福山阿部藩
藩主 |
誠之館
先賢 |
福山藩
関係者 |
誠之館
歴代校長 |
誠之館
教師 |
誠之館
出身者 |
誠之館と
交流した人々 |
誠之館所蔵品
関係者 |
誠之館同窓会
歴代役員 |
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| くろがねや当主 |
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| 藤井興一右衛門 |
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| 生:明治19年(1886年)6月 |
| 没:(不明) |
| 明治31年(1898年) |
12歳 |
くろがねや当主(第12代)の地位を継ぐ |
| 明治37年(1904年) |
17歳 |
広島県立第二中学校(誠之館)卒業 |
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− |
早稲田大学卒業 |
| 大正11年(1922年) |
36歳 |
福山電気化学株式会社社長 |
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帝国魚網株式会社社長 |
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日本木材工芸株式会社社長 |
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広島県県農会特別議員 |
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福山教育義会財団専務理事 |
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藤井農業合資会社代表社員 |
| 昭和25年(1950年)9月 |
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藤井酒造株式会社社長 |
| − |
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福山体育会会長 |
| 昭和34年(1959年) |
73歳 |
中国文化賞 |
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明治19年(1886年)6月に、福山市宝町において豪商「くろがねや」藤井興一右衛門(第11代・廣一)の長男に生れる。幼名は裕吉。誠之館、早稲田大学出身。父は明治31年(1898年)、12歳の時に亡くなり、ただちに家督をついだ。戦前福山市民の知らぬはなかった巨富を擁する「くろがねや」の当主として代々の当主名興一右衛門を名乗った。
藤井家は深津、安那、沼隈、品治の四郡に広大な農地を所有し、松永町では塩田を、福山市では清酒・保命酒の醸造業を営む豪商であった。こうした大家に生れ育ちながら、氏は身を持すること固く且つ厳しく、不正不義を許さぬ潔癖とで、高邁な人格者として知られて来た。終戦後、日本経済の大きな変革により、藤井家の蒙った打撃は大きかったが、昭和25年(1950年)9月藤井酒造株式会社に改組、また大正11年(1922年)以来の福山電気株式会社と併せて、依然福山実業界に不抜の地位を確保しつつあり、依然福山財界の巨星である。
そしてスポーツ体育に専念し、漕艇、徒歩、登山などの普及奨励に打込んだ。早くから福山体育会や、福山山岳会を創設し、今もなお高齢ながら、徒歩登山の会には率先して参加するなど、福山体育界に大きな貢献を示し、さらに現在も福山体育協会の顧問に推されている。昭和34年(1959年)度の中国文化賞は体育部門の一大功労者として、福山市の藤井與一右衛門氏の頭上に輝いた。藤井氏が若い頃から営々として倦くことを知らず73才の今日まで体育もスポーツに力を尽して来たことが、初めて報われたと云うべきであろう。
建築家の藤井厚二は氏の実弟。 |
出典1:『政治産業文化備後綜合名鑑』、11頁、式見静夫編、備後文化出版社刊、昭和34年
出典2:『福山学生会雑誌(第62号)』、165頁、福山学生会事務所編刊、大正15年7月12日 |
| 2005年1月18日更新:経歴●2005年5月31日更新:本文●2006年6月30日更新:タイトル●2008年7月8日更新:経歴、本文●2009年12月18日更新:経歴、本文● |