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| 藩校誠之館講師、国学者、津和野藩士 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 生:寛政4年(1792年)11月29日、江戸津和野藩邸生まれ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 没:明治4年(1871年)8月17日、享年80歳、東京赤坂霊南坂陽泉寺に葬る | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 大国隆正は、幕末維新期の国学者であり津和野藩士。寛政4年(1792年)1月29日、江戸津和野藩邸で生まれた。父は津和野藩士今井秀馨ではじめ今井秀文・今井秀清を名乗った。今井氏はもと野之口姓であったので、父の没後野之口姓に復し、晩年大国氏に改めた。 隆正、字は子蝶、通称仲衛・一造・匠作仲・仲蔵、号は戴雪・天隠・天陰・如意・如意山人・佐紀乃屋・葵園・居射堂・真瓊園などと称した。 文化3年(1806年)15歳のとき平田篤胤の門人となり国学を修め、また昌平黌に入って古賀精里(こが・せいり)の指導を受けた。また長島藩主増山雪斎に絵画を学び、詩は菊池五山に師事した。文化7年(1810年)昌平黌をやめ、本居宣長の門人である村田春門(むらた・はるかど)の門に入る。書を父秀馨に習い、また村田春門の影響を受け、草書および仮名交りの書を能くした。文政元年(1818年)長崎へ遊学し、西洋理学を研究して本教神理学の学派をたてた。文政12年(1829年)脱藩亡命、姓を野之口と改めた。 天保7年(1836年)播磨国小野藩主一柳末延に招かれ、翌年同地に帰正館を創設し、藩主および藩の子弟に和漢の学を教授した。天保12年(1841年)京都に移って報本学舎を開き、尊皇敬神と誠を核とする教えを説き、それを「本教」「本学」と名づけて京坂の地に講じ、名声を得た。 その後、姫路藩に招かれ、また嘉永元年(1848年)阿部正弘に招かれ、藩の子弟に皇学を講義したが、そのころの隆正の著書「倭魂(やまとごころ)」が藩儒江木鰐水の反発にあい、危うく罪を得んとしたこともあった。 嘉永4年(1851年)、亀井藩主の希望で津和野藩へ復帰、京都において藩校養老館を監督した。 安政2年(1855年)7月、福山に滞在し誠之館皇学寮で皇学を講じた。 文久2年(1862年)、石見国邇摩郡大国村に至り、大国主命の故跡を発見し、その神社を再建させて姓を大国と改めた。 明治元年(1868年)には、神祗事務局権判事をつとめ、神仏分離や廃仏毀釈などの神道主義政策を指導し、神祗行政に大きな影響を与えた。明治3年(1871年)3月には宣教師御用掛に転じた。 著書に『古伝通解』、『矮屋一家言』などがある。 門下には、玉松操、師岡正胤、青柳武雄、福羽美静、岡熊臣らがいる。 明治4年(1871年)8月17日没、享年80歳。東京赤坂霊南坂陽泉寺に葬る。 (出典1)〜(出典8) |
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| 出典1:『国史大辞典2』、540頁、吉川弘文館編刊、昭和55年7月1日 出典2:『誠之館記念館所蔵品図録』、68頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日 出典3:『誠之館百三十年史(上巻)』、108・109頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和63年12月1日 出典4:『明治維新人名辞典』、180頁、日本歴史学会編、吉川弘文館刊、昭和56年9月10日 出典5:『福山学生会雑誌(第85号)』、付10頁、福山学生会事務所編刊、昭和12年12月31日 出典6:『今昔物語 福山の歴史(上巻)』、225頁、村上正名著、歴史図書社刊、昭和53年11月20日 出典7:『人物百談』、484頁、「野之口隆正の戯歌」、森繁夫著、三宅書店刊、昭和18年7月15日 出典8:『日本の藩校』、197頁、「養老館−津和野藩」、高野澄著、奈良本辰也編、淡交社刊、昭和45年2月28日 |
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| 2005年2月17日更新:経歴、出典●2005年1月19日更新:所蔵品●2005年1月20日更新:所蔵品●2006年2月24日更新:レイアウト、写真、本文、所蔵品、著書●2006年6月16日更新:タイトル、所蔵品●2007年1月17日更新:経歴、本文、著書、出典●2007年7月12日更新:本文、出典●2008年2月6日更新:経歴、本文●2008年11月17日更新:経歴、本文、出典●2009年1月9日更新:写真、誠之館所蔵品●2009年1月19日更新:誠之館所蔵品●2009年1月20日更新:本文、誠之館所蔵品、出典●2010年1月27日更新:本文、誠之館所蔵品、出典● | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||