福山阿部藩
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誠之館と
交流した人々 |
誠之館所蔵品
関係者 |
誠之館同窓会
歴代役員 |
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| 画 家 |
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| 五姓田芳柳二世 (出典1) |
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| 生:元治元年(1864年)8月7日、下総国猿島郡沓掛村(現茨城県坂東市)生まれ |
| 没:昭和18年(1943年)1月9日、東京都淀橋区戸塚町(新宿区)で没、享年80歳、専心寺に葬る |
| 明治11年(1878年) |
14歳 |
上京して、五姓田義松(初世芳柳の二男)に師事 |
| 明治13年(1880年)4月2日 |
15歳 |
初代五姓田芳柳の養子となる |
| 明治13年(1880年) |
15歳 |
五姓田義松が渡仏後はワーグマンに師事、続いてサン・ジャパンニ、カッペレッティなどに師事 |
| 明治14年(1881年)3月 |
17歳 |
第2回内国勧業博覧会に「飾馬図」を出品 |
| 明治14年(1881年)6月 |
17歳 |
五姓田家の家督を相続 |
| 明治16年(1884年)秋 |
16歳 |
初代芳柳と北陸旅行 |
明治17年(1884年)3月〜
明治18年(1885年)6月 |
20〜
21歳 |
新潟県立学校で図画を教授 |
| 明治20年(1887年)6月30日 |
23歳 |
五姓田芳柳(二世)を名乗る |
| 明治22年(1889年)6月16日 |
25歳 |
明治美術会の創立会員 |
| 明治23年(1890年) |
26歳 |
第3回内国勧業博覧会において「鷺沼平九郎大蛇ヲ屠ル図」「羅漢図」で褒状を受ける |
| 明治25年(1892年) |
28歳 |
明治美術会展や各国の博覧会に出品 |
| 明治30年(1997年)8月 |
33歳 |
神田帝国パノラマ館に「蒙古来寇」を描く |
| 明治33年(1900年) |
36歳 |
パリの万国博に「猿曳図」を出品、褒状を受ける |
| 明治35年(1902年) |
38歳 |
巴会結成に参加、創立会員 |
| 明治37年(1904年)7月 |
39歳 |
浅草パノラマ館に日露戦争のパノラマを描く |
| 明治38年(1905年)1月5日 |
40歳 |
小笠原諸島の写生旅行に出発 |
| 明治38年(1905年)3月7日 |
40歳 |
上野パノラマ館に旅順戦争のパノラマを描く |
| 明治38年(1905年)10月14日 |
41歳 |
浅草日本パノラマ館に日本海大海戦のパノラマを描く |
| 明治39年(1906年)1月 |
41歳 |
上野パノラマ館に遼陽大戦のパノラマを描く |
| 明治41年(1908年)4月3日 |
43歳 |
京都本能寺のパノラマを描く |
| 明治41年(1908年)5月2日 |
43歳 |
古式鎧着初式に出席 |
| 明治42年(1909年)12月10日 |
45歳 |
日英博覧会事務局嘱託員として英国への派遣が決定 |
| 明治43年(1910年)1月19日 |
45歳 |
上野不忍池畔東京勧業協会で歴代風俗に関する作品の背景を展示 |
| 明治43年(1910年)5月14日 |
45歳 |
日英博覧会のために渡英してジオラマ「日本古代より現代に至る風俗変遷図」を描き、名誉賞状を受ける |
| 明治43年(1910年) |
45歳 |
イギリスからの帰途ヨーロッパ各国を巡歴、美術館などを見学、さらにインド、東南アジア諸国を巡歴 |
| 大正6年(1917年) |
53歳 |
明治神宮奉讃会嘱託、聖徳記念絵画館の壁画下絵の制作 |
| 昭和6年(1931年)2月 |
66歳 |
五姓田芳柳作画展覧会、これを期に引退、芳柳号を先代に返上 |
| − |
− |
日赤特別社員 |
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五姓田芳柳には、初世と二世がある。
二世芳柳は下総国(茨城県)の出身。旧名は倉持子之吉、通称芳雄。明治11年(1878年)上京して、五姓田義松(初世芳柳の二男)に師事し、明治18年(1885年)には、芳柳の養子となり二世芳柳を名乗った。
ワーグマン≪英人美術通信員・文久元年(1861年)〜明治24年(1891年)在日≫に師事し、さらに明治14年(1881年)頃から工部美術学校のサン・ジャパンニ、カッペレッティなどの教えも受けている。明治22年(1889年)明治美術会の創立会員となり、同会解散後の明治35年(1902年)には、巴会の結成に参加しその創立会員となる。
福山関係では、「阿部正弘公肖像画」のほかに、小林義直の要請により寺地強平の肖像画も画いたらしいが、今その所在は明らかでない。
明治33年(1900年)のパリの万国博には作品を出品した。さらに明治43年(1910年)の日英博覧会の際は、渡英してジオラマ(背景画の前に立体模型を置く見せ物)を描いた。後年は歴史風俗画を多く描いている。
初世芳柳<文政10年(1827年)〜明治25年(1892年)>は浮世絵および狩野派から出発し、これにオランダ風の手法を加え、西洋風の画法を独創したという。 (出典2) |
| 誠之館所蔵品 |
| 管理 |
氏 名 |
名 称 |
制作/発行 |
日 付 |
| 00019 |
五姓田芳柳 画 |
「阿部正弘公肖像画」 |
− |
明治30年ごろ |
| ◎ |
◎ |
◎ |
◎ |
◎ |
| 05401 |
神奈川県立歴史博物館・岡山県立美術館 編 |
『特別展五姓田のすべて−近代絵画への架け橋−』 |
神奈川県立歴史博物館・岡山県立美術館 |
平成20年 |
|
出典1:『特別展五姓田のすべて−近代絵画への架け橋−』、神奈川県立歴史博物館・岡山県立美術館編刊、平成20年8月8日
出典2:『誠之館記念館所蔵品図録』、58頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日 |
| 2005年6月15日更新:レイアウト●2006年6月23日更新:タイトル、所蔵品●2007年6月12日更新:本文●2008年1月15日更新:経歴●2008年10月28日更新:経歴、本文●2008年10月29日更新:本文●2009年4月3日更新:経歴、誠之館所蔵品●2009年8月19日更新:写真、経歴●2009年8月20日更新:誠之館所蔵品● |