福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
千葉久三
ちば・きゅうぞう
東京国際大学教授、日本体育協会理事
千葉久三


経 歴
生:大正11年(1922年)11月28日、広島県芦品郡福相村相方(さがた)(現福山市新市町相方)生まれ
没:平成11年(1999年)12月10日、享年78歳
昭和10年(1935年)3月28日 12歳 福相尋常高等小学校尋常科卒業
昭和10年(1935年)4月6日 12歳 広島県立福山誠之館中学校入学
昭和15年(1940年)3月2日 17歳 広島県立福山誠之館中学校卒業
昭和15年(1940年)4月10日 17歳 東京高等師範学校体育科一部入学
昭和18年(1943年)9月 20歳 東京高等師範学校体育科卒業
昭和18年(1943年)9月30日 20歳 福岡県立中学傳習館教諭
昭和18年(1943年)11月1日 20歳 兵役のため同校を休職、西部第10部隊へ入隊
昭和18年(1943年)11月14日 20歳 輜重兵第39連隊に転属
昭和19年(1944年)5月1日 21歳 兵科幹部候補生教育のため中支那下司官候補者隊に入隊
昭和19年(1944年)12月20日 22歳 中支那下司官候補者隊教育終了、陸軍兵科見習士官
昭和20年(1945年)4月29日 22歳 第132師団轉重隊に転属
昭和20年(1945年)8月20日 22歳 陸軍少尉、予備役編入
昭和20年(1945年)8月20日 22歳 臨時召集で第132師団輜重隊附
昭和21年(1946年)6月14日 23歳 除隊、召集解除
昭和21年(1946年)6月15日 23歳 復職
昭和21年(1946年)10月31日〜
 昭和27年(1952年)3月31日
23〜
29歳
広島県立福山誠之館中学校教諭
昭和27年(1952年)4月1日 29歳 文部省社会教育局運動厚生課文部事務官
昭和33年(1958年)3月 35歳 熊本県教育委員会体育保健課長
昭和37年(1962年)6月 39歳 (財)オリンピック東京大会組織委員会競技部長代理
文部省専門職員
昭和40年(1965年)8月1日〜
 昭和44年(1969年)3月31日
42〜
46歳
広島県教育委員会保健体育課長
昭和44年(1969年)4月 46歳 (財)札幌オリンピック冬季大会組織委員会競技部長
昭和47年(1972年)7月 49歳 文部省登山研修所長
昭和48年(1973年)4月 50歳 順天堂大学教授
昭和49年(1974年)5月 51歳 (財)日本体育協会理事・事務局長(国民体育大会副委員長、委員長)
昭和54年(1979年)3月 56歳 順天堂大学教授、体育学部長
昭和56年(1981年)5月〜
 
昭和59年(1984年)10月
58〜
61歳
福山誠之館東京同窓会幹事長《初代》
昭和63年(1988年)4月〜
 平成8年(1996年)3月
65〜
73歳
東京国際大学教授
平成5年(1993年) 70歳 勲四等瑞宝章


「千葉久三さんとの出会い」  昭和22年卒 桑田康次
千葉さんは私の卒業(昭和22年)と入れ替りに体育教師として赴任されたので、学校における子弟関係は全くなかった為か、7級も上の大先輩に対し、千葉さん或いは久さんと呼ばして頂いて、生涯のお付合いをする関係が生じ、失礼にも一度として千葉先生と呼んだ記憶がない。

そもそも千葉さんとの最初の出会いは、大学の夏休暇で帰省した私が、中学時代の恩師である佐藤道夫先生(故人)をたずね、酒好きの先生の為に、放課後一升瓶をぶら下げて体育教官室を訪問したことに始まる。
佐藤先生に久闊を叙し、早速薬缶で燗をつけ、スルメを齧りながら湯飲み酒での宴が始まった処に、練習から上った千葉さんが入って来られ、佐藤先生から新任千葉さんの紹介を受けたのである。
放課後でのことでもあり居合わせたメンバーは、千葉さん、佐藤先生、岡本先生(当時野球部監督・故人)と私の4名であったが、岡本先生を除き名うての飲み手揃いであったので一升の薬缶酒は忽ち底をつき、我が家にとって返して追加の一升を盗み出す羽目になったのであるが、この湯呑み酒での酒盛りの間、当時全国制覇を狙える迄に強化された陸上競技部のこと、誠之館のグランドを公認競技場に改修すること等に就いて熱っぽく語られた千葉さんの陸上競技に対する情熱は終生忘れることが出来ない。

私は陸上競技部のO・Bでもないのに(実は野球部のO・Bである)千葉さんとの出会いにより陸上競技の虜、いや千葉さんの虜(今で云うサポーター)になり以後学生時代の4年間、国立競技場で開催される全日本陸上選手権大会に通い千葉さんの雄姿を求めて声援を続けたが、私の声援した3回ともフィニッシュ前の最後のハードルで力尽きて2位に終ると云う結果で、ついぞ優勝の美酒に酔えなかったのを至極残念に思っている。(千葉さんの名誉の為に付記するが、一度全日本優勝を果たされた。)

それにしても、一見して名スプリンターには思えない体躯の千葉さんが、30歳を越える年齢まで自己調整のみで全国一流選手として活躍し続けた精進努力には心からの敬意を惜しまない。

こうした出会いから40数年間、千葉さんを中心とした誠走会(誠之館陸上競技部O・B会)には毎回出席し旧交を温めていたが、逝去される2,3年前から急に難聴がひどくなられ、酒量もめっきり落ちていた。
たまたま椿山荘での誠之館同窓会での席上、千葉金さんから、久さんの入院を聞かされ、小生も見舞うべく約束して別れたが、病院名を知らされぬまま永久の別れとなった。
告別式の出棺を前に参列した誠之館O・B達で、誰からも慕われ、その死を惜しまれた千葉さんに「第一校歌・曙の」を合唱し葬送歌として捧げられたことは、私にとって、せめてもの慰めでした。

千葉さん、そのうち私も仲間入りしますので、その時は佐藤先生と3人で酒を酌み交しながら懐旧談に花を咲かせましょう。 合掌
   (出典1)


誠之館所蔵品
管理 氏 名 名  称 制作/発行 日 付
02060 千葉久三 著
福山誠之館同窓会 編
「甘辛両党」 『懐古−誠之館時代の思い出−』、176頁 福山誠之館同窓会 昭和58年
03281 桑田康次 著
福山誠之館同窓会 編
「千葉久三さんとの出会い」 『誠之館同窓会報(第7号)』、11頁 福山誠之館同窓会 平成12年


出典1:『誠之館同窓会報(第7号)』、11頁、「千葉久三さんとの出会い」、桑田康次、福山誠之館同窓会編刊、2000年5月1日
出典2:『広島県教育委員会六十年の歩み』、444頁、広島県教育委員会編、(株)ぎょうせい刊、平成20年11月1日
2004年12月20日更新●2005年4月8日更新:本文追加・出典●2006年5月25日更新:タイトル・連絡先(削除)●2007年7月23日更新:経歴●2007年8月23日更新:関係情報●2008年2月25日更新:経歴●2008年12月11日更新:経歴・出典●2011年8月18日更新:誠之館所蔵品●2011年8月24日更新:本文・関連情報(削除)●