我が家の介護の経緯 2



我が家の介護の経緯 1

最新・2000年9月10日、介護のお休み

2000年1月9日、介護生活4周年
義父が急に亡くなり、新市で、義母の介護に専念して4周年になります。
彼女は病気一つせず過していますが、痴呆は少しずつ進んでいて、テレビも筋のあるものは嫌がり、動物紀行を一番喜びます。

昨年は、介護者の私が医者にかかることの多い年でした。
現在、92歳になる私の叔母が老人ホームに入っていますが、一緒に暮らしていた従兄が70歳で 心臓が悪いため、お嫁さんは叔母の世話までできないのです。
叔母は「要介護1」と認定されたそうです。
「老老介護」と言う言葉が身を持って感じられるようになりました。

2000年1月20日、折り紙
素敵なお年寄り・Sさんについて書きましたが、彼女が折り紙で作った綺麗な薬玉を 持って来て、また、その部品も持って来て、義母に折るように勧めて下さいました。
それからというもの、毎日部品を折って、10年来使ったことのない鋏も使えるようになりました。
でも、彼女には薬玉に作り上げることはできずません。私が作り上げるといいのですが、 あまりにも細かい仕事なので、首の悪い私は手伝うと気分が悪くなりますので、 それで、夫と家政婦さんが手伝っています。

2000年1月27日、義母の衰え1
素敵なお年寄り・Sさんについて書きましたが、彼女が折り紙で作った綺麗な薬玉を 持って来て、また、その部品も持って来て、義母に折るように勧めて下さいました。
それからというもの、毎日部品を折って、10年来使ったことのない鋏も使えるようになりました。
でも、彼女には薬玉に作り上げることはできずません。私が作り上げるといいのですが、 あまりにも細かい仕事なので、首の悪い私は手伝うと気分が悪くなりますので、 それで、夫と家政婦さんが手伝っています。

あまり変化のない義母でしたが、肉体と精神の少しずつの衰えが、相互作用して 現れるようになりました。
オムツを必要としないで来たのはよいのですが、それは、尿の出方が悪いということでもあるようです。
特に夜中は「おしっこ」と言うので、起こしてポータブルに座らせても、なかなか出ません。
それが、一晩に3回ほどですから、待っている私が風邪を引き、熱を出して2日ほど休むことになりました。
それで、夫に替わってもらったのですが、今度は夫が風邪を引いてしまいました。

普段、朝は8時前には起きますが、時々起きないことがあります。でも、トイレをしたくなると、それを切っ掛けに 起きるのですが、昨日26日の朝は、様子が、いつもと違い、心配になりました。
そう云えば、25日夜寝る時「幸子さん、はよう寝なさいや」と珍しいことを云いましたし、 夜中にトイレをさせてもらうのは当たり前と思っていますので、「ありがとう」と 云うのも珍しい人が「幸子さん、トイレさせてくれて、ありがとう」と云いましたのを思い出して、 心配が募ってきました。
幸い、10時過ぎには、やはりトイレをしたくなり、起きましたので安心しましたが、 これから、こういうことが重なっていくのではと気が引き締まる重いでした。

2000年3月8日、義母の衰え2
相変わらず熱を出すことも風邪を引くこともなく内科的には健康な義母ですが、 知的な衰えが見えます。
テレビのドラマなどは、余程知っている話でない限り理解できないようです。
何かに拘りだすと、いつまでも、それが続きます。
或る日、夫に何か口説いているのですが、夫が付き合っていると、 どんどん興奮していき、異様な感じになりましたので、私は夫に「少し様子がおかしいから、 相手しない方がよいのでは。」と忠告しました。
夫が新聞を読んで、返事をしないでいると、徐々に落ち着いてきました。
夜中、今度は「幸子さん、眠たかろうに起きてくれて、ありがとう」と言いました。 これも初めての言葉で、次に起きた時も同じことを云いました。

肉体的な衰えよりも知的な衰えを見るのは辛いものです。

2000年4月16日、義母と外出
16日日曜日は、こちらの自治会の班のお花見でした。
お花見と申しましても、以前はバスで遠出したそうですが、近年は 高齢化が進み、身体の不自由な人が多いため、自治会館など 公共のホールで、4、5千円の幕の内弁当を取っての会食でした。
ところが、お弁当にも飽きましたので、今年は、車で10分くらいの所に あるお寿司屋さんで会食することになりました。

夫が留守で、義母と二人で出席することにしましたが、 畳席ということでしたので、義母は座れませんから、 イス席を用意していただくようにお願いしておきました。

当日は、お酒が入るのだからとタクシーで行くことになりました。 義母は、出かけると言うと機嫌が悪く、困りましたが、 何時ものことですから気にせず、運転手に手伝ってもらって義母を タクシーに乗せ、車椅子とポータブルトイレも積んでいただいたのです。

着いて、皆さんにも手伝っていただいて、車椅子に乗せ、会場に 入りますと、皆の席は少し上がった畳席ですが、何と義母の席だけ 土間に小さいテーブルを置いて車椅子でいただくようになっていました。
これでは、義母の機嫌はますます悪くなります。
「これはないでしょう、何か低いイスはないのでしょうか」と聞きましたが、 ないと云うことで、私は家まで、義母の使っているイスを取りに帰ることに したのです。
その間に、義母のお料理は皆と同じテーブルに並べ替えられていました。 義母は少し背は高くなりますが、その右隣に私が座り、皆の仲間入りが できました。
大皿の刺し身の盛り合わせには、満開の桜の小枝が挿してあり、 一応お花見です。
筍、蕗などの煮物、菜の花のからし和え、ぜんまい、こごみなどの 季節の山菜もあります。
義母は相変わらず機嫌悪く、好きなハマチの刺し身を取ってあげても 食べず、下を向いたままです。
茶碗蒸が出て、やっと食べる気になりました。 その後、カレイを3枚におろして、から揚げにしたものと、その骨を から揚げにして骨煎餅にしたものが出て、カレイが新鮮で、 とても美味しかったので、これは義母も喜んでいただきました。
その後は機嫌も直り、お刺し身、お寿司もいただきました。

帰りには、義母の残ったお料理を折に入れていただき、別に お土産に、にぎり寿司の折詰をいただきました。

帰りもタクシーを頼んだのですが、車椅子は同じ車に、イスと ポータブルトイレは他の車に積んでいただきました。
私どもが乗った車の座席の背に「福祉タクシー」と書いてあります。
乗務員がヘルパー2級の資格を持ていて、障害者が一人でも出かけられる ように手助けするそうです。
府中地区には、そんな「福祉タクシー」が28台あるそうです。 それならと、運転手に手伝っていただいて義母をタクシーから降ろしました。

帰宅してから義母は昼寝して、夕食の時は元気でしたが、私は疲れて 食欲がないので、お吸い物を作って、後はお土産で済ませることに しましたが、私はお寿司を3個食べただけでしたのに、 義母はウニとイカ以外のお寿司を皆平らげたのでした。

結局、今回はポータブルトイレは使わずに済んだのですが、 車椅子で入れるトイレは、まだ少ないですから、少し遠出をしようと 思うと持っていかなければなりません。
社会福祉協議会などの小旅行では、身障者のことを考えて場所を 選びますから参加し易いのですが、やはり遠出は大変です。

2000年5月03日、介護者の休日

2000年6月20日、義母の骨折
義母が考えられないことをしました。
私が実家へ父の世話に行くため、義母をショートステイに預けたのですが、
そこで、夜中にベッドの柵を掴んで起き上がり、ベッドから降りようとして 大腿骨頚部を骨折してしまいました。
5月24日に手術したのですが、元々麻痺のある方の足でしたから、 術後も痛みを感じないようで、順調に回復して、2週間で抜糸も済みました。

骨折したのは麻痺のある足でしたから、麻酔が切れても痛みがなく、 それはよかったのですが、なぜ自分が入院しているのか分からないようで、 家に帰りたいというので困ります。
術後2日は、義母は興奮して騒ぎますので、夜中も付き添っていましたが、
一般病室に移ってからは、最近は看護婦さんが良く世話をして下さいますか ら、食事の時や回診の時はいて、後は家に帰っています。
病院は、家から歩いて3分の所ですから、行ったり来たりできます。

入院している方々や家族の方々ともお話するようになって、 いろいろとお話を伺っています。
女性の高齢者の骨折はすべて同じ大腿骨頚部骨折です。
でも、他の方々は、リハビリ次第で歩けるようになるのですが、 義母の場合は歩けるようにはなりませんから、可哀想で、 なるべく早く退院させていただこうと思っています。

2000年6月22日、リハビリに入る
6月21日、手術後4週間経ち、レントゲン撮影をして結果が良かったので、その日からリハビリに入りました。
まず、立つリハビリで、30度斜めから3週間かけて、直立まで行くようです。
普通、抜糸後から車椅子に乗り移るリハビリがあるのですが、義母の場合は、それがありませんでした。
立つリハビリも通常は2週間で歩く練習に移りますから、義母は麻痺があるので、少し時間をかけるようです。
食欲もありますから、先ずは安心です。

2000年7月15日、義母の退院
7月13日、義母は退院しました。
立つ練習も、3週間かけても、80度では、5分も立っていることができず、 ベルトに寄りかかってしまいます。
ですから、病院でのリハビリは、ここまでで歩く練習はありません。

入院していると恐ろしいほど痴呆が進むことに気付き、なるべく早く退院させることにしたのです。
元々人との付合いが好きではありませんから、看護婦さんや、 同室のKさんとお話をしませんから、言葉が不明瞭になります。
脳卒中で麻痺した右手は、長年のリハビリで箸が使えていたのが、 麻痺が戻ってくる感じなのです。

今、退院して、家で、私が世話するのに必要なリハビリをさせています。
捕まっても少しも立っていることができませんから、ポータブルトイレで させることはできず、病院の時のまま、オムツになりました。
でも、朝は服に着替えさせ、車椅子に移すのも大変になりましたが、 なるべく腰掛けさせ、今まで通りの生活をさせています。

2000年8月16日、卆寿を迎える。
今日は、義母の90歳の誕生日です。
卆寿を迎え、義母の好きなお刺し身、天ぷら、散らし寿司を、代々伝わる朱塗りの膳と食器に盛り、 お祝いします。

2000年8月30日、身体障害者の排泄について
骨折して退院後、全く立っていることができなくなりましたので、私が、毎度ポータブルトイレに座らせることができないため、オムツにしましたが、 尿が出た後は、言えば、すぐ替えてあげています。
それも、「トイレでさせてあげられなくて、ごめんなさいね。」と毎回のように謝りながら、替えています。
そこで、気付いたのですが、オムツをしていない時は、毎日夜中にも何回となくさせていましたから、私が寝不足が続き、機嫌の悪い日が 多かったのですが、今は、義母もオムツで安心して眠りますので、夜中に起こされることがなく、私は寝不足ということがなくなり、申し訳ないという気持ちもあって、いつも優しく 接することができ、従って、義母の精神も安定しています。
義母は、夜中に起きてもらって、素直に済まないと言えない人ですが、やはり起きてもらうのは気になっていたのだと気付きました。
一人や二人で世話する場合、全く立てない人をポータブルトイレでさせるべきではないというのが、私が得た教訓です。

2000年9月10日、介護のお休み
世の中、不思議なことが起こるものです。
夫には妹が3人いますが、末の妹が、どうしても母の世話をしたいと、9月3日、義母を連れて行ってしまいました。 お陰で、私は、当分の間、介護をお休みさせていただけることになりました。
親の世話を押し付け合う兄弟姉妹が多い中、本当にありがたいことです。
妹の、義母の世話については、一切口を挟まないつもりでいますので、
このページもお休みになります。
義母は身体は丈夫ですが、いろいろな意味で衰えが見え、「家庭介護」の更新が億劫になっていましたから、 ちょうど良かったのかもしれません。

これからは、次代の介護のあり方や、インターネットの可能性について考えていきたいと思っています。
皆さまには、長い間お励ましいただき、ほんとうにありがとうございました。


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