福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
藤井崇治
ふじい・そうじ
札幌逓信局長、逓信省郵便局長、電源開発株式会社総裁
藤井崇治 (出典1)


経 歴
生:明治27年(1894年)7月1日、広島県深安郡山野村矢川川向177番地の1(現福山市山野町矢川)生まれ
没:昭和50年(1975年)3月18日、享年82歳、京都東山西大谷の墓地に葬る
明治45年(1912年)3月 17歳 広島県立福山中学校(誠之館)卒業
明治45年(1912年)〜
 大正4年(1915年)
17〜
20歳
福山南尋常小学校で代用教員
大正7年(1918年) 23歳 第三高等学校(京都)文科卒業
大正10年(1921年)1月5日 26歳 能勢伸と結婚
大正10年(1921年)3月31日 26歳 京都帝国大学法学部法律科卒業
大正10年(1921年)5月16日 26歳 逓信局書記となり、通信局勤務
大正11年(1922年)1月19日 27歳 芝郵便局勤務
大正12年(1923年)3月10日 28歳 名古屋中央電話局長
大正14年(1925年)4月20日 30歳 電務局勤務、逓信事務官
大正15年(1926年)3月20日 31歳 大阪逓信局庶務課長
昭和2年(1927年)7月4日 33歳 札幌逓信局規画課長
昭和3年(1928年)7月27日 34歳 郵務局規画課長
昭和5年(1930年)10月4日 36歳 英国在留(1年間)など、欧米各国へ留学(2年間)
昭和7年(1932年)1月25日 37歳 郵務局規画課長
昭和8年(1933年)3月31日 38歳 関東庁逓信局長
昭和8年(1933年)5月16日 38歳 日満合弁通信会社設立委員
昭和9年(1934年)4月29日 39歳 勲四等瑞宝章
昭和9年(1934年)12月26日 40歳 逓信省電気局監理課長
昭和10年(1935年)1月 40歳 神奈川県鎌倉に居を構える
昭和10年(1935年)1月16日 40歳 電気委員会幹事
昭和11年(1936年)4月8日 41歳 電気事業調査会委員
昭和12年(1937年)5月25日 42歳 逓信局長、補札幌逓信局長
昭和13年(1938年)1月11日 43歳 逓信省郵務局長、逓信事業改良調査会委員
昭和13年(1938年)5月6日 43歳 電力管理準備局次長
昭和13年(1938年)9月6日 44歳 日本発送電株式会社設立準備委員補助
昭和14年(1939年)4月1日 44歳 日本発送電株式会社監理官
昭和14年(1939年)4月1日 44歳 電気庁部長、電気庁第一部長
昭和14年(1939年)10月27日 45歳 中央電力調整委員会幹事
昭和14年(1939年)11月13日 45歳 勲三等瑞宝章
昭和15年(1940年)4月29日 45歳 勲三等旭日章
昭和15年(1940年)5月7日 45歳 逓信省郵務局長
昭和16年(1941年)10月1日〜
 昭和17年(1942年)6月26日
47〜
48歳
電気庁長官
昭和17年(1942年)5月〜
 昭和19年(1944年)8月
47〜
50歳
大政翼賛会実践局長
昭和20年(1945年)9月 51歳 日本発送電株式会社副総裁
昭和21年(1946年)3月2日 51歳 日本発送電株式会社副総裁退任
昭和29年(1954年)7月16日〜
 昭和31年(1956年)7月15日
60〜
62歳
電源開発株式会社副総裁
昭和33年(1958年) 64歳 千葉県顧問
昭和33年(1958年)8月26日〜
 昭和39年(1964年)8月27日
64〜
70歳
電源開発総裁(第2代)
昭和35年(1960年)12月〜
 昭和36年(1962年)2月
66歳 原子力委員会専門委員委嘱、原子力長期計画部会で活躍
昭和34年(1959年)5月20日〜
 昭和40年(1965年)5月21日
64〜
70歳
株式会社日本原子力発電取締役
昭和37年(1962年)4月 63歳 電気事業審議会委員
昭和37年(1962年)9月26日 68歳 住居表示協力会理事
昭和37年(1962年)10月 68歳 藍綬褒章
昭和39年(1964年)5月7日 69歳 郵政審議会委員
昭和39年(1964年) 70歳 前島賞(第9回)
昭和40年(1965年)4月29日 70歳 勲二等旭日重光章
昭和50年(1975年)3月18日 80歳 従三位


哀悼のことば    電源開発株式会社総裁 大堀 弘
(略)
思い起こしますと藤井さんは、大正10年京都帝国大学法学部をご卒業後、ただちに逓信省に入省され、郵務局規画課長、札幌逓信局長等、枢要な職務を経て、昭和13年逓信省郵務局長に就任されました。

その間、日華事変下における郵便業務の確保に大きな功績をあげられる一方、とくに郵便配達方法の改善に着目し、郵便戸番制の採用など独創的な方策を樹立されました。
これらが後に、新住居制度や郵便番号制度の普及役立ったと伺っております。

ついで昭和13年、折からの電力国家管理の機運に即して電力管理準備局が設置されるや、同局次長に就任、日本発送電株式会社の設立に参画されました。
翌昭和14年4月、電気庁の創設とともに同庁第一部長、ついで昭和16年同庁長官に就任され、電力行政の最高責任者として電力設備の出力増強の計画指導し、生産拡充に大きく寄与されました。

第二次世界大戦終戦後の昭和20年9月には、日本発送電株式会社の副総裁に就任され、戦後の荒廃した電力設備の早期復旧計画の立案ならびに工事実施を推進し、わが国電気事業の復興に多大の貢献を果たされました。

そして、昭和29年には電源開発株式会社副総裁、さらに昭和33年同社総裁に就任され、前後8年間にわたり同社の事業発展に心血を注がれました。

時あたかも、わが国経済はようやく戦後の混乱期を脱し、成長発展の時期に入りつつありました。
藤井さんは年ごとに急増する電力の需要に対処するため、電源開発株式会社の開発組織力のすべてをあげて、まず、わが国電源開発史上の金字塔ともいうべき佐久間発電所を昭和31年に、ひきつづいて奥只見、田子倉、御母衣などの大規模水力発電所をはじめ数多くの水力発電所を相ついで完成させ、電力供給力の確保につとめられました。
さらに、国内の未利用資源活用の一助として、北九州市若松に低品位炭火力発電所を建設し、また海外技術協力の面でも、自らペルー国に赴いてタクナ総合開発に着手するなど、同社の国家的使命の発揚に大いに力をつくされました。

一方では、電力の広域運営の積極的な推進を通して、九電力会社と電源開発株式会社との協調体制の確立に多大の貢献をされました。

昭和39年に同社を退かれた後も、地熱調査会理事長に就任され、わが国の地熱エネルギーの活用に大いに努力されました。
また郵政審議会委員として、さらにまた郵便番号普及協会会長として、郵便事業の近代化、効率化に献身的な努力をされました。

このようにわが国の郵便事業の歴史に、また電気事業の歴史に、数かずの輝かしい業績をあげてこられた藤井さんに対し、かしこくも昭和27年藍綬褒章、昭和40年に勲二等旭日重光章、さらに昭和48年には銀杯を賜わり、そしてこのたび従三位に叙せられましたことは、私どもにとりましてもまた大いなる喜びであります。

今、ありし日の藤井さんを偲び、日々私どもに訓されたお教えの数かずを想うとき、それらは常に国家的見地に立ち、日本の行く末を案ずる、真の日本人としての心情の発露でありました。
終戦後、国土とともに荒廃した日本人の道徳の復興、そしてまた、青少年の教育の重要性を熱心に説かれた藤井さんの姿に、私どもは日本という国を愛してやまない国士のおもかげを見ました。

そして藤井さんは、自ら道徳再武装運動、いわゆるMRA運動を推進し、また電源開発株式会社においても電発工業高等学園を創設して自ら青少年の精神教育に力を入れるなど、その所信を意欲的に実践されました。
これらは10数年の歳月を経た今日、着々とその実を結びつつあります。(略)
   (出典1)
本名は崇治、号は鯨山(げいざん)
永く神奈川県鎌倉市に住んだ。
   (出典1)、(出典2)


誠之館所蔵品
管理 氏 名 タイトル 書  名 制作/発行 日 付
02888 藤井崇治 「ファッショの國に於ける印象」 『福山学生会雑誌(第74号)』、4頁 福山学生会事務所 昭和7年
03094 藤井崇治 葛原しげる先生と私」 『ニコピン先生葛原しげる追悼録』、59頁 角川書店 昭和39年
04616 藤井伸 編 『藤井崇治』 藤井伸 昭和51年
07148 佐々木龍三郎 著 『ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む 童謡詩人 葛原しげるの生涯』 文芸社 平成26年


資料提供 藤井美砂子氏(藤井崇治氏孫)
出典1:『藤井崇治』、藤井伸編刊、昭和51年3月18日
出典2:『山野村語伝記』、632頁、「藤井崇治」、世良戸城編、山野村語伝記刊行会刊、昭和49年6月10日
出典3:『産経日本紳士年鑑(第9版)下』、は行174頁、産経新聞年鑑局編刊、昭和45年11月30日
出典4:『ニコピン先生葛原しげる追悼録』、59頁、「葛原先生と私」、藤井崇治、角川書店編刊、昭和39年3月29日
2004年10月21日更新:寄稿●2005年5月19日更新:経歴・出典●2006年5月8日更新:タイトル・寄稿●2006年6月1日更新:写真・経歴●2007年11月21日更新:経歴・誠之館所蔵品●2008年7月2日更新:経歴・本文・出典●2012年1月5日更新:本文●2014年10月30日更新:誠之館所蔵品●