福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
藤家虹二
本名
藤家光嗣
ふじか・こうじ ふじか・こうし
音楽家、クラリネット奏者
藤家虹二


経 歴
生:昭和8年(1933年)9月2日、広島県福山市生まれ
没:平成23年(2011年)10月24日、享年78歳
昭和27年(1952年) 18歳 広島県福山東高等学校(誠之館)卒業
東京藝術大学音楽学部器楽科主席入学、主席卒業
昭和31年(1956年) 22歳 毎日音楽コンクール「管楽器部門」で第1位
昭和33年(1958年) 24歳 藤家虹二クインテットを結成
昭和37年(1962年) 28歳 「ヘルシンキ平和友好祭」入賞
平岡精二クインテットセクステット
池田操とリズムキング
南部三郎クインテット
昭和63年(1988年) 54歳 「藤家虹二チャリティーライブ」、以後10年連続開催
平成元年(1989年) 55歳 L.A.ジョンアンソンフォードシアターでの「ブルーノート50周年記念ジャズフェスティバル」に日本人唯一のグループとして招待され出演
平成9年(1997年) 63歳 「文化放送ジャズヴィレッジクラリネット教室」で後進の指導
平成9年(1997年)夏 63歳 CD「藤家虹二 プレイズB・グッドマン」が「イエール大学B・グッドマンライブラリー」に収蔵される
平成10年(1998年) 64歳 「WE LOVE CLARINET」のコンサート開催・CD制作(藤家虹二クインテット結成40周年記念)
平成11年(1999年)10月 66歳 「クラリネット奏者の為の日本初のジャズ講座」、アルソ出版より発売の「ザ・クラリネットライフ」で連載される
平成13年(2001年)1月 67歳 「2000年度・第26回南里文雄賞」


生い立ちと学業、業績
東京芸術大学在学中よりジャズ界に身を投じながらも、その間昭和31年(1956年)に毎日音楽コンクールが第25回を記念して新設された「管楽器部門」で第1位を獲得。
その頃よりジャズとクラシックの両棲動物と呼ばれるようになった。昭和37年(1962年)「ヘルシンキ平和友好祭」におけるコンクールで入賞。

スイング王ベニーグッドマンに傾倒し、スイングジャズ一筋に演奏し続け、平岡精二クインテットセクステット〜池田操とリズムキング〜南部三郎クインテットを経て、昭和33年(1958年)藤家虹二クインテットを結成。
この間、音楽監督・プロデューサー、作編曲、著作、執筆などの活動を続ける。
昭和63年(1988年)より、福祉機関への寄付を目的とした「藤家虹二チャリティーライブ」を10年連続開催。
平成元年(1989年)L.A.ジョンアンソンフォードシアターでの「ブルーノート50周年記念ジャズフェスティバル」に日本人唯一のグループとして招待され出演。

平成9年(1997年)アマチュアを対象に「文化放送ジャズヴィレッジクラリネット教室」が開講され後進の指導に当たる。
同平成9年(1997年)夏CD「藤家虹二プレイズB・グッドマン」が名誉ある「イエール大学B・グッドマンライブラリー」に収蔵される。
平成11年(1999年)10月アルソ出版より発売の「ザ・クラリネットライフ」で藤家虹二執筆によるクラリネット奏者の為の日本初のジャズ講座(CD付き)が連載される。

平成10年(1998年)には藤家虹二クインテット結成40周年を機にタイトル「WE LOVE CLARINET」のコンサート開催・CD制作を継続中。平成13年(2001年)1月「2000年度・第26回南里文雄賞」受賞。
   (出典1)
本邦初演
「ベラ・バルトーク/コントラスツ」 共演:バイオリン・植木三郎、ピアノ・本荘玲子
(1960年12月ヤマハホール)
「アーロン・コープランド/
クラリネットと弦楽オーケストラの為の協奏曲」
指揮:A・コープランド 共演:読売日本交響楽団
(1966年9月東京文化会館)
「アーティー・ショー/クラリネット協奏曲」 共演:コージースイングオーケストラ
(1994年11月東京全日空ホテル)
作 曲
「クラリネット・フォー・ドリーミング」 NHKミニ番組にて放送 CD「エレジー」に収録
「恋わずらい〜NUTTY PINE」 NHKステーションブレイクにて放送中 CD「エレジー」に
収 録
「エレジー」 CD「エレジー」に収録
「愛に溺れて」
「ユア・マイン」
CD「WE LOVE CLARINET」に収録
「リリース・ユア・ハート〜心を開いて」
「ロマンティックシーン」
「IN ALAZY MOOD〜かったるいね」
CD「WE LOVE CLARINET Vol.2」に収録
<歌謡曲>
「別れのスナック」 作詞・なかにし礼 唄・朝丘雪路
クラリネットバージョン(東芝)ヴォーカルバージョン(CBSソニー)

「恋のインターチェンジ」
「花の仁義」
作詞・邱永漢 唄・橋幸夫(ビクター)
「異三郎のバラード」 唄・杉良太郎(テイチク)
「アイ・ラブ・ユー」ほか 唄・渚まゆみ(大映レコード) 
<ドラマ音楽>
TBSドラマ「赤い関係」「幻の殺意」「平九郎危機一髪」ほか
フジテレビ「プリンス・スリラー劇場」「霧の女」「聖ヨハネ病院」「お墓に青い花を」
「夜の扉」「母さんの骨をもらって歩いた」「女達の狂奏曲」ほか
テレビ朝日「不倫」「娘・妻・母」「魔魚伝説」ほか
RKBテレビ「お父ちゃんの地下鉄」「ああ泣いて血を吐くほととぎす」ほか
<テーマ音楽・社歌・校歌・その他>
フジテレビ「特番・オリエント急行」「日本ストリート物語」ほか
社歌・イメージソング「株式会社エミネント」「マンフライデー」「YPO」
「長崎オランダ村・ランボーのテーマ」「広島港築港100周年・百年の汐風」 ほか
園歌・校歌「奈良市立・若草幼稚園」「福山市立・道の上小学校」「名古屋市立・上社小学校」
「川崎市立・王禅寺小学校」「川崎市立・王禅寺中学校」「ブレーメン国際日本学院」
「中日ドラゴンズマーチ、ファンファーレ/作詞・みなみらんぼう」ほか
編 曲
越路吹雪
「ラストダンスは私に」「ワン・レイニー・ナイト・イン・トウキョウ」
(レコード大賞・特別歌唱賞受賞)
中原美紗緒
「パリの雀」他多数編曲
「クラリネットとピアノの為のカプリスTwo-Four」
「ムーンリット・ディザート〜月の砂漠」
「シンギング・バッハ」「ダンシング・モーッアルト」
「NHK新ラジオ歌謡・今月のテーマ」
「あの日のように」ほか
子供の唄
「フジテレビ・ちびっ子のど自慢」 音楽担当
「NHK・歌はともだち」 音楽監督
「フジテレビ・ひらけ!ポンキッキ」 音楽監督
「映画・未来少年コナン」 音楽担当
「ペケのうた」補作曲・編曲 1968年レコード大賞・童謡賞受賞
NHKみんなのうた「勇気のうた」「お母さんのうた」ほか 作曲
番 組
フジテレビ「祭りだわっしょい!」 音楽制作
RKBラジオ「藤家虹二のシンギングポップス」 1978年〜1985年まで放送
RCC広島・RKB熊本「藤家虹二のハッピーセッション」 1980年〜
広島FM「藤家虹二のはりきり親父」 1982年〜1988年まで放送
TBSラジオ「全国子供電話相談室」ほか 1985年〜1986年まで出演
レコード・CD
「Mr.Clarinetプレイズ ブラームス、ウェーバー&リゴレット」 キングレコード&MMA 共演:巖本真理弦楽四重奏団
コージーポップスオーケストラ
「ハッピーセッション〜 藤家虹二クインテット 結成15周年記念ライブ」 ワーナーパイオニア 演奏:藤家虹二クインテット、
 森寿男とブルーコーツオーケストラほか
「ハッピーセッション Vol.1&2」 ワーナーパイオニア 演奏:藤家虹二オールスターズ
「愛に溺れて」 ワーナーパイオニア 演奏:藤家虹二クインテット
「スインギングハウス」 BMGビクター(RCA) 演奏:藤家虹二クインテット
「ベニー・グッドマンに捧ぐ〜藤家虹二プレイズ ベニー・グッドマン」 BMGビクター(RCA) 演奏:藤家虹二クインテット、
 高橋達也東京ユニオンオーケストラほか
「スイートクリスマス・フォー・ラバーズ」 BMGビクター 演奏:藤家虹二クインテット、
 コージーポップスオーケストラほか
「エレジー」 MMA 演奏:藤家虹二クインテット
「ジャズ&ポップス クラリネット名曲集」 ドレミ楽譜出版
 (CD&楽譜集)
演奏:藤家虹二クインテット
「夢を育てるわらべうた」 キングレコード 演奏:藤家虹二クインテット
うた:たんぽぽ児童合唱団
「ウィーラブクラリネット〜 藤家虹二クインテット結成40周年記念」 MMA 演奏:藤家虹二クインテットほか
「ウィーラブクラリネットVol.2」 MMA 演奏:藤家虹二クインテットほか
「ちびっ子ソング」ほか キングレコード 演奏:藤家虹二オールスターズほか
著作・執筆
「ちびっ子ソングをピアノで弾こう!」 全音楽譜出版
「ポップクラリネットソロアルバム」 ドレミ楽譜出版
藤家虹二のジャズ講座 「ザ・クラリネットライフ」アルソ出版
連載コラム「藤家虹二の云いたい放題」 西日本新聞社、東京中日・中日スポーツ
新聞、世界日報
連載コラム「ジャズとタイガース」 デイリースポーツ(全8回)
連載コラム「うちのお気に入り」 東京新聞社
連載コラム「緑地帯」(全8回) 中国新聞社
連載コラム「私の豊島紀行」(全6回) 広報としま


「誠之館の音楽教室」    藤家虹二(本名・光嗣) (昭和27年卒)
私が誠之館中学校に入学したのは昭和21年(1946年)4月である。今では想像もつかないが終戦(我々は敗戦と呼んでいる)の翌年と云う事で、世の中バケツをひっくり返したような有様。何とか恰好つけて通学してた、と云うのが正直な所であった。勿論この私が生涯を通じて音楽をやり続けようとは夢にも思っていなかった訳で、その日暮らしを全うする事が精一杯の世の中であり、時代でもあった。

今でも私の人生の中ででかいターニングポイントになる事がその誠之館で起こるとは無論当時としては夢想だにし得ない事である。俗に言う振り返ってみれば、と云う事なのかもしれない。

私の父は田舎の貧乏牧師で本町にあった小さな教会の中で私は育ってきて、日曜毎に礼拝の中で讃美歌を聴き、歌い、聖書を読まされていたのである。昭和20年(1945年)8月8日の空襲で教会兼自宅は焼けてしまい、バラック状態の教会のような所で同じような生活をしていた中での誠之館入学であった訳である。そんな中で、最初に遭遇したのが故・山本眞太郎先生(オバアさん)の音楽の授業での驚きである。後年私が芸大へ進学した時に大変お世話になった故・山本正人教授(同じく誠之館の大先輩)のお父上なんて事は勿論知る由もない。

あの頃のあの学校の音楽教室でいきなりドイツ音名による音楽の授業、それも片手にムチ、片手にクラリネットと云う(ピアノは使い物にならないからと云うのがその理由)破天荒な授業であった。その時のオバアさんの吹いたクラリネットと現在私が吹いているクラリネットはなんの因果関係も無いが、同級生の中にはあとで逃げ出したかった、と云うのも多々あり、我々にとっては確かに今で云う「楽典」中心のあの授業は難しかったと思う。讃美歌という「和声学」的に音楽の基本となるものに耳馴染んでた私にとっては、瞠目こそすれ楽しかったと今でも思っている。

書き記せば枚挙に暇の無い程のプロセスを経て芸大を卒業、現在に至る私であるが、本業クラシック奏者になる筈のものがアルバイトのジャズと云うミイラに取り込まれそのままミイラになってしまい、敬愛するベニー・グッドマン目指してスイングジャズ一筋に演ってきた訳である。オバアさん・トロさん(芸大ではトロンボーン の先生で管・打楽器の主任名物教授であった)親子とオーバーに云えば何か赤い糸のようなもので結ばれていた気がしてならない。

気が付けばクラリネットを手にして今年で57年、我がバンド「藤家虹二クインテット」を結成して45年は何か夢のうちに過ぎてしまった感もあるが、極く最近、多分日本では初めての「メソッド・フォー・スインギング・クラリネット」なる教則本を上梓する事になっている。

今迄の名誉・不名誉も含めての楽隊生活は果たしてどんな未来があるか不明であるが、まだまだこの先も吹き続けて90歳現役を目指している私にとってまだ途半ばではあるが、私の音楽生活の全ての原点は誠之館のあの音楽教室にあったと断言しても一向に差し支えない気がしてならない。('04・1月記)
   (出典2)


出典1:HP「 Koji Fujika Mr.Clarinet 藤家虹二」
出典2:『誠之館創立百五十周年』、111頁、福山誠之館同窓会編刊、平成17年2月
関連情報1:『山陽新聞 平成15年2月22日』14面、山陽新聞社、平成15年2月22日
関連情報2:『中国新聞 平成14年5月22日』中国新聞社、平成14年5月22日
関連情報3:『讀賣新聞 2007年3月5日』、15面、「高校グラフィティー(広島・下)」、讀賣新聞社、2007年3月5日
2005年2月9日更新:本文●2005年5月30日更新:経歴・本文・出典●2005年7月7日更新:本文・出典●2006年6月13日更新:タイトル・本文●2006年12月8日更新:レイアウト●2008年4月2日更新:経歴・出典・関連情報●2011年10月25日更新:経歴●2011年12月12日更新:本文・出典・関連情報●