福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
岡本半次郎
おかもと・はんじろう
農学博士、昆虫学者、教育家、沼隈郡千年村村長
岡本半次郎 (出典1)


経 歴
生:明治15年(1882年)4月22日、福山東町生まれ
没:昭和35年(1960年)3月4日、享年78歳
明治34年(1901年) 18歳 広島県第二中学校(誠之館)卒業
明治40年(1907年)7月3日 25歳 札幌農学校本科卒業
明治40年(1907年)7月13日 25歳 北海道庁技手、北海道農事試験場に勤務
明治42年(1909年)7月30日〜
 大正9年(1920年)
27〜
38歳
北海道庁技師
大正元年(1912年)12月22日〜
 大正2年(1913年)10月11日
30〜
31歳
東北帝国大学農科大学実科講師
大正8年(1919年)9月3日 37歳 北海道帝国大学農学博士
大正9年(1920年)10月13日 38歳 朝鮮総督府勧業模範場技師
大正10年(1921年)4月19日 38歳 勲六等瑞宝章
大正10年(1921年)5月2日〜
 大正13年(1924年)12月9日
39〜
42歳
(兼)朝鮮総督府水原農林専門学校講師
大正13年(1924年)6月19日〜
               12月9日
42歳 兼朝鮮総督府水原高等農林学校教授
大正14年(1925年)1月8日 43歳 叙正五位
昭和2年(1927年)3月31日〜
 昭和6年(1931年)3月31日
44〜
48歳
広島県立福山中学校(誠之館)教師
昭和3年(1928年)11月16日 46歳 大禮記念章授与
昭和6年(1931年)3月31日 48歳 広島県立沼南実業学校(現広島県立沼南高等学校)校長
広島青年教員養成所所長
昭和17年(1942年)3月〜
 昭和19年(1944年)3月
59〜
61歳
広島県立広島第一中学校[現国泰寺高等学校]校長(第13代)
昭和19年(1944年) 61歳 尾道地方事務所長
昭和23年(1948年) 66歳 沼隈郡千年村村長
株式会杜岡本工作機械製作所松永工場顧問


生い立ちと学業、業績
明治15年(1882年)4月22日、福山東町において岡本圭吉の長男に生れる。
岡本家は勘定奉行をつとめる福山藩士の家柄であった。

誠之館中学校を経て、明治40年(1907年)札幌農学校本科の卒業。
同校は日本教育文化史にエポックを作った名門。
備後第一の教育家としての氏の面目は既にこのときから形成されて来たと云っても過言ではない。

昆虫学を専攻した氏は明治40年(1907年)より大正9年(1920年)まで北海道庁の技師として勤めたが、大正8年(1919年)には日本クサカゲロウに関する研究その他の論文により農学博士号を授与された。

望まれて昭和2年(1927年)母校誠之館中学の教壇に立ち、以来17年間にわたり広島県立沼南実業学校校長、広島青年師範学校校長、広島県立広島第一中学校校長などを歴任、教職に専念、地方教育の向上と青少年の人格形成に果した役割は実に筆舌に尽し難いものがある。

昭和19年(1944年)尾道地方事務所長、昭和23年(1948年)に沼隈郡千年村村長を勤めた。

その後は株式会社岡本工作機械製作所松永工場顧問として、余生を送る。

趣味は読書。広島県沼隈郡沼隈町草深。

妻のせんは、町村金弥の次女。
町村金弥は北海道開拓事業にその生涯を捧げ、「北海道酪農の父」と呼ばれた人である。
   
(出典1)


出典1:『政治産業文化備後綜合名鑑』、9頁、式見静夫編、備後文化出版社刊、昭和34年9月
出典2:『広島一中国泰寺高百年史』、450・年表48頁、百年史編集委員会編、母校創立百周年記念事業会刊、昭和52年11月7日
出典3:『創立120周年記念 鯉城同窓会名簿』、サラト編、鯉城同窓会刊、平成10年6月10日
2004年10月28日更新:経歴●2005年4月8日更新:本文・出典●2006年6月21日更新:タイトル●2007年7月19日更新:経歴●2008年2月5日更新:経歴●2008年3月6日更新:経歴・本文・出典●2008年3月10日更新:経歴・出典●2008年10月1日更新:経歴・本文●2009年11月10日更新:経歴●