福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
森枳園
森立之
もり・きえん もり・たてゆき
医師
森枳園 (出典1)
生:文化4年(1807年)11月25日、江戸生まれ
没:明治18年(1885年)12月6日、享年79歳、洞雲寺(東京都豊島区)に葬る
文政4年(1821年) 13歳 渋江抽斎に師事
文政6年(1823年) 15歳 伊澤蘭軒に師事
天保4年(1833年) 25歳 佐々木氏の勝を娶る
天保6年(1835年) 27歳 第一子・約之(のりゆき)が生まれる
天保8年(1837年)2月 29歳 禄を失う
天保8年(1837年)2月〜
 嘉永元年(1848年)
29〜
40歳
相模において半儒半医で身をたてる
嘉永元年(1848年)5月 40歳 ゆるされて阿部侯に再度仕える、江戸詰め
嘉永元年(1848年)10月16日 40歳 幕府の命により医学館において千金方を校正
嘉永7年(1854年) 46歳 抜擢され幕府医学館講師
安政5年(1858年)12月15日 51歳 はじめて徳川家定に謁す
元治元年(1864年) 56歳 医学館講書の功労により月俸を下賜される
慶応2年(1866年)7月2日 58歳 祗役のために福山へ帰還のため江戸をたつ
慶応2年(1866年)7月23日 58歳 福山に到着
慶応2年(1866年)10月初旬 58歳 江戸に帰着
慶応2年(1866年)12月29日 59歳 自宅が全焼
明治元年(1868年)7月 60歳 福山に戻り、医者町に居す
明治2年(1869年)10月27日 61歳 正寧公に侍すために福山を発つ
明治2年(1869年)11月8日 61歳 本郷丸山に到着
明治3年(1870年)3月16日 62歳 東京を発って福山へ
明治3年(1870年)秋 62歳 寺町賢忠寺うしろに家を建つ
明治4年(1871年)6月3日 63歳 約之が急死(37歳)
明治5年(1871年)1月23日 64歳 吉野山経由で上京
明治5年(1871年)3月 64歳 諸州を廻る
明治5年(1871年)5月27日 64歳 文部省十等出仕
神田元岩井町40番地に居を構え、勤めのかたわら「正名学舎」を主宰
医学校編書課
朝野新聞
工学寮本朝学課長
明治12年(1879年) 71歳 和漢方医を結集し「温知社」を組織、『温知医談』を月刊
明治12年(1879年)12月1日〜
 明治18年(1885年)1月
72〜
77歳
大蔵省印刷局において編集の任につく
明治13年(1880年)5月31日 72歳 八丁堀水谷町に新居を構える
「森枳園」   (出典2)、(出典7)、(出典8)
 文化4年(1807年)11月25日生まれ。幼名は伊織、成人後一時弘之を名乗る。名は立之、字は立夫。号は枳園、中年時に醒齋を用い、また詩稿には節齋と記した。さらに父の養竹をつぐ。晩年には二端道人・水谷山人・浴仙・自言居士・竹窓主人。医号ははじめ養真、のち養竹(第7代)。またその室号を容膝居・容膝屠蘇・恩知薬室とした。
 13歳で渋江抽斎に師事し、15歳で
伊澤蘭軒に師事した。
 福山藩医であり、考証学者で、伊澤蘭軒門下の五哲に数えられた。千金方の校正、医心方の復刻発行に尽力し、のちに工学寮、大蔵省印刷局につとめた。
 30歳のころ俳優に扮した奇行により失職し、相模の大磯や津久井郡勝瀬において12年間もの辛酸な時を過ごした。
 博学強記で、性格は磊落、小事に拘泥せず、大事に脳々たることなく、昔ながらの英雄の風格があったという。勉学家であって、老齢となっても少しも衰えず、弁舌は巧みで、眼光も鋭く、神仙の趣があり、聞くもので感服しないものはなかったと評されている。本草学にも関心があり、素問・霊枢・金匱などに通じ、内科・外科の心得ある儒医であった。相模にいた時代は、漢学を教えたり、手術も手がけたり、頼まれれば獣医のようなこともしたり、薬草採取などの生活であった。
 枳園の著書『遊相医話』のなかに「治術を究むるに本草を明めざるは、なお文字を書に小学を知らざるが如し。もし薬性の寒熱温涼を辯ぜずして方を処せば、これ篆文六書を知らずして字を書かんとすると何ぞ異ならんや」と記している。枳園の医史に残る業績は、彼の本草学や数多くの著書ではなく、幕府老中であり枳園の藩主であった
阿部正弘や多紀一族などと協力して、中国や日本の医学宝典とも称される千金方の校正や、殊に医心方の安政版刊行に尽した仕事であろう。この史的事実はあまり紹介されていないので、枳園手録の『医心方提要』(嘉永7年)から、福山地方の医人像ににも触れてみたい。
 嘉永元年(1848年)に枳園がゆるされて江戸に戻り、幕府の躋寿館に出仕し、それからが枳園の活躍の時期となる。それは医心方の復刻のことであり、日本の宝典の再生というだけでなく、文化史の上に、宮廷医家の関係や維新前後の医制など、数多くの反響を捲きおこした。この安政版刊行事業は医心方撰者・丹波康頼の後裔といわれる幕府の侍医・法印の多紀元堅、その甥にあたる侍医・法眼の元マ
(もとあき)が長になっている。その下に医学館医師5名がいて、その下に実際に活動する人達の組織となっていて、枳園の師である有名な渋江全善(しぶえ・かえよし)、福山藩医の伊沢柏軒(信重・盤安)・枳園・堀川舟庵の4名で構成されている。このようにスタッフは阿部老中や枳園の親しいグループで、作業は安政元年(1854年)に始められ、安政版の底本となった半井家本の持出しの折衝役は、これまた阿部藩主の公用人の渡辺三平太によりすすめられた。これまで散逸していた医心方がこれで全巻揃い、関係者13名は狂喜雀躍したという。枳園の詩文に「自ずから狂わんと欲す」との一絶を詠っているし、また発句「見る人の数より多しかえり花」とスタッフ数より医心方巻数の多いことをよんでいる。森約之(枳園の息子)は、医心方が世に出た功績は卯生まれの3人の力と評した。その1は阿部正弘で文政己卯(文政2年・1819年)生れの36歳、その2はこの事業の最高責任者である多紀元堅で寛政乙卯(寛政7年・1795年)生れの60歳、その3は枳園で文化丁卯(文化4年・1807年)生れの48歳だとした。この事業は医学館が果たした最高最後の業績ともいわれ、幕府のかけた期待と情熱がうかがえる。
 この医心方発刊顛末記とも称すべき覚え書を枳園は入念に記録し、これを『医心方提要』と題して保存していた。その内容を一覧すれば、これに傾注した苦労、学識の深さをうかがい知ることができる。まず散逸した30巻を集める話。これだけでも1000年に近い時代を経ているだけに、一つの長い物語になる。次いで模写の作業にかかる。幕府侍医・法眼となった喜多村直寛
(きたむら・なおひろ)は、写生30人の心得を15条達筆で書いている。その中には、斉戒沐浴・丹波康頼の霊前に香花を供え、朝夕これに礼拝すべきことや書写中、猥談・剰語を禁ずとか、注意事項は作業全般に亘っており、各巻の担当者名が掲げられ、枳園も4巻ほど、名を連らねている。単に模写というだけでなく、移点・初校・再校と念入りな作業も1ヶ月足らずで終え、次いで、これを版木に刻む仕事は7人の刻工が取組んでいる。安政6年(1859年)5月版木が出来、伊沢柏軒と枳園の連名で、関係者に終校のために回覧され、12月には、枳園の宅に試刷4部が届けられ、それから印刷・製本の過程となって行った。現在の製本となる迄の過程と大いに異なる手間と苦労が払われたのである。
 清国考証学者の楊守敬は、日本でも知名の書道家でもあった人だが、彼は「影写手の渡辺源三は一時の絶技」とほめ、枳園ほどの群書博覧の者は中国にもいないと称えている。彼の提要の中にも、医心方各巻に引用参考とされた多くの書目が記されているし、『本草和名』、『本草経薬和名攷』、『いろは字源考』などの著述も知られている。明治3年(1870年)福山誠之館の教科書に、森枳園の著書・『皇国地理略』が用いられている。これは日本で始めての書であろうと評されている。全く博識博学の士であった。
 医心方が刊行されて1000年、この安政版復刻に献身した人達、ことに森枳園が医心方提要を記して100年を経た。枳園の晩年の明治14年(1881年)の春、27年前の嘉永7年(1854年)、医心方を求めた祝賀の宴に加わった人は、物故され、自分一人生き残った感慨を次のように詠じた。「月更けて独りになりぬ花の下」。
 森枳園達が苦心して復刻刊行した安政版医心方がある為に、広島では、全国では類例のない医心方研究会が持たれ、現代訳が発行されている快挙は枳園もって瞑すべきであろう。
 明治18年(1885年)12月6日没、享年79歳、東京都豊島区洞雲寺に葬る。諡長寿院訪古枳園居士。
誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
06760 川瀬一馬 著 『日本書誌学之研究』、775頁
「森立之・約之父子」
大日本雄弁会講談社 昭和18年
03208 藝備醫學會 編 『藝備醫志(芸備医志)』復刻版 藝備醫學會 昭和48年
06774 長野仁/宿野孝/大浦慈観 編 『日本漢方セレクション@ 日本腹診の源流−意仲玄奥の世界−』 六然社 平成15年
探しています
氏 名 名  称 制作/発行 日 付 コメント
森枳園 著 『桂川医話』(全1巻) 弘化3年(1846年) 相州時代の見聞記録
森枳園 著 『鶴蟲攷』 嘉永2年(1849年)
森枳園 著 『医心方提要』 嘉永7年(1854年)
森枳園 著 『蘭軒医談』 安政3年(1856年)
森枳園 著 『蘭軒遺稿』 安政4年(1857年)
森枳園 著 『本草経放註』(全2巻) 安政5年(1858年) 著者自筆本
森枳園 著 『游相医話』 文久4年(1864年) 大磯時代のこと
森立之 著 『皇国地理略』 明治3年(1870年)
森枳園 著 『平かな片カナ伊呂波字原考』(全1巻) 明治7年(1874年) 平仮名および片仮名の字源で著者の自筆を刻している
森枳園 著 『自作壽蔵之紙碑』 明治14年(1881年)
森枳園 著 『箋註和名鈔纂』 明治18年(1885年)
森枳園 著 『枳園漫録』 未刊 交友先輩などの逸話集録
森枳園 著 『枳園随筆』 未刊
森枳園 著 『教訓指南』 未刊
森枳園 著 『本草和名訓纂(ほんぞう・わみょう・くんさん)(五十音別)』 未刊
森枳園 著 『爾雅正名録』 未刊 元治元年稿
森枳園 著 『説文温知録補遺』 未刊
森枳園 著 『左傅攷注』 未刊 明治3年稿
森枳園 著 『十二青略記』 未刊 明治8年稿
森枳園 著 『三陽三陰辯』 未刊
森枳園 著 『本草経薬和名攷(ほんぞう・けいやく・わみょう・こう) 未刊
森枳園 著 『蔵府和知名攷』 未刊
森枳園 著 『蘇唐除三家脚家方論(上巻)』 未刊
森枳園 著 『病間漫録節抄附案』 未刊
森枳園 著 『諸病奇方録附諸物神秘傅』 未刊
森枳園 著 『食品要方捷見』 未刊
森枳園 著 『洋漢病名一覧』 未刊
森枳園 著 『中央泳魚目』 未刊
森枳園 著 『沈魚目』 未刊
森枳園 著 『蔵書印譜』 未刊
森枳園 著 『和漢雑抄』 未刊
森枳園 著 『猿楽雑記』 未刊
森枳園 著 『新案底稿』 未刊 安政5年以来
森枳園 著 『桃雪録』 未刊
森枳園 著 『明治八年落葉の記』 未刊
森枳園 著 『東籬芳英』 未刊 明治8年以来雑記
森枳園 著 『筆材詳記』 未刊 明治10年
森枳園 著 『丁丑雑録』 未刊 明治10年
森枳園 著 『戊寅低稿』 未刊 明治11年
森枳園 著 『温知筆記』 未刊 明治12年
森枳園 著 『庚辰歳梢草藁』 未刊 明治13年
森枳園 著 『王門胡録』 未刊 明治14年
森枳園 著 『睡餘雑録』 未刊 明治15年
森枳園 著 『秋半後記』 未刊 明治14年
森枳園 著 『節齋詩稿』 未刊 文政中
森枳園 著 『芳桜吟社詩稿』 未刊 文政中
森枳園 著 『桂川詩稿』 未刊
森枳園 著 『玉池詩稿』 未刊
森枳園 著 『華他巷集』 未刊
森枳園 著 『使西詩草』 未刊 慶應2年福山往還作108首
森枳園 著 『安政戊午文稿』 未刊
森枳園 著 『養老集』 未刊 晩年の狂歌・和歌類
森枳園 著 『戊辰日録』 未刊 慶應4年5月〜12月
森枳園 著 『己巳日録』 未刊 明治2年正月〜8月
森枳園 著 『使東日録』 未刊 明治2年10月〜12月
森枳園 著 『庚午日録』 未刊 明治3年正月〜3月
森枳園 著 『乙酉机上日誌』 未刊 明治18年7月以来
森枳園 著 『枳園雑攷』
森枳園 著 『極要六』
森枳園 著 『枳園叢考』(全3巻) 抄写本、医経経方の書中に出てくる重要な事項を収録、全文漢文
森枳園 著 『本草経攷註(ほんぞう・けいこう・ちゅう)
(著者自筆本、全2巻)
神農本草経に註釈を加えたもの
森枳園 著 『本草和名(ほんぞう・わみょう)
森枳園 著 『左伝医事抜鈔』
森枳園 著 『集注本草』
森枳園 著 『素問校注』
森枳園 著 『物産鑑識』
森枳園 著 『神農本草経校本』
森枳園 著 『千金方筆記』
森枳園 著 『外台秘要筆記』
森枳園 著 『玉機徴義筆録』
森枳園 著 『五臓六腑和名考』
森枳園 著 『温知薬宝開蔵図譜』
森枳園 著 『新編本草経義註』
出典1:『藝備醫志(芸備医志)』復刻版、33頁、芸備医学会編、広島県医師会刊、昭和48年11月11日
出典2:『広島県の医師群像−明治時代−』、52頁、阪田泰正著、安芸津記念病院郷土史料室刊、昭和61年1月1日
出典3:『廣島縣醫人傳(第1集)』、22・51頁、江川義雄著刊、昭和61年4月19日
出典4:『芸備両国医師群像』、37頁、「森枳園」、阪田泰正著、安芸津記念病院郷土史料室刊、昭和58年1月1日
出典5:『明治維新人名辞典』、1008頁、「森養竹(四代)」、日本歴史学会編、吉川弘文館刊、昭和56年9月10日
出典6:『福山の今昔』、171頁、濱本鶴賓著、立石岩三郎刊、大正6年4月26日
出典7:『日本書誌学之研究』、775頁、「森立之・約之父子」、川瀬一馬著、大日本雄弁会講談社刊、昭和18年6月10日
出典8:『日本漢方セレクション@ 日本腹診の源流−意仲玄奥の世界−』、長野仁・宿野孝・大浦慈観編、六然社刊、2003年6月1日
関連情報1:『備後史談』
2009年9月18日追加●2009年9月28日更新:本文、著書●2009年10月1日更新:著書、出典●2009年10月2日更新:本文●2009年10月19日更新:出典●2010年3月10日更新:経歴、探しています、出典●2010年3月31日更新:出典●2011年9月14日更新:経歴、本文、関連情報●2011年10月4日更新:経歴、本文、出典、関連情報(削除)●2011年10月5日更新:誠之館所蔵品、探しています●2011年11月10日更新:経歴、本文、誠之館所蔵品、出典●2012年2月3日更新:探しています●