森岡まさ子さんのプロフィール

自然の森MGユース・ホステル創業者。上下町名誉町民。明治43(1910)広島県甲奴郡(こうぬぐん)上下町に生まれる。上下高等女学校、第3回卒業。戦前、新聞記者=森岡敏之と結婚。その後、京都大学フォスコ・マライーニ氏の秘書を勤める。戦後、原爆症の夫を抱え〈広島県公認高等文化女学校〉を設立。同校長として就任。戦後の混乱期に若い女性たちへ、夢と希望を与え続けた。昭和34(1959)広島県内初の民営ユースホステルを開設。夫を亡くした後も経営を続ける。91歳で結腸の腫瘍摘出の手術に成功し、「出逢いは宝」を出版。92歳で「エイジレス章」授賞。NHKテレビ「人間ゆうゆう」でも紹介されました。

出会いと愛にあふれ豪快人生

昭和34年、甲奴郡上下町に開設した広島県内初の民営ユースホステル「MGユース」で、ペアレントとして活躍している森岡まさ子さんは、長年にわたり青少年に交流の場を提供すると共に、原爆の恐ろしさや平和の尊さを伝えています。おしゃれなファッションに、力強い話し方、満面の笑み。誰もを引きつける魅力ある人です。

このMGユースが誕生したのは、原爆症で苦しむ夫・敏之さんの「平和の大切さを若者に伝えたい」という思いから。当時はユースホステルが何なのかも知られていない時代。しかも、上下町という山間の町の四畳半の小さな家。ユースを運営して行くには難問が山積みでした。しかし森岡夫妻の熱意が若者達に受け入れられ、ファンが増え、いつしかこの日本一小さなユースホステルから発信する交流の輪は、全国へ広がって行きました。

昭和42年、敏之さんは「このユースを守って欲しい」という言葉を残し他界しました。その後も変わることなく、このユースを舞台に、若者との交流を続けるまさ子さんですが、これまで幾度となく継続困難な状態に見舞われたそうです。しかし、その都度「困難は飛躍のチャンス」と前向きに進み、乗り越え、現在に至っています。そんなまさ子さんは、92歳を迎えた20029月に「エイジレス・ライフ実践者」に選ばれました。エイジレス・ライフとは、高齢者が年齢にとらわれず、自分の責任と能力において自由でいきいきとした生活を送ることで、内閣府では平成元年から高齢社会で生きがいある生活を送るための参考になるよう、実践している例を広く紹介事業をおこなっています。

91歳で予期せぬ大病をわずらい、手術と入院を体験したそうですが、医師もおどろく回復力で復活。現在も以前とかわらずペアレントとして奮闘する一方で、講演活動も精力的に行い、全国でこれまでの出会いや人生観を語っています。「手術が成功して新しい命をもらうことができました。せっかくいただいた命ですから、社会のお役に立って生きて行きたいと思っています」と話すまさ子さん。どんな困難にもくじけることなく前向きに生きるその日常は、まさにエイジレス・ライフそのものです。