福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
島定保
旧名
島勝太郎
しま・さだやす しま・かつたろう
福山誠之館教師
島定保


経 歴
生:明治3年(1870年)7月14日 本籍地:石川県金沢市竹田町生まれ
没:昭和18年(1943年)3月9日、享年73歳、横浜霊園に葬る
明治22年(1889年)4月5日 18歳 石川県尋常師範学校尋常師範学科卒業
明治22年(1889年)4月5日 18歳 石川県鳳至郡尋常科河井小学校訓導
明治23年(1890年)1月20日 19歳 石川県鳳至郡高等科宇出津小学校訓導
明治23年(1890年)11月4日〜
 明治24年(1891年)5月12日
20歳 兼石川県鳳至郡尋常科宇出津小学校訓導、簡易科宇出津小学校訓導
明治24年(1891年)6月8日〜
 明治25年(1892年)1月19日
20〜
21歳
石川県鳳至郡高等科宇出津小学校訓導兼石川県鳳至郡尋常科宇出津小学校訓導、簡易科宇出津小学校訓導
明治25年(1892年)2月15日 21歳 石川県金沢市高等科金沢小学校訓導
明治29年(1896年)6月12日 25歳 休職(〜明治30年5月)
明治29年(1896年)6月12日〜
 明治32年(1899年)10月1日
25〜
29歳
第四高等学校博物副手嘱託
明治32年(1899年)6月20日 28歳 師範学校・中学校・高等女学校、生理科教員免状
明治32年(1899年)10月31日 29歳 広島県第二中学校(誠之館)雇教員
明治32年(1899年)11月27日 29歳 広島県第二中学校(誠之館)教諭
明治33年(1900年)3月28日 29歳 師範学校・中学校・高等女学校、植物科、動物科教員免状
明治34年(1901年)4月1日 30歳 兼広島県第二中学校(誠之館)舎監
明治35年(1902年)3月31日 31歳 依願免兼職
明治42年(1909年)3月31日 38歳 兼広島県立福山中学校(誠之館)舎監
大正3年(1914年)2月2日〜
 昭和7年(1932年)3月31日
43〜
61歳
広島県立福山中学校(誠之館)教諭
大正9年(1920年)5月25日 49歳 広島県教育功労銀盃
大正10年(1921年)9月30日 51歳 叙従六位
大正13年(1924年)4月30日 53歳 勲六等瑞宝章
昭和5年(1930年)10月30日 60歳 福山市教育会長20年表彰


中学時代の思い出---恩師の思い出---   神原利一(昭和2年卒)
島定保先生(命の恩人)
憧れの中学に入学出来て、喜んで通学した大正8年(1919年)の大洪水の浸水した跡が教室の壁に残っていたのを覚えている。
多くの立派な先生方に指導を受けたことは感謝の外はない。
白髪の老先生で生物を教えて下さった島定保先生は、常にやさしいきれいな声であった。
北米大陸のガラガラ蛇の話やハブ.マムシ等毒蛇について詳しく教えられた。
特に当時は、毎年、村人がマムシ(通称ハミ)に噛まれて死ぬ方があったので、「毒蛇に噛まれた時の応急手当」のお話は真剣に聞いたものだ。
私が、教員養成所に入学した年の夏休みに帰省して、家業の手伝いで桑の葉を朝早く山畠で摘んでいて、マムシに左足の小指を噛まれた際に、突差に島先生のお話を思い出し、近くに居た父に噛まれた所をツメで切って貰い、出血するのを吸い取って貰い、更に足首など手拭を裂いて縛り、帰宅してからは、薄荷の葉をもんで高熱のする患部に当てて冷やし、蛇紋石も使用して、三週間で完治した。
その頃「ハミに噛まれたら百日仕事」といわれており、手当を誤ると一命を失う恐ろしい事故であるが、短時日で快癒したのは島先生のおかげと、今も感謝しておる。
尚、血清注射等は入手できない頃でした。(以下省略)


出典1:『懐古 誠之館時代の思い出』、101頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和58年5月15日
2004年10月27日更新:経歴●2004年10月28日更新:経歴●2005年4月8日更新:出典●2006年5月23日更新:タイトル・住所(削除)●2007年7月19日更新:経歴●2008年4月23日更新:経歴●2011年5月23日更新:経歴●