことを提唱している。
   (出典1)


若者よ、大いなる理想をもて!
武田邦太郎(昭和4年修了)
皆さんはウイリアム・スミス・クラーク(1826〜1886)を知っていますか。
アメリカの植物学者でアマースト大学の学長をした人ですが、学長に在職中、1年の休暇を得て、明治九年(1876年)、日木政府に招かれ、札幌農学校(現在の北海道大学の前身)の教頭になりました。
北海道開拓使長官、黒田清隆を説得してキリスト教による新しい教育方針をとり、北海道大学の精神的、学問的基礎を築いたといわれています。
Boys, be ambitious! は、彼が日本を去るに当たって、学生たちに贈った言葉として有名です。
彼の門下から、内村鑑三、新渡戸稲造
(にとべ・いなぞう)、宮部金吾などの偉材が輩出しました。

私は今こそ、皆さんにクラーク博士のこの言葉を贈りたいと思います。
なぜなら、いまの世界は下手をすると、核戦争によって全地球的破局におちいるか、それとも永久平和の理想世界を実現するかの分岐点に立ちつつあるからです。
まさに皆さんの将来を決定する関頭です。

昭和30年(1955年)7月、バートランド・ラッセル(1872〜1970)とアルベルト・アインシュタイン(1879〜1955)が、ロンドンで有名な「ラッセル・アインシュタイン宣言」を発表しました。
その中で、かれらは次のように全人類に呼びかけています。
ビキニの水爆実験直後のことです。
少し長いですが引用します。

「今では広島を破壊した爆弾の2千5百倍も強力な爆弾をつくることができる」
「もし水素爆弾が地上近く、また水中で爆発すれば、放射能をもった粒子が上空に吹き上げられ、死の灰または雨の形で徐々に落下して地球の表面をおおう」
「戦争が人類の絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか、人びとはこの二者択一の問題を真正面から取りあげようとはしないであろう。それは戦争を廃絶することが余りにも困難だからである」
「しかし私たちは人類として次のことを銘記すべきである。国家間、民族間、東西間のあらゆる問題を、戦争によって解決しようと考えてはならぬ。もしそれができるならば、道は新しい楽園に向かって開けている。もしできないならば、全面的な死の危険が横たわっている」。

もう一人の平和者を紹介します。
皆さんは石原莞爾
(いしわら・かんじ)(1889〜1949)を知っていますか。
満州事変を起こした軍人として、今でもテレビに出ますから、知っている人も多いでしょう。
石原は戦争の立場から、人類歴史の発展方向、発展法則、そして究極の帰着を明示する戦争史観を発表しています(1929年『戦争史大観』。1940年『最終戦争論』。要するに、戦争は古来、各時代の文明の総力を結集して行なわれたから、戦争史を究明することにより、人類史発展の方向、法則、帰着を知ることができるというのです)。

長くなるから、省略して述べますが、石原は満州事変を起こしましたが、日中戦争や太平洋戦争には徹底的に反対しました。
石原によれば、現代は戦争のやり方が進歩の極限に達して永久に戦争のなくなる「最終戦争時代」なのです。
ただし、それは核戦争によって地球上の全生命が全滅するか、人類が戦争を放棄して永久平和を迎えとるか、二者択一の時代だというのです。
石原は戦争に使われているあらゆる文明の力を活用すれば、貧困や病気はもちろん、自然災害さえない理想的地球世界を実現できる、と唱導しました。

ただし、石原の永久平和論は、日本が過去の侵略戦争を反省し、ざん悔し、軍隊をもたない平和国家として、東アジアの諸国に、そして世界各国に、心から信頼される国として新生することを第一条件としています。
彼はその平和国家日本の国土計画の設計まで残して地上を去りました。

話が大きすぎようとすぎまいと、いかに困難があろうとなかろうと、私は皆さんの若々しい創造的熱情と理想を、ラッセル、アインシュタイン、石原等の呼びかけに應えさせていただきたい。
そして学問の探究に、心身の鍛練に全力投球していただきたいのです。
その出発点として、冒頭のクラーク博士とともに、「若ものよ、大いなる理想をもて!」と呼びかけたいのです。

明治維新に先駆した吉田松陰(1830〜1859)の松下村塾で、最年少の品川弥次郎は16才、ちょうど皆さんと同じくらいの年令だったのではありませんか。

私は昭和4年(1929年)3月、福山誠之館中学校、第4学年を修了したものです。
   (出典2)


著 書
『池本農業政策大観』 アジア青年社 昭和17年
『食料危機と日本農業の展望−戦略物資食料の解決策を探る 危機と展望叢書(2)』 教育社 昭和50年
『200カイリ時代の食料戦略 東経選書』 東洋経済新報社 昭和52年
『危機の農政−国土開発・技術革新の中の新しい可能性 入門新書−時事問題解決(no188)』 教育社 昭和54年
『80年代の欧州共同体(EC)』 昭和54年
『永久平和の先駆 石原莞爾』 たまいらぼ 昭和60年
『日本農業前途洋々論−農業イノベーションのすすめ』 日本経済新聞社 昭和62年
『コメは安くできる! 農家は豊かになれる−農業イノベーションの提唱』 時事通信社 昭和63年
『永久平和の使途石原莞爾』 冬青社 平成8年
『IT時代の農業革命 田園社会工学実践編』 農政と平和研究所 平成12年


出典1:『誠之館同窓会報(第4号)』、22頁、「私は国会で何をしているか」、武田邦太郎、福山誠之館同窓会編刊、1997年3月31日
出典2:『誠之館同窓会報(第9号)』、9頁、「若ものよ、大いなる理想をもて!」武田邦太郎、福山誠之館同窓会編刊、2002年5月1日
関連情報1:『備後春秋(第70号)』、4頁、「食料・農業政策の鍵点」、武田邦太郎、備後春秋編集部編刊、平成12年7月1日
2005年6月3日更新:本文・出典●2006年4月3日更新:タイトル●2006年5月24日更新:連絡先(削除)●2007年2月22日更新:タイトル・経歴●2007年9月20日更新:参考資料●2007年9月27日更新:経歴●2009年7月9日更新:著書●2009年7月10日更新:経歴●