福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
木田宏
きだ・ひろし
文部事務次官、新国立劇場運営財団理事長
木田宏


経 歴
生:大正11年(1922年)3月22日、和歌山県生まれ
没:平成17年6月27日、享年83歳
昭和14年(1939年) 17歳 広島県立福山誠之館中学校卒業
旧制広島高等学校卒業
昭和19年(1944年)9月 22歳 京都大学法学部卒業
昭和21年(1946年)8月 24歳 文部省入省
文部省視聴覚教育課課長
昭和30年(1955年) 33歳 文部省初等中等教育局地方課課長
昭和35年(1960年) 38歳 文部省文部大臣官房総務課課長
昭和51年(1976年)6月 54歳 文部省事務次官
昭和53年(1978年)6月 56歳 文部省退官
昭和53年(1978年)7月〜
 昭和60年(1985年)3月
56〜
63歳
国立教育研究所長
昭和60年(1985年)4月〜
 昭和62年(1987年)9月
63〜
65歳
日本学術振興会理事長
昭和62年(1987年)10月〜
 平成3年(1991年)8月
65〜
69歳
学校法人独協学園理事長
平成5年(1993年)4月〜
 平成11年(1999年)6月
71〜
77歳
(財)新国立劇場運営財団理事長
平成11年(1999年)7月 77歳 (財)新国立劇場運営財団顧問


「福山誠之館創立  百五十周年に寄せて」
木田宏(昭和14年卒)
福山誠之館が創立150年を迎えるという。
歴史の年表を繰ってみれば、150年前の安政の頃は、徳川幕府の末期に当たり、安政の大地震(1855年)を始め数々の震災と共に、開港を迫る西欧諸国の来訪という、世情騒然とした時期に当たっている。

当時の為政者が、薩英戦争(1863年)、下関戦争(1864年)、長州征伐(1864〜65年)、戊辰戦争(1868年)、西南戦争(1877年)などの戦乱を経ながら、大政奉還(1867年)と、それに伴う内政外交の確立と言う、近代国家としての政治体制の整備を殆ど無血の間に進められたことは、誠に驚嘆すべき偉業であったとしなければならない。

しかもその当時活躍された為政者は、いずれも年齢の若い人が少なくない。
誠之館の創立者である
阿部正弘(1819〜1857年)は、天保14年(1843年)25歳にして老中に入り、2年後から12年間、安政4年(1857年)まで、老中首座を努めている。
今日の内閣と比べて驚くべきことであり、平均寿命が延び、高齢化社会になったからと嘯いていることの出来ない恥ずかしさを覚えるのである。

申し開きの立つことではないが、幕末以降の歴史は、筆者自身、殆ど組織立った社会の変化として理解できるには至っていないでいる。
尤も、産業経済の発展、学術の進展、科学技術の急激な成長発展によって、個別の事象の変化が激しく、しかもその相互の関わりが複雑且つ多面的であり、また地球規模の広がりを持っているため、民族として、人類として、全体的な動向を把握することが困難となっていることも、理解を難しくしている所以であろう。

そこで、大変乱暴な独断を述べることになるが、誠之館創立150年を3分すると、最初の50年が日清日露の勝利で終わり、次ぎの50年が太平洋戦争の敗戦である。
明治維新の成功が日清日露の勝利を生み、その勝利が50年後の破綻をもたらすことになったと見ることも出来るであろう。

そのような時代の変化を省みる時、尤も重要な要素は何か。
それは国民が身につけている道理の感覚であり、それを養ってきた教育力とでも言うべきものではないであろうか。

江戸の中期から末期に向けて、国学、儒学、漢学、蘭学、洋学が各地に起こり、庶民の間にも塾、寺子屋の学習が普及して、庶民の識字率が非常に高かったことは、幕府の鎖国政策にも拘わらず、国民の世界に関する見識を充分に培ってきたのではなかったであろうか。

江戸の300年は鎖国時代と称せられ、教えられた所からは、我が国の発展が無かったかのごとき印象が強く、明治の開国に依って、漸く文明開化の華が開いたような感覚を持つに至っている。
しかし、この鎖国の間に広く庶民にまで藩校や寺子屋の教育が普及し、芸術文化の華が咲いていたことは、国民文化の水準が高まり、庶民の倫理観、教育力を高めていたと充分評価出来るのではないであろうか。

開港を迫るアメリカの
ペリー艦隊やハリス公使、ロシアのプチャーチン司令長官、遅れじと迫ってくる英仏の要請。
開国を迫る西欧諸国の動静に対して、尊皇攘夷を叫ぶ憂国の志士たち。
当時の為政者が、容易ならぬ苦境に立たされていたことは、察するに余りありと思うのである。

近隣の諸国が次々と植民地化されている時、諸外国をして、アジアの国々と違った対応を我が国に取らしめたものは、「日本の教育ある階級は、本来洗練され、理性的で、気品もあり、道理に服するにやぶさかでない人々である」との信頼を与えていたからであるとの見解さえ述べられている。(注 知られざる開国の側面と貢献者たち 大島智夫 スキエンティア35号)

幕末と言う大きな時代の変化に当面して、明治維新を成功させたものは、民族の文化水準であることを痛感していたのが、当時の為政者ではなかったであろうか。
老中にあって苦労された
阿部正弘が、その在任中、私財を投じて、江戸の丸山邸内と福山に学舎を作り、人材の養成に努められたことは、教育の力こそ国を興す基本であると実感されたからであろう。

縁あって誠之館に学ぶ者は、創設者である
阿部正弘の深い志を身につけ、先見性を備えた人物となるよう心掛けなければなるまい。

先の敗戦から50年。地球の環境問題や資源の偏在を含めて、イラク、イスラエルなどの中東地域はもとより、アジアも各地に問題は高まり、歴史的に大きな変化の波が押し寄せてきそうな気配である。

是非、国民の見識を高め、世界の大きな変動に対処して、誤り無きを期したいものである。
   (出典1)


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氏 名 書    名 制作/発行 日 付
木田宏 著 『教育行政法』 良書普及会 昭和32年
木田宏 著 『新教育と教科書制度』
木田宏 著 『逐条解説 地方教育行政の組織及び運営に関する法律』
木田宏 著 『大学への期待』



出典1:『誠之館創立百五十周年』、92頁、福山誠之館同窓会編刊、平成17年2月
2005年5月11日更新:本文・出典●2005年7月4日更新:経歴●2005年7月8日更新:本文・出典●2006年5月23日更新:タイトル・著書・連絡先(削除)●2008年1月31日更新:経歴・本文●2012年3月8日更新:本文・出典・探しています●