福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
石井英太郎
いしい・えいたろう
福山誠之館校長(初代)
石井英太郎


経 歴
生:天保14年(1843年)1月、備後国深津郡深津村(現広島県福山市東深津町)生まれ
没:昭和2年(1927年)10月14日、享年85歳
略  歴
慶応元年(1865年)閏5月 23歳 家督相続、深津村庄屋を拝命
慶応元年(1865年)6月 23歳 藩御用達
明治2年(1869年) 27歳 福山藩下議員(公議局所属)
明治6年(1873年) 31歳 小田県「学区取締り」拝命
明治7年(1874年) 32歳 小田県第二大区(深津郡)区長
岡山県・広島県の区長
明治10年(1877年) 35歳 区長を辞職
明治12年(1879年)4月26日 37歳 第1回広島県議会選挙に深津郡選出議員
明治12年(1879年)5月1日 37歳 第1回通常会で初代議長
明治12年(1879年)年7月7日〜
 明治13年(1880年)10月19日
37〜
38歳
広島県福山中学校校長(在任1年3ヶ月)
明治13年(1880年)7月26日 38歳 広島県議会議長辞任
明治13年(1880年)11月13日 38歳 半数改選の抽選にて県議会議員を退任
その後再選されたが、病気をもって辞退
明治16年(1883年) 41歳 文部省より硯箱1個を授与される
明治18年(1885年)8月3日 43歳 参議伯爵伊藤博文より白縮緬一匹を下賜される
明治19年(1886年)7月9日 44歳 賞勲局より銀杯一個を下賜される
明治29年(1896年)〜
 明治42年(1909年)
54〜
65歳
深津郡農会会長
明治31年(1898年)〜
 明治42年(1909年)
56〜
65歳
広島県農工銀行頭取
明治33年(1900年)〜
 明治36年(1903年)
58〜
61歳
深安郡郡会議員、議長、参事会員
大正9年(1920年) 78歳 広島県農工銀行頭取
義倉財団専務理事
福山教育義会幹事
関 係 年 表
明治11年(1878年)12月10日 「広島県師範学校分校」、「福山師範学校」と改称
明治12年((1879年)6月30日 「広島県福山師範学校」廃止
明治12年(1879年)7月7日 「広島県福山中学校」設立
明治12年(1879年)9月16日 「広島県福山中学校」開校
明治13年(1880年)6月 広島県議会第2回通常会にて福山中学校廃止問題起こる
明治13年(1880年)8月 福山中学校廃止問題終結
昭和2年(1927年)9月1日 「広島県立福山中学校」を「広島県福山誠之館中学校」と改称


生い立ちと学業、業績
初代校長のリーダーシップは行政・教育の両面に発揮されざるを得ないが、その足跡は次のように記録されている。
1、上記出納表(明治12年度福山中学校出納表)を見ても明らかなように、開校準備用の必要経費は計上されていない。
そこで備品購入費・営繕費等の経費を寄付したのが、福山義倉社(350円)・福山資学社(100円)・福山社倉社(50円)である。
この寄附金によって、中学校の開設を内部から推進したのは、福山義倉財団の専務理事であり、校長に補任された石井英太郎であったと推測される。(『誠之館百三十年史・上巻』308頁)
2、辞職後の10月13日、出校した石井校長は、別れを惜しむ生徒一同をつれて福山城址公園を遊歩し、全生徒職員に酒肴を呈したという。
以て心の通った師弟のまじわりを想像することができよう。( 誠之館百三十年史・上・327頁)
3、昭和2年(1927年)10月14日、85才をもって永眠した。
その偉大な功績をたたえ、逝去をいたんで弔辞をささげた人は十数名を数えたが、ここには、当時の福山誠之館中学校長
長岡恒喜氏の弔文の一部を採録する。

「(前略)先見の明、率先善導時運の趨勢を推輓せしかば其名一世を風靡せり。
就中教育はその尤も力を用ふる所にして、遺蹟今なほ赫々たるもの鮮しとせず。(中略)
之を外にしては、我誠之館が藩設を脱して共立小学校と変じ、師範学校と改まり、尋で県立中学校に改設せらるるや、君開校創業に関し百方精尽以て今日あるに至りしは是れ実に明治十二年なりき。
夫の館蔵
孔子銅像の残留、誠之館大額の顕揚、同記文(江木鰐水「誠之館記」)の騰存等は、君が校長たりし当時悉く其方寸によりて散佚せしめざりし者にあらざるはなし。
其用意凱切至れりと謂ふべし。
今や校名復旧(誠之館中学と改称したこと)、遺品の現存するを目睹せば、独り阿先公(
阿部正弘公)の遺徳を偲ぶのみならず、君が苦衷を懐はざるを得ず。
顧るに君終始一貫内外同軌以て教育に尽くすの功甚大なりと謂はざるべけんや。(下略)(『誠之館百三十年史・上巻』、328頁)」

奇しくも、「広島県立福山中学校」が「広島県立福山誠之館中学校」と改名して1月後の永眠、一生を誠之館教育の再生発展に尽くしたその思いはいかばかりであったろうか。   松岡義晃(昭和28年卒)


出典1:『誠之館百三十年史(上巻)』、308・328頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和63年12月1日
出典2:『郷土基本調査(復刻版)』、27・82頁、深津小学校創立百四十周年記念事業実行委員会編刊、平成23年11月1日
2005年3月7日更新:出典●2005年4月4日更新:本文●2006年3月24日更新:本文・関連情報●2007年3月6日更新:本文・関連情報●2008年2月13日更新:本文・関連情報削除●2012年1月19日更新:経歴・出典・関連情報(削除)●