福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
阿部正方
あべ・まさかた
備後福山藩藩主(第9代)
阿部正方 (出典1)


経 歴
生:嘉永元年(1848年)8月21日、江戸生まれ
没:慶応3年(1867年)11月22日、福山城内において卒去、享年20歳
文久元年(1861年)6月17日 13歳 福山藩藩主
文久3年(1863年)7月19日 15歳 朝廷警護のため京都八幡へ出陣
元治元年(1864年)4月3日 16歳 藩主として初のお国入り
元治元年(1864年) 16歳 第一次征長戦に出征
慶応元年(1865年) 17歳 日光警衛のため出府
慶応2年(1866年)6月3日 18歳 第二次征長戦に出征し、益田へ入る
慶応2年(1866年)7月17日 18歳 長州軍の総攻撃により敗退
慶応2年(1866年)7月23日 18歳 病いのため帰城


生い立ちと学業、業績
阿部正寧の三男として、嘉永元年(1848年)8月21日、江戸で生まれた。
母は内山氏。
阿部正教の早世により相続人となり、文久元年(1861年)6月17日、襲封する。

文久3年(1863年)7月19日入京、8月5日以降、藩士を率い、山城八幡(やはた)に宿陣。元治元年(1864年)以降、第一次、第二次征長戦に出征。
慶応2年7月23日、病いを得て帰城。

慶応3年(1867年)11月22日、福山城内にて卒去。時に20歳であった。

当時、時局多端で葬儀を行なうことができず、翌慶応4年(1868年)正月9日未明、長州兵福山城攻撃の数刻前、城北小丸山の竹薮中に仮埋葬された。
その後、明治2年(1869年)8月中旬、本庄村(現福山市北本庄2丁目)小坂山に本葬することができた。
現在の小坂山神社である。

室は水戸藩主徳川齊昭女、挙式前に正方が没してしまった。
   (出典1)


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
00020 阿部正方 書 試筆「徳」 安政6年(1859年)
05302 阿部正方 書 書「守鐵石之深衷」 文久2年(1862年)
00339 阿部正方 書 和歌二首「とふ人も」
07271 福山城博物館 編 『福山阿部家展−受け継がれた武家資料−』 福山城博物館 平成27年


出典1:『阿部氏十代展 −福山の藩政と教育−』、10・79頁、福山市立福山城博物館編刊、平成7年4月8日
出典2:『福山阿部家展−受け継がれた武家資料−』、福山城博物館編刊、平成27年9月19日
出典3:『広報ふくやま(bX50)』、28頁、「歴史散歩 小阪山の墓田碑 藩主阿部正方の徳を伝える(bP85)」、福山市秘書広報課編、福山市刊、2009年1月1日
出典4:『福山の今昔』、111頁、濱本鶴賓著、立石岩三郎刊、大正6年4月26日
関連情報1:『阿部正方公』、福田禄太郎著、大正15年11月5日
関連情報2:『備後人物風土記−歴史をつくった人々−』、347頁、歴史図書社刊、昭和52年10月31日
2005年3月3日更新:肩書を修正・経歴●2005年7月6日更新:出典●2006年2月21日更新:肩書●2006年3月20日更新:所蔵品●2006年6月14日更新:タイトル・所蔵品●2007月1月15日更新:所蔵品●2007年4月23日更新:本文・関連情報●2007年10月5日更新:経歴●2008年1月23日更新:本文●2008年12月1日更新:関連情報●2008年12月22日更新:誠之館所蔵品●2008年12月25日更新:誠之館所蔵品●2009年1月5日更新:誠之館所蔵品●2009年1月19日更新:経歴・出典●2009年8月7日更新:誠之館所蔵品●2010年3月10日更新:本文・出典●2015年12月8日更新:レイアウト・誠之館所蔵品・出典●