福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
浜野章吉
浜野箕山
はまの・しょうきち はまの・きざん
誠之館文章寮掛
浜野章吉 (出典1)
生:文政8年(1825年)9月13日、備後国深津郡福山東町生まれ
没:大正5年(1916年)4月東京で没、享年92歳、福山吉津町長正寺に葬る
天保7年(1836年)〜
 天保8年(1837年)
12〜
13歳
渡辺橘南に学ぶ
天保12年(1841年) 17歳 広島藩儒坂井虎山に学ぶ
津藩有造館に遊学して、斉藤拙堂、土井贅牙について研修
嘉永元年(1848年) 24歳 津より上書して、藩校教育の革新を提言
嘉永6年(1853年) 29歳 ペリー来航、津から江戸へ急行して正弘に建議
弘道館会読掛
安政3年(1856年) 32歳 初出仕、誠之館文章寮掛
安政5年(1858年) 34歳 文章寮廃止に伴い、退いて家塾で教授
文久3年(1863年) 39歳 阿部正方に従って、山城八幡の警備
京坂地方や諸藩の間に奔走して外交のことにあたる
明治元年(1868年)12月27日 44歳 督事兼文学教授
明治2年(1869年)10月 45歳 少参事文武校担当<誠之館教育の改革、誠之館支校(山野村)建設>
明治4年(1871年)12月5日 47歳 深津県九等出仕
明治5年(1872年)6月10日 48歳 小田県権典事
明治6年(1873年)8月18日 49歳 小田県大属
明治8年(1875年) 51歳 千葉県属
明治15年(1882年) 58歳 内務省属(地誌編輯)
明治25年(1892年) 68歳 第二高等学校教授
明治30年(1897年)〜
 明治32年(1899年)
73〜
75歳
陸軍幼年学校嘱託
明治32年(1899年) 75歳 京都に住む
 名は源吉、諱は王臣、字は以寧、通称章吉、号は箕山のち猶賢。福山藩士浜野徳蔵の子として、文政8年(1825年)9月13日、備後国深津郡福山東町生まれる。福山藩士。
 12〜3歳のころ渡辺橘南に学び、また17歳より広島藩儒坂井虎山に学ぶ。虎山はその才を愛し養って自分の嗣子にしたかったが、福山藩がそれを許さなかった。その後、津藩有造館に遊学して、斉藤拙堂、土井贅牙について研修した。
阿部正弘が津藩主に章吉の教育を依頼しているのは、その才を高く買っていたしるしである。
 嘉永初年、津より上書して、藩校教育の革新を提言したのが誠之館創設の一契機となった。嘉永6年(1853年)、ペリー来航によって海内の議論が沸騰すると、津から江戸へ急行して正弘に建議し、正弘からその篤志を賞せられている。
 安政3年(1856年)、初出仕して、誠之館文章寮の掛に任命された。安政5年(1858年)、文章寮廃止に伴い、退いて家塾で教授した。文久3年(1863年)、
阿部正方に従って、山城八幡の警備にあたり、その後京坂地方や諸藩の間に奔走して外交のことにあたった。
 慶応3年、幕府は大政を奉還した。阿部氏は徳川氏の譜代の親藩であった。箕山は憂うるところあり、京より駈せ帰り、藩内において大いに大義名分の論をはった。徳川は、自ら朝廷の臣となった。もはや阿部氏も列侯でも陪臣でもない。朝廷の臣である。幕府を援け朝廷に抵抗する根拠はないと。論議百出の末、やや賛成が多く、遂に藩の方針が下された。明治元年長州が福山を攻撃してきたが、向背一決、戦いをさけて平和裡に解決した。箕山はこの交渉に大いに貢献した。
 明治元年(1868年)12月27日督事に任じ、督事兼文学教授、さらに翌明治2年(1869年)10月、福山藩少参事文武校担当に任ぜられ、その献策によって誠之館教育の改革や、誠之館支校の建設にあたった。誠之館の教育改革に尽力した功績は多大である。
 廃藩後は、明治4年(1871年)12月5日深津県九等出仕、明治5年(1872年)6月10日小田県権典事、明治6年(1873年)8月18日小田県大属に任命された。その後、明治8年(1875年)に千葉県属に、明治15年(1882年)に内務属に転じて地誌編輯をおこなう。明治19年(1886年)には非務となったが、明治25年(1892年)第二高等学校教授に、明治30年(1897年)には嘱託として陸軍幼年学校に勤務するが、明治32年(1899年)には解職された。その後は京都で余生を楽しんでいた。左手で左文字を書くのに妙であったという。
 『懐旧紀事 阿部伊勢守事蹟』は著名である。
 明治19年(1886年)2月15日、福山市丸之内1丁目(赤門の内側)にある「捨生取義の碑」を撰す。
 明治26年(1893年)10月、福山市今津町薬師寺境内の「傾山三吉先生之墓」、「冠山三吉先生之墓」の墓碑を撰す。
 大正5年(1916年)没、享年92歳。福山吉津町長正寺に葬る。
誠之館所蔵品・展示品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付 コメント
06696 濱野章吉 書 袱紗和歌 「桃の咲く」 大正2年
06691 阿部正精 書 扁額「サン雲亭」 濱野章吉氏旧蔵品
03929 濱野章吉 著 『懐旧紀事 阿部伊勢守事蹟』 吉川半七 明治32年
06693 濱野章吉 著 『猷賢憶測』 宮内黙蔵 明治36年
06694 濱野章吉 著 『箕山文稿』 宮内黙蔵 明治36年
06695 濱野章吉 著 『猷賢左書』 濱野章吉 明治41年
06692 濱野章吉 著 『猷賢左書説 米寿記念刊刻』 濱野章吉 明治45年
04692 宮内黙蔵 撰 「蓑山濱野先生行實」 明治44年
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氏  名 名  称 制作/発行 日 付 コメント
濱野章吉 著 『猶賢存稿』
出典1:『福山藩の教育と沿革史』、1・158頁、清水久人著、鷹の羽会本部阿部正弘公顕彰会編刊、1999年8月20日
出典2:『誠之館百三十年史(上巻)』、107・502頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和63年12月1日
出典3:『近世後期の福山藩の学問と文芸』、89頁、福山市立福山城博物館編刊、1996年4月6日
出典4:『郷賢録』、28頁、福田禄太郎著、福山城博物館友の会編刊、平成12年10月1日
出典5:『福山藩の文人誌』、115頁、濱本鶴賓著、葦陽文化研究会編刊、1988年7月27日
出典6:「箕山濱野先生行實」、宮内黙蔵、明治44年4月
出典7:『福山の今昔』、176頁、濱本鶴賓著、立石岩三郎刊、大正6年4月26日
出典8:『福山いしぶみ散歩』、20頁、「大成館中学校」、佐野恒男著、福山文化財協会刊、1993年5月12日
出典9:『福山いしぶみ散歩』、137頁、「捨生取義の碑」、佐野恒男著、福山文化財協会刊、1993年5月12日
2005年3月2日更新:著書●2005年3月31日更新:本文●2006年3月14日更新:所蔵品・著書●2006年3月16日更新:写真●2007年2月5日更新:経歴・本文●2008年11月20日更新:氏名●2009年2月26日更新:本文●2010年3月11日更新:著書(削除)・探しています●2010年4月1日更新:経歴・探しています・出典●2010年12月2日更新:誠之館所蔵品展示品●2011年3月22日更新:誠之館所蔵品展示品・探しています●2011年3月23日更新:誠之館所蔵品展示品●2011年4月14日更新:誠之館所蔵品展示品●2012年2月14日更新:本文・出典●2012年2月17日更新:本文・出典●