福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
袴田茂樹
はかまだ・しげき
国際政治学者、評論家、青山学院大学教授
袴田茂樹


経 歴
生:昭和19年(1944年)3月17日、大阪府生まれ
昭和31年(1956年)3月 12歳 深安郡御幸小学校卒業(昭和31年9月30日御幸村は福山市に編入)
昭和34年(1959年)3月 15歳 福山市立幸千中学校卒業
昭和37年(1962年)3月 18歳 広島県福山誠之館高等学校卒業
昭和42年(1967年) 23歳 東京大学文学部文化学一類卒業
昭和47年(1972年) 28歳 モスクワ国立大学哲学部大学院修了(ソビエト社会論)
昭和52年(1977年) 33歳 東京大学大学院社会学科国際関係論博士課程修了
昭和54年(1979年)〜
 昭和57年(1982年)7月
35〜
38歳
国立国会図書館調査員及び立法局客員調査員
昭和56年(1981年)〜
 昭和57年(1982年)3月
37〜
38歳
芦屋大学教授
昭和56年(1981年) 37歳 日本社会思想史学会会員、ソ連・東欧学会会員
昭和59年(1984年) 40歳 政府内閣ソ連研究会委員
昭和60年(1985年) 41歳 日本国際問題研究所研究プロジェクト「現代中国とソ連」研究会委員
昭和61年(1986年) 42歳 日本国際問題研究所研究プロジェクト「ソ連経済の中長期分析」研究会委員
昭和61年(1986年) 42歳 日本国際政治学会会員
昭和62年(1987年)〜
 平成24年(2012年)
43〜
68歳
青山学院大学(国際政治経済学部)教授
プリンストン大学客員研究員
東京大学大学院客員教授
平成24年(2012年)〜 68歳〜 新潟県立大学教授


生い立ちと学業、業績
昭和後期から平成時代の国際政治学者。
専攻は、ロシア問題、ロシア社会論、現代ロシア論である。

昭和42年(1967年)東京大学文学部文化学一類を卒業すると、ソビエト社会論を研究するため、モスクワ国立大学哲学部大学院で学び、昭和47年(1972年)そこを修了し、帰国してさらに昭和52年(1977年)東京大学大学院社会学科国際関係論博士課程を修了した。

その後、国立国会図書館調査員及び立法局客員調査員を昭和54年(1979年)から昭和57年(1982年)7月まで務めながら、昭和56年(1981年)から昭和57年(1982年)3月まで、芦屋大学教授を務めた。
またその後、青山学院大学国際政治経済学部助教授を経て、昭和62年(1987年)教授となった。

彼は、イデオロギーにとらわれることなくソ連(現ロシア)人の心理から、ソ連の動向、ソ連をとり巻く国際政治を、シャープな視点から説き続けてきた。
“大胆”な予測は、日本だけでなく、アメリカなどの政治学者も注目し、さすがモスクワに留学しただけのことはあって、ロシア人の内面をとらえたユニークな社会主義論、ロシア論の展開には、見るべきものがあった。

ところで彼は、学生たちに自分のゼミナールのテーマを、次のように提示している。

“ソ連邦の崩壊は、ロシア革命とともに、今世紀最大の政治ドラマであった。
世界は今冷戦構造に代わる新しい秩序を求めて模索しているが、カオスから抜け出す道はまだ見つかっていない。
今日ロシアを研究しようとすれば、単なる地域研究では済まないだろう。
というのは、例えばロシアや中国の問題を考えようとすれば、国家とは何か、民族とは何か、「民主主義」や「人権」は果たして普遍的価値かといった、政治学や哲学の原理的問題を考えざるをえないからである。

したがってこのゼミでは、ロシア・CIS諸国の問題、欧州圏の問題を中心とした地域圏をひとつの柱にするが、それにとどまらずさらに幅広い視野で、世界の動きや社会の本質的問題を把握することを目指したい。
国際政治の問題とともに、芸術や文化の問題もどんどん取り上げてゆくつもりである。”

このゼミナールのテーマは、即ち彼自身の研究の視点が要約されていると思う。
それは単なるロシア論ではなく、ロシアや東欧諸国を中心とした幅広い政治、経済、文化等、そしてまた、現代の諸問題の背景や根本的なものから考究してゆこうとする国際政治学者、研究者としての姿を、十分汲みとることができる。

ソ連、ロシア、東欧諸国等の諸問題についての著作、論文、評論も多数あり、また講演、研究発表、解説など、幅広い分野で大活躍している。

平成2年(1990年)度の福山誠之館同窓会総会では、“「ゴルバチョフのソ連はどこへ行く」 −激動のソ連、東欧情勢と新たな世界秩序の胎動−”のテーマで特別講演を行い、好評を博した。

父は袴田陸奥男[モスクワ極東研究所学術勤務員顧問、日本共産党党員(故人)]、異母妹にハカマダ・イリーナ[ロシア下院議員、経済学者]がいる。
   石井和佳(昭和25年卒)


「気分は45歳の還暦」
青山学院大学 国際政治経済学部長 袴田茂樹 (昭和37年卒)
私は現在、ロシアや国際問題の専門家として大学や学会、マスコミ、政府関係の仕事などをしています。
私が歩んだ道をふり返ってみると、ずいぶん偶然に左右され、いい加減に人生を決めて来たなという感がしないでもありません。
誠之館時代には私は物理や数学が好きで、物研(物理研究部)の部室に入りびたりでした。
古校舎の部室の暗室で夜中まで写真を現像したり、電波雑誌の配線図を睨みながらアルミ箱にドリルで穴をあけ、ハンダ鏝を手にアンプを組み立てたりするのが私の高校生活でした。
写真のほうは、増感現像、セピア調色、鉄調色なども手がけ、かなり本格派でした。
大学は湯川秀樹がいた京大で原子物理学をやるつもりで受験しましたが失敗し、浪人している間に心境が変化して、東大の哲学に進みました。
もし京大に受かっていたら、別の人生になっていたでしょう。

ただ、その後は哲学研究を仕事にしたわけではありません。
でも、哲学や文明論は今も関心の中心で、仕事のベースになっています。
大学4年のとき、ソ連に抑留された父親がまだモスクワに住んでいた関係で、偶然ですが、モスクワ大学大学院に留学しないかという話が舞い込みました。
1967年の事です。
大学卒業を前に就職の当てもなかったので、「ひとつ別世界を覗いてみるか」という軽い気持ちで、その年の秋、ロシア語も知らないままモスクワに留学し、1972年まで5年間、共産主義のソ連で過ごしました。
日本にいた許婚も呼び寄せて、2人で共に大学院生活です。
この妻も今、大学教師をしています。

あのおっかないソ連でどんな生活をしたのかとよく聞かれますが、どこも住めば都。
すばらしい友人も沢山でき、信じてもらえないかもしれないが、最高に充実した楽しい5年間でした。
共産主義のイデオロギーなど、日常生活には全く関係ありません。
どの世界でも、普通の人間は同じで、別にイデオロギーや政治で生きているわけではないのです。
ロシアの友人達も、共産主義のイデオロギーは建前として神棚に祭り、実際にはそれに背を向けてロシアや西側のホンモノの芸術や文化に夢中になっていました。
ロシア語に翻訳された芥川龍之介、安倍公房、川端康成などは知識人なら誰でも読んでいたし、黒沢明の映画も皆が観ていました。
それらについて、夢中で語り合ったり議論したりしたものです。
1970年頃、ソ連でもビートルズが大流行でした。

終戦の年に父は軍に招集され、私は10か月の赤ん坊のときに生き別れになり結核の母の手で育てられました。
そして、23才になってモスクワで父と初めて会うという奇妙なめぐり合わせを経験しました。
父は戦前から左翼運動をしていたので、抑留されたシベリアでも政治運動をして、結局帰国できなくなったのです。
ちなみに、今ロシアの大統領選挙に立候補しているイリーナ・ハカマダは、ロシアで最も著名な女性政治家ですが、私の異母妹です。
私はロシア政治の専門家として彼女の発言や行動もフォローしており、毎年モスクワで彼女に肉親として会っています。
考えてみると、これも不思議な偶然です。

1972年に帰国しましたが、ソ連帰りでは就職先もありません。
そこで、また東大大学院の博士課程に入りました。
他にたいした能力もなかったので、大学院では5年のロシア体験をもとにロシアの研究をしました。
ソ連などあまり関心も持たれていなかったころです。
そうこうしているうちに、ゴルバチョフが登場し、ペレストロイカという大胆な改革路線を始めました。
そして、このペレストロイカがソ連邦や東欧諸国の体制崩壊という世界史的大事件を招き、わが人生も一変しました。

マスコミは1980年代後半から90年代初めまで、ペレストロイカと社会主義の崩壊という衝撃的な事件を大々的に取り上げ、私もソ連の内情を知っている専門家として、しばしばNHKの政治討論会やマスコミに引っ張りだされることになりました。
ソ連共産党が崩壊した1991年の8月は、私が米国のプリンストン大学に客員研究員として滞在しているときでしたが、米国でもライバルの崩壊で大騒ぎでした。
1917年のロシア革命と共に1991年のソ連崩壊は、たしかに20世紀最大のセンセーショナルな政治事件でした。
ふり返ってみると、このようにソ連が脚光を浴びたとき私がソ連問題をやっていたというのも、これまで述べたように偶然の積み重ねによるものです。

私もいつの間にか、還暦を迎えることになり、昨年は伊勢の鳥羽で誠之館の昭和37年卒業生の同窓会を行いました。
100名近くが集まったのですから、たいしたものです。
42年ぶりの旧友たちと、「陣鼓の響き……」を大声で歌い、感激の2日間でした。

近況ですが、学部長職や学外の仕事でけっこう多忙です。
しかし、それでも毎年3,4回はシンポジウムなど仕事がらみですが国外に出て、息抜きもしています。
昨夏には富山の利賀村に国際演劇祭を観に、この正月には長野県の白馬にスキーに、家族で行きました。
来る2月には学生と白樺高原にゼミ合宿に行きます。
スキーと温泉も楽しんできます。
このような旅行のときは、自分で車を運転します。
来る4月から1年間研究休暇をとって、モスクワ大学で客員教授をしたり、中央アジアに旅行に行ったりする予定です。

これからのささやかな夢ですが、少し暇になったら自動二輪の免許を取り、ハーレーにでも跨ってゆったりカナダの旅でもしてみたいと思っています。
気分だけはまだ45歳の還暦です。
(2004年1月末)   (出典2)


著 書
書  名 制作/発行 日 付 コメント
『中ソ対立』 有斐閣 共著
『ソ連研究』 教育社 共著
『深層の社会主義 −ソ連・東欧・中国 こころの探訪』 筑摩書房 昭和62年 サントリー学芸賞
『ソ連−誤解をとく25の視角』中公新書 中央公論社 1987年
『ソビエト70年目の反乱−現地から検証する出口なきゴルバチョフ・ソ連』 集英社 1990年
『ソ連・東欧を読む』(プラネット・ブックス) 1990年 共著
『もっと知りたいソ連』 弘文堂 編著
『清水幾太郎論』
『ロシアのジレンマ−真相の社会力学』 筑摩書房 1993年
『ロシアの社会変動と国民性 講座スラブの世界4 スラブの社会』 弘文堂 1994年
『文化のリアリティ−日本・ロシア知識人:真相の精神世界』 筑摩書房 1995年
『沈みゆく大国−ロシアと日本の世紀末から』(新潮選書) 新潮社 1996年
『ロシアは再生できるか』 東洋経済新報社 1998年 共著
『ロシアのオリエンタリズム』 柏書房 2000年 共訳
『プーチンのロシア 法独裁への道』 NTT出版 2000年
『現代ロシアを読み解く−社会主義から「中世社会」へ』(ちくま新書) 筑摩書房 2002年
『日本の領土問題』 自由国民社 2002年
『アジアに接近するロシア−その実態と意味』 北海道大学出版会 2007年 共編著
『現代ロシアを見る眼 「プーチンの十年」の衝撃』(NHKブックス) NHK出版 2010年 共著


誠之館所蔵品
管理 氏名 名称 制作/発行 日 付
02132 袴田茂樹 著 『深層の社会主義 ソ連・東欧・中国 こころの探訪』(ちくま文庫) 筑摩書房 1990年
07174 プレジデント社 編 「人間邂逅 袴田茂樹×藤阪知之」、
『プレジデント(2015.2.16号)』、8頁
プレジデント社 2015年


出典1:『誠之館同窓会報(平成2年度)』、福山誠之館同窓会編刊、平成2年5月27日
出典2:『誠之館創立百五十周年』、116頁、福山誠之館同窓会編刊、平成17年2月
参考資料1:『現代日本執筆者大辞典(第4期・第3巻)』、日外アソシエーツ編刊、2003年
参考資料2:『現代日本・朝日人物辞典』、朝日新聞社編刊、1990年
参考資料3:『講談社日本人名大辞典』、講談社編刊、2001年
参考資料4:『新訂 現代日本人名録 94 B』、日外アソシエーツ編刊、1993年
参考資料5:『新訂 現代日本人名録 2002 B』、日外アソシエーツ編刊、2002年
関連情報1:『プレジデント(2015.2.16号)』、8頁、「人間邂逅 袴田茂樹×藤阪知之」、プレジデント社編刊、平成27年2月16日
2005年3月2日更新:著書・出典・参考資料●2005年4月28日更新:経歴●2005年7月8日更新:本文・出典●2006年5月26日更新:タイトル・連絡先(削除)●2007年10月3日更新:経歴●2008年3月4日更新:経歴・誠之館同窓会●2008年3月31日更新:誠之館所蔵品●2013年7月22日更新:経歴・著書●2015年2月19日更新:関連情報●