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重政誠之
しげまさ・せいし
法学士、代議士、農林大臣
重政誠之


経 歴
生:明治30年(1897年)3月20日、広島県安那(やすな)郡川南村(現:福山市神辺町川南)生まれ
没:昭和56年(1981年)6月3日、享年84歳
大正5年(1916年) 19歳 広島県立福山中学校(誠之館)卒業
大正9年(1920年)8月 23歳 第六高等学校卒業
大正11年(1922年) 25歳 高等試験行政科合格
大正12年(1923年)3月 26歳 東京帝国大学法学部独法科卒業
大正12年(1923年)12月 26歳 農商務省入省
大正14年(1925年) 28歳 分離した農林省に入る
大正14年(1925年)5月 28歳 農林事務官
大正14年(1925年)末 28歳 結婚
昭和2年(1927年) 30歳 農林省法令審査委員
昭和2年(1927年) 30歳 小作調査会幹事
昭和2年(1927年) 30歳 長男篤之が生れる
昭和3年(1928年)ごろ 31歳ごろ 大臣官房文書課兼農務局
昭和9年(1934年)6月 37歳 農林省農務局肥料課長
昭和13年(1938年)1月 40歳 農林省大臣官房会計課長
昭和15年(1940年)7月 43歳 日本肥料株式会社監理官
昭和16年(1941年)1月 43歳 農林省資材部長
昭和16年(1941年)6月 44歳 農林省総務局長
昭和19年(1944年)2月 46歳 農商務省事務次官
昭和20年(1945年)8月 48歳 農林省事務次官
昭和20年(1945年)11月 48歳 日本肥料株式会社理事長
昭和26年(1951年)9月 54歳 横浜共同埠頭倉庫株式会社取締役
昭和27年(1952年)10月 55歳 衆議院議員当選
昭和32年(1957年)7月 60歳 自民党政務調査会副会長
昭和33年(1958年)7月 61歳 肥料審議会委員
昭和37年(1962年)7月 65歳 農林大臣(第二次池田内閣)
昭和42年(1967年)1月 69歳 衆議院議員当選(六期)
昭和42年(1967年)1月 69歳 自民党代議士会会長
昭和44年(1969年)12月 72歳 政界引退
昭和47年(1972年)11月 75歳 勲二等旭日重光章
昭和56年(1981年)6月3日 84歳 逝去
昭和56年(1981年)6月 84歳 従三位(銀杯一組賜与)


生い立ちと学業、業績
生い立ちと学業
広島県安那(やすな)郡川南村(現:福山市神辺町川南)の出身、父重政亮之助の三男。
大正5年(1916年)に福山中学校を卒業。
参議院議員、参議院副議長の重政庸徳氏は実兄。


業績

広島県第3区選出当選3回の衆議院議員重政誠之氏は、人も知る農林行政の権威として自民党内閣の続く限り、一度は農林大臣の椅子に腰を下すべき人物である。
自由民主党総務会長河野一郎氏とは盟友の交わりをもって、近い将来河野氏が政権を握るような場合、重政氏は重要な存在となるであろうことが予想されるのである。

東大出の俊才、直ちに農商務省に入って官僚生活を久しく体験、同省の課、部、局にそれぞれ長を勤め、戦時中は農林次官として充分の腕を振るった。
河野一郎氏は、かつて朝日新聞記者とし農林省詰であつた時代、課長であった重政氏の知遇を受け、爾後両氏は水魚の交りを続けるに至ったものだと云う。

その牲格は恬淡放膽、頭脳は緻密明析・しかも善意に満ちた政治家と云える。
その人間的魅力は大きく、慈味あふれる個性を持つ点で、重政氏を畏敬するファンは多い。

揮毫

昭和46年(1971年)11月、福山市川口町・川口八幡神社境内に「川口築成三百年記念事業碑」を揮毫した。

重政誠之先生の像
昭和56年(1981年)9月、福山市新涯町4丁目の新涯4公園内に「重政誠之先生の像」の銅像が建つ。
亀岡高夫・農林水産大臣揮毫、篠原日雄撰文、陶山定人作。

重政誠之翁顕彰碑

昭和56年(1981年)11月、生地に近い神辺町天別豊姫神社境内に「重政誠之翁顕彰碑」が兄・重政庸徳翁顕彰碑に並んで建つ。   (出典1・2・5)
      碑    文
重政誠之翁 明治三十年三月二十日、当地神辺町川南に生れる。
福山誠之館中学校、第六高等学校、東京帝国大学を卒業、農商務省に入り肥料課長、総務局長、農林事務次官を経て、昭和二十七年、広島県第三区より政界に新出、衆議院議員当選六回、自民党総務、政調会副会長、代議士会長等歴任、昭和三十七年、池田内閣の農林大臣となり、農政の父としてひろく敬慕される。その間、三川ダムの建設、備後工特地域の指定、日本鋼管の誘致、新幹線の福山停車、入江大橋の架橋をはじめ、備後地方発展のために貢献した偉大な業績は、とこしえに郷党の鑚仰するところである。
また、盟友河野一郎と春秋会を主宰し、園田直、中曽根康弘、櫻内義雄をはじめ、一九八〇年代の日本を指導するあまたの政治家を薫陶した功績は、現代日本政治史に特筆されなければならない。その功により、従三位勲二等に叙され、旭日重光章を授けられる。
翁はその名の如く、誠実無比、終生政治家の節をまげず、昭和五十六年六月三日、八十四才の天寿を全うされた。われら、ここに翁の遺徳を偲び、功を称え、ゆかりの地に碑を建立して後世に顕彰するものである。
 昭和五十六年十一月吉日
   顕彰碑建立実行委員会
 (出典3)


出典1:『政治産業文化備後綜合名鑑』、式見静夫編、備後文化出版社刊、昭和34年6月
出典2:『自治行政大観 新日本人文録(広島県人国記)』、577頁、地方自治調査会編刊、昭和41年11月30日
出典3:『重政誠之翁顕彰碑建立記念誌』、顕彰碑建立実行委員会、昭和56年11月
出典4:『福山学生会雑誌(第66号)』、87頁、福山学生会事務所編刊、昭和3年8月5日
出典5:『福山いしぶみ散歩』、49頁、佐野恒男著、福山市文化財協会刊、1993年5月12日
2005年3月14日更新:出典●2006年3月2日更新:経歴・本文(深安郡→福山市)●2006年4月3日更新:タイトル●2006年5月23日更新:連絡先(削除)●2008年4月22日更新:経歴・本文●2008年7月10日更新:経歴・出典●2012年2月16日更新:経歴・本文・出典●2012年3月27日更新:本文●