福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
小林和一
こばやし・わいち
福山市長(第5代)
小林和一


経 歴
生:明治28年(1895年)11月25日、福山市地吹町生まれ
没:昭和43年(1968年)6月1日、享年73歳、法真寺に葬る
大正4年(1915年) 19歳 広島県立福山中学校(誠之館)卒業
深安郡役所書記
大阪北区職員
関西大学専門部法律学校卒業
大正8年(1919年)7月 23歳 帰郷、福山市役所に勤務
福山市収入役(2期)
昭和14年(1939年)1月 43歳 福山市助役
昭和21年(1946年)3月29日 50歳 福山市長
昭和22年(1947年)3月26日 51歳 追放により市長を退任
鳩屋百貨店社長・会長
重政誠之後援連合会会長
昭和40年(1965年) 69歳 福山市選挙管理委員長


生い立ちと学業、業績
小林和一は、明治28年(1895年)、小林林助の次男として福山市地吹町に生まれた。
大正4年(1915年)福山中学校(誠之館)を卒業。

深安郡書記、大阪北区職員をつとめたあと、関西大学専門部法律学校に入り、同校を卒業した。

大正8年(1919年)7月、大水害により帰郷、福山市役所に勤続27年。
庶務、税務各課長、収入役を勤めた。
その後、昭和14年(1939年)1月小林寿夫市長(第3代)の時助役に選任され、同市長の懐刀といわれ、また、三谷一二市長(第4代)の助役として厳しい戦時体制下の行政を支え、終戦処理には信念をもって当ったといわれる。
酒をたしなみ、談論風発、小躯ながら、剛気にして毅然とした風格があった。

昭和21年(1946年)3月29日第5代福山市長に就任した。
昭和21年(1946年)6月に起こったコレラは7月になって患者数が65名にも達し、県の指示によって7月3日、当時全国でも稀な都市隔離を断行。
防疫従事者と食糧運搬者以外は一切出入禁止となり、人口5万の福山市は文字どおり”陸の孤島”となった。
また、画期的な農地改革も始められ、物資不足、生活困窮への対応も切実なものがあった。
小林市長はこうした困難な職務に全身全霊をあげて献身的にその責務の遂行した。
昭和22年3月には、30人以上の従業員を有する会社・工場がすでに63社にもなっていた。
焦土と化した福山市の復興の原動力であった。
議会選出最後の市長小林和一は、公職追放令で昭和22年3月16日、退任を余儀なくされた。

そののちには百貨店社長・会長、元農林大臣
重政誠之後援連合会会長、昭和40年(1965年)には市選挙管理委員長として、公明選挙推進に力を注いでいる。
文字通り市政に多大な寄与貢献をなした功労者であり、その一方で実業界でも才腕を発揮するなど、錚々たる実力振りを発揮している。

因みに長女宏子さんの父君作田嘉高氏は、昭和19年(1944年)比島戦線で戦死。

趣味は、囲碁、釣魚、読書。


情報提供:小林一馬氏(昭和23年卒)
出典1:『自治行政大観 新日本人文録(広島県人国記)』、582頁、地方自治調査会編刊、昭和41年11月30日
出典2:『市長列伝』
2005年3月11日更新:経歴・出典●2006年3月31日更新:タイトル●2007年11月30日更新:経歴・本文●2010年5月12日更新:経歴●2012年2月21日更新:経歴●