福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
中川弘
なかがわ・ひろむ
福山市議会議員、広島県議会議員、福山市長(第9代)
中川弘


経 歴
生:明治44年(1911年)2月20日、福山市西神島町生まれ
没:平成23年(2011年)3月14日、享年100歳
昭和3年(1928年)3月 17歳 広島県立福山誠之館中学校卒業
蚕糸、削鰹製造業にたずさわる
昭和15年(1940年)3月 29歳 大陸へ、天津市で藁工品製造業にたずさわる
昭和20年(1945年) 34歳 現地応召
昭和21年(1946年)6月 35歳 引揚げ
昭和22年(1947年) 36歳 福山市議会議員
昭和25年(1950年)3月 39歳 社団法人福山更生会理事長
昭和26年(1951年)4月 40歳 広島県議会議員(以来8期当選)
財団法人広島県遺族会副会長
昭和54年(1979年)8月26日〜
 昭和58年(1983年)8月25日
68〜
72歳
福山市長(第9代)
昭和56年(1981年) 70歳 福山産業会館オープン
藍綬褒章
昭和61年(1986年) 75歳 勲三等旭日中綬章


生い立ちと学業、業績
中川弘は、中川鶴一の長男として明治44年(1911年)2月20日に生まれた。
昭和3年(1928年)3月広島県立福山誠之館中学校を卒業。

蚕糸、削鰹製造業にたずさわり、昭和15年(1940年)3月に拓植の志に燃えて大陸に渡り、天津市で藁工品製造業を営んだ。
後現地応召して辛酸をなめた。

昭和21年(1946年)6月内地へ引き揚げてからは、自らの苦難の体験から引揚者の福利に献身的な精カをそそいだ。
また将来の飛躍を期して青年団活動にも情熱をかたむけ、さらには政友会宮沢裕代議土の薫陶を受けて政治に関与するようになった。
昭和22年(1947年)4月福山市議会議員に当選、昭和26年(1951年)4月には広島県議会議員となり、以来連続8回当選を重ねた。
その間、引揚者団体社団法人福山更生会理事長や財団法人広島県遺族会副会長などもつとめた。

昭和54年(1979年)8月26日、第9代福山市長に就任。
いわゆる安定成長時代に、中川市長は1期4年の市政運営に当った。
昭和56年(1981年)には福山産業会館がオーブンしている。
また松永下駄、琴、備後畳表などの伝統的な地場産業の振興につとめた。
松永下駄は、明治11年(1878年)に製造が始まり、全国に先がけ明治末期には機械化が行われ、大量生産の基礎を作ったという。
一時は生活様式の変化で需要が後退したが、最近は、祭の復活、団地のふるさと運動、日本の風土に合った健康的履物として見直され、根強い人気を保っている。
なお、松永町には履物では世界一を誇る「日本はきもの博物館」がある。
琴は日本固有の弦楽器で、牧本楽器(株)などが製造している。
創始者は牧本信次郎。
二代目牧本正雄が、名人芸の一貫作業から分業による製造に切り替え、高嶺の花だった琴を大衆の手に届くようにした。
こうした努力をきっかけにして、福山の琴は全国に広い地盤を築いたといわれている。
   (出典1)〜(出典3)


出典1:『政治産業文化備後綜合名鑑』、野上五郎・式見静夫編、備後文化出版社刊、昭和34年6月
出典2:『全国市長列伝』
出典3:『自治行政大観 新日本人文録(広島県人国記)』、578頁、地方自治調査会編刊、昭和41年11月30日
出典4:『福山誠之館同窓会定時総会出席者名簿(昭和61年度)』、4頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和61年5月25日
2005年3月14日更新:出典●2006年4月3日更新:タイトル●2007年11月30日更新:経歴・本文●2008年6月18日更新:経歴●2011年4月4日更新:経歴●