家庭介護


1997年4月15日、新市町総合福祉施設「ジョイトピア・おおさ」での、第1回家庭介護教室で、長年の体験に基づく介護について体験談をして欲しいということで、 「長く続く介護を、いかに気分転換しながら続けていくか」というテーマで、お話しました。
これを機会に、介護について考えるページを、設けることにしました。
介護なさっている方、医療関係の方々のご意見、ご助言などを、「介護の談話室」訪問者リストへ、またはE-mailで、いただけたらと思います。

介護保険制度では、家庭での介護を「居宅介護」と呼ぶようです。
最近まで「在宅介護」という言葉が使われていましたが、どちらも冷たい感じで、私は好きでは ありませんので、「家庭介護」で続けます。


介護の談話室

1.我が家の介護の経緯1(1989年から1999年までの10年間 )
2.我が家の介護の経緯2(2000年1月から )
3.介護について
4.介護保険制度

1.我が家の介護の経緯1

1997年5月5日・掲載開始
夫の母は、1989年10月27日、脳卒中で倒れ、病院で手術し、リハビリして、ある程度回復して退院しました。
退院後、家でリハビリし、相当歩けるようになりましたが、その後、発作が起き、次第に歩けなくなり、現在は、歩く事も立ち上がる事もできません。
でも、寝たきりにしないで、なるべく普通の生活をさせています。
毎朝、病院で習ったリハビリを、手伝って、運動のつもりで、させていますし、午後からは、手摺りに掴まって、杖を突き、後ろから支えてあげて歩きます。不思議な事に、ここだけは歩けるのです。
この二つのことは、もう習慣になっていて、大変な運動量なのですが、しないと気持が悪いようで、すると顔に生気が出ます。
リハビリは、人にさせてもらうのではなく、自分でするのでなければ、本当のリハビリにはならないのですが、自分では何もしようとしません。
ただ、力を入れて手摺りに掴まることが、手のリハビリにはなっているようで、お箸で食事ができますし、エプロンなども丁寧にたたみます。

夫が留守のことも多いので、家政婦さんに週2日来ていただき、ヘルパーさんには、週1度お風呂に入れて頂き、デイ・サービスも週1日利用させていただいています。

7年前に、退院して以来、6年間横浜から通い、義父が亡くなってから、1年4ヶ月、こちらで介護に専念してきて、いろいろ考えさせられます。
立ち上がることができず、従って、抱えてトイレをさせてあげたり、家の中の移動にも車椅子に乗せたり降ろしたりしなければならない人を、寝たきりにしないで、普通の生活をさせることは、とても体力のいることです。
寝たきりにしないということが、どんなに大変なことか感じ入るこの頃です。5月記

9月30日倉敷チボリ公園へ

10月28日
義母が、脳卒中で倒れてから、8年が経ちました。
内科的に大変丈夫な人なので、月1度の定期検診以外は医者にかかることもなく、大きな変化もなく、過ぎています。
ただ、便は緩下剤を飲まないと出ませんし、耳鳴りにも悩まされるようです。
相変わらずリハビリをしていますが、足も徐々に弱っているようです。でも気の丈夫な人ですから止めようとせず、その点は感心します。
一時、食欲が落ちていましたが、最近は、良く食べます。勿論彼女の好きな料理を作っているからですが。
外へ出たがらないのですが、それでも社会福祉協議会の企画で倉敷チボリ公園へ行ったり、デイサービスの行事でスーパーへショッピングに行きました。
これは、倒れてから初めてのお買物で、バウムクーヘンと、私にドリンク剤のアリナミン・ダイナミックを買ってきました。これは、私がよくアリナミン錠とリポビタンDを飲んでいるから、アリナミン・ダイナミックなら、それだけでよいと思ったようで、その気持をとても嬉しく思いました。

「寝たきりにしないということ」
寝たきりにしないようにとよく言いますが、殆どの方が寝たきりになってしまいます。
寝たきりにしないためには、介護人の1日も休むことのない、たゆまない努力が必要なのです。 彼女が、窓際に坐っているのをご覧になると「お元気そうですね。」とおっしゃいます。ちょっと見ると、何もできない人とは思えないようです。
でも元気なのは、寝返りすらできないのを、毎日1日も欠かさず、抱き起こして着替えをさせ、食堂に連れて行き、また日当たりの良い部屋に連れて行き、リハビリをさせて、健常者に合せた生活をさせているからです。
トイレも自分ではできませんが、おむつをしていませんから「オシッコ」と言えば、抱き上げてポータブルでさせます。それは夜中もです。
お箸は使えますが、それ以外全て人の手を必要とします。
でも、起きて坐っていることで、頭ははっきりし、リハビリすることで関節が柔らかいのだと思います。
義父が望んでしてきたことに協力してきて、また受け継いでしていますが、体力的に大変なことです。
こんな風に割と平穏に過しています。


1998年4月29日老親介護の大変さ
この前、書いてから半年経ちました。半年何も書かなかったのは、義母に変わりがなかったからです。
相変わらず一度も風邪を引かず、熱を出すこともなく過ごしてきました。
そのことは、大変ありがたいことですが、では、介護する身にとって楽かと言えば決してそうではないのです。
まず、義母にとって変わりないことが当たり前になって「世話してもらっているから元気でいられる」という意識がなくなって、一緒に暮らすようになって2年も経ちますと遠慮もなくなり、全てに不満ばかりが強くなってくるのです。
そして、私の体力、気力も少しずつ衰えています。
長く続く介護の大変さは、一つ一つ具体的に書くと愚痴にしか聞こえないのですが、要介護者の症状は、それぞれ違い、介護者の悩みも少しずつ違っていても「大変さ」では変わらないのだと思うこの頃です。
義母の弟のお嫁さんが、やはり脳卒中で倒れた義母の母を10年間世話したのですが、何かで彼女に電話しますと「大変でしょう!よくわかりますよ」と、私が何も言わないのに言ってくれますが、その言葉を聞きますと、「ああ、彼女はわかってくれている!」と慰められるのです。
介護をして得た私の最大の収穫は、これから先、「介護者の大変さ」というものを本当に理解してあげられることでしょう。

1998年8月16日義母の米寿
義母が米寿を迎えました。
脳卒中で倒れた当時、誰も義母が米寿を迎えられるとは思っていなかったでしょう。
先祖代々伝わる、朱塗りの膳に朱塗りのお碗、赤絵や染め付けの皿などを使ってご馳走を作り、
お祝いしてあげました。

前にも書きましたが、義母は、熱を出すとか風邪を引くとかお腹をこわすということがないのですが、
1年前に比べますと、やはり衰えが見えます。
普段は、なかなか気づかないのですが、例えば、昨年は、喜んで食べた「冷やし中華そば」を、
今年は「食べにくい」と言って、上の具だけを食べ、麺には箸をつけようとしません。ゼリーもそうです。
右手の麻痺が徐々に出てきている感じです。
また、腰掛けていますので、床擦れはできなかったのですが、最近、お尻のイスに当たっている部分にできて、直りきらないのです。
寝たきりの場合は、体位を変えて傷が当たらないようにできますが、腰掛けている場合、常にお尻のその部分で身体を支えているわけで体位を変えるということができません。
ひどくなるとベッドに横にさせるのですが、少し良くなると腰掛けている方がよい人ですから、傷が圧迫されて、毎日薬をつけても、どうしても直りきらないのです。
また、今までは、大きくは狂っているのですが、所謂老人性物忘れがない人でしたが、最近、私が戸惑うことが多くなりました。

義母の不幸なところは、「歩けるようになりたい」という思いから抜けられないことです。
今は、歩けなくても殆どの所へ行けるのですから、行きたければ連れて行ってあげるのですが、
「格好悪いから何処へも行きたくない、歩けるようになったら行く」といって、 また連れて行っても喜びません。
テレビでパラリンピックを見せて説明しても、それは他人のことで自分には関係ないことと思っています。
身体は丈夫なのに、この思いに囚われて、もう9年も何もしないで過ごしてきたのですから勿体無く、
本当に可哀想な人だと思います。
どうにかして、この思いから抜けて、安らかに過ごさせてあげられないものかと思案するのですが、
これも、その人の性格と人生観で仕方がないことのようです。

1998年8月25日初めてショートステイで1泊
以前も書きましたが、義母は風邪を引いたり、熱を出したりと言う病気になることがありません。
それで、私は思い切って、以前から行きたいと思っていたロシアへ、8月20日から27日まで行くことにしました。
初めは、ショートステイに預かっていただいて、夫も一緒に行きたいと言っていたのですが、初めから9日間も預けるのは可哀想と言うことで、夫は諦めました。
それが、私の出発が決まってから、夫に25日に東京での仕事が入り、2日間だけショートステイに預かっていただくことにしました。
初めは涙ぐんでたようですが、心配したほどのことはなく、2日目にはお誕生日会をしていただいて、機嫌良く帰ってきたようです。
そして、今も、デイサービスは、歌わせたり、ゲームをさせたりするので好きではないが、ショートステイなら、時には行っても良いと言っており、ほっとしています。(9月28日記)

1998年10月27日矢野温泉へ

1998年12月26日今年も無事に過ごすことができました
脳卒中で倒れて、9年が過ぎ、米寿も迎えることができ、今年も無事に過ごすことができました。
最近、少し食べるものに変化が出てきて、肉や魚を食べないことが多くなりました。
今まで好きだった中華風のものもあまり食べず、今まであまり食べなかったほうれん草や春菊のおしたしを良く食べるようになりました。
眠る時間も増えたようです。
でも、相変わらず、キチンと洋服を着せて、起きて腰掛けた生活をさせています。
また、病気もしません。ですから、もう少し楽しむ生活ができればよいと思うのですが、相変わらず動かない足だけが気になる毎日で、可哀想だと思います。



1999年1月10日こちらで、義母の介護に専念して、3年経ちました。
義母が脳卒中で倒れてから介護のため、6年間横浜から通い、元気だった義父が急に亡くなって、こちらで介護するようになり、思いもかけない生活の連続でした。
まず、折角、横浜で築き上げた生活、活動を中断せねばならず、どうしても無念な思いを断ち切れないでいました。
義母は、我が侭で気の強い人ですから、風邪一つ引かせず、世話をしながら、何故こんな思いをしなければならないのかと思ったこともありました。
年老いて身体障害者なのだからと思っても、許せない思いの時もありました。
石の上にも3年。不思議ですね、3年経って、今やっと氷が溶けるように諸々のしこりが取れ、穏やかな気持ちになっています。
この介護のお陰で、思いもかけず本当に多くのものをいただいています。
一つの生き方を犠牲にしても、また別な生き方があるということも、身を持って知りました。
夫の愛情と、年月、そしてインターネットでの多くの方との交流のお陰です。

1999年4月介護者の健康
義母は、相変わらず風邪も引かず元気ですが、介護者の私が、2月初めに、 インフルエンザに罹り、大変な日々を過ごしました。
当初、単なる風邪だと思っていたのが、熱が下がらず、インフルエンザと診断されました。
そのうち、全く食欲がなくなり、入院寸前で、夫が娘を呼び寄せてくれました。
娘は「ここにいるのでは、おばあちゃまのことが気になって、気が休まらないから回復しない」と、夫が春休みに 入ったことでもあり、横浜に連れて帰ってくれました。
横浜に帰って、のんびりと静養して1週間、やっと回復しました。
インフルエンザで亡くなるなんて信じられませんでしたが、よく分かりました。
3月中旬、長男のところに2番目の赤ちゃんが産まれるため、上の子の 世話のため、そのまま、長男の家に行き、3月下旬まで、横浜に滞在しました。
その間、家政婦や夫の妹達にも手伝ってもらって、夫が義母の世話を したのですが、私が帰るや、今度は、夫が熱を出して寝込んでしまいました。
私が風邪を引いてからというもの、2ヶ月近く、母の世話をした訳で、私の大変さを身を持って感じたようです。

そんなことがあって、夜だけでも、もうオムツにして欲しかったのですが、それは、どうしてもいやといいますので、今までは、どちらかが、義母の隣のベッドで寝ていたのですが、 今は、隣のベッドでは寝ないで、二人とも隣のお座敷に寝て、トイレをさすためには、私が起きています。
隣のベッドで寝ていると、トイレをさせてもらうのが当たり前に思うらしいの が、隣の部屋で寝るようにしましたら、少しは遠慮らしくあまり起きなくなりましたので 当分このままで行くことにしました。

長年の介護では、介護者自身も歳を取り、知らず知らず疲れも溜まってきます。
いやでも、介護の方法も変えていかざるを得ないのです。

6月6日デイサービスで「みろくの里」へ
新市町デイサービスセンターの催しで福山市の南にあるテーマパーク「みろくの里」へ行きました。
その日はデイサービスに通っている方の6名が参加して、2台のマイクロバスで出かけました。
Iさんと義母の二人が歩けず車椅子で、同じ車に乗り、付き添いのIさんの奥さまと私、看護婦さん、保母さん、そして、いつもデイサービスの送り迎えで お世話になっている保父さんが運転手でした。
他の4人は、もう1台に乗り、どうにか歩くことができるので付き添いの方はなく、看護婦さん、保母さん3名、運転手でした。
テーマパーク「みろくの里」には、メルヘンパーク、遊園地、日本庭園、美術館、ショートコースゴルフ場等ありますが、私たちが行ったのは 「思い出横丁」「いつか来た道」で昭和30年代の街並みを再現した所です。
食堂街やお店が再現されているのですが、義母は興味を持てず、機嫌が悪くなりました。実は、まだ元気だった頃、この 「みろくの里」のお茶室で茶会があり、それに参加していて、今度もお茶席を期待していたようです。
お昼は「日比谷公園」でお弁当をいただきましたが、いつものことですが、好きなものをいただくと、お昼寝の時間でもあり、 機嫌が悪くなりますので、450畳の日本間のお休み処で昼寝をさせることにしました。
残念なことに、ここには座布団のようなものがなく、畳の上に寝るようになりますので、身体が痛いと云って、結局 車椅子に乗ったままでした。
ご一緒のIさんは来る途中の車の中で具合が悪くなり、昼食も召し上がらず、畳の上で横になっていらっしゃいました。
2時になり、帰ることになりましたが、他の4人の方はお元気で、お土産など買っていらっしゃいました。
帰りになると、義母は元気になり、看護婦さんや保母さんともお話していました。
家まで送っていただきましたが、いつも思うのことですが、身体障害者を連れて出かけるのは大変なことで、倍の人手を必要とします。
義母は出かけるのは好まないのですが、病気もせず、元気ですし、折角、企画して、お世話していただけるのですから、これからも参加できればと思っています。
450畳の日本間のお休み処で、布団のようなものを貸していただけると良かったのですが。

6月29日素敵なお年寄り・Sさん
義母は、毎週水曜日にデイサービスに行きますが、その車にお乗りになる92歳のSさんは 優しい感じのとても素敵な方です。
義母の隣の席に座って下さり、義母を「妹のように可愛い」と云って、世話して下さいます。そして、その笑顔の良いこと!
1ヶ月ほど前、チラシで作った蝶々をプレゼントして下さったのですが、その後、義母に
「手のリハビリになるし、頭の訓練になるから、あなたも作りなさい」と、
チラシを正方形に切り、それを三角に折ったもの、そして蝶の触角になる部品などを、何枚も箱に入れて下さいました。
すると、義母は宿題と思って一生懸命蝶を折るようになりました。それは三角に折ったものを8ミリ幅くらいに折っていく 大変根気のいるものです。
今まで、ヘルパーさんが鶴を折って、折り紙でもしたらと勧めて下さっても、一つは折っても「こんな事はしたくない」と 続かなかったので、私もすぐ飽きるだろうと思っていたのですが、
「幸子さん、目が回って気持ちが悪い」と呼びますので行ってみますと、いくつも丁寧に折ってあり、驚いてしまいました。
今まで何もしなかった人が、急に根を詰めて一度にいくつも折り、気持ちが悪くなるのも無理はありません。
「もう、作らん」と言っていましたが、一休みするとまた折り出しますので、それ以来長時間にならないように気を付けています。
仕上げを手伝って、次のデイサービスに持っていきましたら、Sさんが大変喜んで、私にも「嬉しかった!」と言って下さり、また部品を下さいました。
そして、次は、三角に折っただけで正方形には切ってないもので
「はさみを使う練習をしなさい」と言われたそうです。
義母は素直に、はさみを使うようになりました。はさみを使うのは10年ぶりでしょう。
それ以来、毎日少しずつ切ったり折ったりして、蝶を作っていますが、
今度は、私が綺麗な包装紙を切ってあげて、義母が作って、Sさんにプレゼントしましたら、とっても喜んで下さいました。
Sさんの勧め方は順序を追い、大変教育的で、それも無理がなく、本当に感心します。
90歳を過ぎて、なお他人のことに気がまわる素敵なSさんにお会いして、
私は、あのように、年を取っても他の人を気遣える、そんな老人になれたらと思うのです。

7月08日蝶作り
義母は、毎日、蝶を折っていますので、私は他のものも折ってみたらと思いまして、「折り紙」の本を 買ってきました。まず、私が折ってみましたが、易しそうに見えるものでも、頭を使い、手先も器用に使わなければなりません。
義母も折ってみましたが、難しくてできないと言い、結局、蝶が良いということになりました。
沢山の蝶ができましたので、大きな箱に入れていましたが、それも溢れるほどになりましたので、 五つずつ糸に通して暖簾のように垂らしてあげましたら、 風にゆらゆら揺れて「きれい」と義母は喜んでいます。

リハビリについて思うのですが、自分で、その機能を使う気になれば、回復するものです。 その点、手は使うことが多いので回復し易いですが、足は力が必要で、回復が難しいですね。

9月01日介護の中休み
新市で、3年半義母の世話をして来て、夫の妹たちには愚痴一つ言わず、 私から義母の世話を頼んだこともありませんでした。そうしましたら、 この夏は、妹たちが交替で母の世話をしたいと言ってくれました。
彼女たちは、一人で母の世話をしたことがありませんから、少し心配でした が、 この際、ありがたく感謝して任せました。

義父の急死により、急遽、夫と私が介護するようになり、最近は、夫も私も ストレスを溜めないようにと、それぞれ旅行などしてきたのですが、それはそれで、 すれ違いの生活が多くなり、夫と私では母の世話に対する考え方も違う面もあり、夫婦仲も今まで感じたことがないギクシャクする思いを感じることがありました。
また、夫は理想主義者で介護の疲れなどないというのですが、最近は、その顔には疲れが見えていました。
それで、この夏は義母をショートステイで預かってもらって、一緒に海外旅行をしましようと 話し合っていた矢先でした。

一緒にトルコ旅行や槍ケ岳登山をしたり、共通の知人に会ったり、子供や孫たちに会い、 忙しいながらも、充実して過ごすことができました。
妹たちも一人で世話してみて、介護の大変さが分かったようで、私にとりましては、 ほんとうに実りの多い一月でした。 兄弟姉妹は知らん顔と言う話が多い中、私どもは幸せだと思っています。

10月26日、しまなみ海道を渡って耕三寺へ

10月28日、脳卒中で倒れて十年
義母が脳卒中で倒れて十年の月日が経ちました。
この間、いろいろなことがありましたが、義母は、風邪も引かず熱を出すこともなく、 症状はあまり変わらず、まずは恙無く過しています。
26日には社会福祉協議会のお世話で生口島まで行きましたが、自分の思うようにならないので機嫌は悪くなりますが、 帰って、30分ほど一休みすると、後は疲れた様子がなく、夕食後は9時半までテレビを見て、 翌朝は、いつものように目を覚まし、元気なのには、私の方が驚いてしましました。

25日付けで介護保険の要介護認定では「要介護4」と認定されました。
普段、洋服に着替えさせ、腰掛けた生活をさせていますから、 ちょっと見には、そんなには見えないのですが、
朝、目を覚ましたら抱き起こすことから始まって、夜中のトイレの世話まで、食べること以外は全て、介護者が手をかけて世話して、 初めて健常者に近い生活ができていることがわかっていただけたのは嬉しいです。

内科的には元気で、そのためか、気も強いですが、だんだん幼児に戻っているようです。

現在の寝たきりにしない義母の生活をいつまで続けられるのか、それは義母の身体の衰えによるだけではなく、介護する夫や私の 体力とも関わっているのです。



我が家の介護の経緯 2(続き)
介護について
介護保険制度

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