福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
関藤成緒
せきとう・なるお
福山誠之館校長(第5代)
関藤成緒


経 歴
生:弘化2年(1845年)5月、江戸阿部家藩邸内・内藤家に生れる
没:明治39年(1906年)、享年62歳
幼時を江戸で過ごす
安政3年(1856年)〜
 慶応3年(1887年)
11〜
22歳
藩校福山誠之館に入り、和漢の書物を講究する。また幕末ごろには誠之館文学寮で門田重長、北條益三郎、内田宣などに漢学を学ぶ。また江木鰐水濱野章吉に就き学修する
明治2年(1869年)〜
 明治4年(1871年)
24〜
26歳
東京福澤諭吉に就き英学を専修する
明治4年(1871年)正月 25歳 大学少助教
明治4年(1871年)8月22日 25歳 文部少助教
明治4年(1871年) 26歳 関藤藤陰の女婿として関藤家に入る
明治5年(1872年)正月 28歳 文部省南校専門学科
明治5年(1872年)3月8日 28歳 文部省編輯掛
明治5年(1872年)11月12日 28歳 文部省教科書編成課
明治7年(1874年)1月29日 30歳 文部省辞任
明治7年(1874年)3月〜
 明治8年(1875年)10月24日
30〜
31歳
新設の官立新潟師範学校において三等教諭
明治10年(1877年)1月29日〜
 明治13年(1880年)7月8日
33〜
36歳
東京府御用掛(学務課担当)
明治12年(1879年)3月7日〜
 明治13年(1880年)7月8日
35〜
36歳
東京府第一中学校の開設に伴って、第一中学幹事を兼務する
明治13年(1880年)12月2日 36歳 文部省報告局
明治16年(1883年)5月7日 39歳 文部省報告局兼普通学務局
明治16年(1883年)11月1日 39歳 秋田県師範学校校長兼秋田中学校校長
明治18年(1885年)8月1日〜
              8月3日
41歳 秋田県秋田女子師範学校校長心得
明治19年(1886年)7月29日〜
 明治20年(1887年)3月10日
42〜
43歳
秋田県尋常中学校校長
明治25年(1892年)2月13日〜
 明治26年(1893年)5月23日
48〜
49歳
宮内省図書寮御系譜課
明治26年(1893年)5月31日〜
 明治29年(1896年)4月18日
49〜
52歳
広島県福山尋常中学校(誠之館)校長(在任2年11ヶ月)


関係年表
明治26年(1893年)4月1日 「尋常中学福山誠之館」を「広島県福山尋常中学校」と改称、地方税経済により維持
明治26年(1893年)11月25日 福山尋常中学校校友会発会式
明治27年(1894年)9月21日 寄宿舎開舎式
明治27年(1894年)11月25日 福山尋常中学校、開校記念日とし、以後毎年記念式を行う


生い立ちと学業、業績
生い立ちと学業
弘化2年(1845年)5月、江戸阿部家藩邸において福山藩士内藤延忠の次男に生れる。号は北涯。
誠之館文学寮に在籍時など大友平五郎を名乗っていた。
関藤家
関藤藤陰の長女篤子と結婚していたが、のち関藤藤陰の二人の男子が早世したため、明治4年(1871年)請われて関藤家に入って家を継ぎ、関藤成緒を名乗った。
家は長子関藤国助が継いだ。

著書
著書には教科書を中心にして、『新撰支那小史』、『万国小史』、『百科全書 地文学』、『学校用地文学(上下)』などがある。
   (出典1)
[事績・業績]
 藩校誠之館の卒業生であり、しかも、藩校誠之館の開設に力をつくした
関藤藤陰の養嗣子であることから、母校誠之館に対する思い入れは歴代校長以上であったに違いない。特に、「誠之館」という呼名が校名から失われたことに対する思いもあってか、開校記念日の開設は最も大きな業績であったといえよう。それより1年前校友会の発会式が行われた。次のように報ぜられている。
「明治26年(1893年)5月、秋田県尋常中学校長、宮内省図書寮勤務を経て、本校々長として赴任して来た関藤成緒校長は、教室外における生徒の体育・文化の自発的活動を促進し、余暇を善用させるという目的をもって、はじめて校友会という組織の結成に着手した。その後、半年間の準備期間を経て、明治26年(1893年)11月25日、校友会の発会式が行われた。この日、
岡田吉顕郡長のほか、収税所長・憲兵分隊長・警察署長・郵便電信局長・小学校長の諸氏が来賓として来校、午前九時開式された。(下略)」(百三十年史・上・581頁)
 一中学の校友会発会式であるが、来賓として地元名士のほとんどが参集されるといった注目する行事であった。それ以後この校友会が現在までの誠之館教育の勉学と並んでの一方のバックボーンを形成していることを思えば、この校長の業績は称えられてしかるべきものであった。
 新寄宿舎の落成も大きな業績であった。遠隔地からもすぐれた生徒を集めるためには寄宿舎は不可欠の施策であった。戦前の生徒の思い出の記に多く寄宿舎生活が出てくるのも故なしとしない。
 校長退任後も「福山教育義会」の役員として、「福山誠之館」の発展に力を尽くした。
   松岡義晃(昭和28年卒)


誠之館所蔵品
管理 氏 名 書  名 制作/発行 日 付
00277 関藤成緒 訳 『百科全書 地文学 全』 文部省 明治15年
00278 関藤成緒 纂訳 『学校用地文学(上下)』 吉川半七 明治16年
00276 関藤成緒 著 『万国小史 全』 明治26〜29年ごろ
07009 三島中洲 七言絶句「水閣招魂」 明治24年
07022 川路寛堂 「徳川斉昭公親書及びその由緒書」 明治27年


探しています
氏 名 書  名 制作/発行 日 付 コメント
関藤成緒 訳 『塞児敦氏 庶物指数(上下)[シェルドン著]』 文部省 明治11年 永田健助 共約
関藤成緒 訳 『クライブ伝詳解 [マコーレイ著]』 明治21年
関藤成緒 著 『高等小学 日本地理 全』 博文館 明治25年
関藤成緒 著 『尋常小学修身訓 生徒用 三年上』 明治26年
関藤成緒 著 『尋常小学修身訓 生徒用 ニ年下』 明治26年
関藤成緒 訳 『百科全書 建築学』
関藤成緒 訳 『百科全書 造家法』
関藤成緒 著 『新撰支那小史』
関藤成緒 著 『星学捷経』
関藤成緒 著 『食物製方』
関藤成緒 著 『北涯先生遺稿』


出典1:『関藤藤陰十大功績』、21頁、岡田逸一著、関藤藤陰遺徳顕彰会刊、昭和49年12月29日
関連情報1:『誠之館百三十年史(上巻)』、101・423・470・492・501・538・566・567・581・583・696・697・1174頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和63年12月1日
関連情報2:『近世後期の福山藩の学問と文芸』、85頁、福山市立福山城博物館編刊、1996年4月6日
関連情報3:『学校要覧(昭和62年度)』、4頁、秋田県立秋田高等学校
2005年4月4日更新:本文●2005年9月22日更新:所蔵品●2005年11月11日更新:関連情報●2005年12月5日更新:所蔵品●2006年3月27日更新:所蔵品●2008年4月8日更新:経歴・本文●2008年9月30日更新:経歴・本文追加・出典●2009年3月16日更新:誠之館所蔵品●2010年11月22日更新:探しています●2014年3月11日更新:本文・探しています●2015年2月10日更新:誠之館所蔵品●2015年3月9日更新:誠之館所蔵品●