3.安田から土庄まで(結願)
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(1)坂手山岳霊場巡り(10/29)
例の如く、早朝、自宅を出発し、電車・バス・フェリーを乗り継ぎ、土庄港に着いたのは、午前10:40でした。
今回は、残念ながら一人旅です。これまで一緒に歩いてきた妻が心臓を患い、同行できないことになってしまいました。本来は、この春に予定していたのですが、それが叶わず、一人でも仕方ないと心を決め、この秋に出掛けることにした次第です。
土庄から路線バスで坂手港に着いたのが、ちょうど12時でした。天候は晴れたり曇ったりですが、なにか南の空の方に怪しげな雲が掛りはじめ、少しばかり不安な気持ちになってきます。今回は、天気予報を信じて雨具は傘しか持参していなかったからです。
しかし、ためらっていても仕方ありません。今日は山岳霊場が中心で、早速、登り道にさしかかります。
まずは、3 観音寺 にお参りします。ここで、当寺も含め合計6ツの御朱印を頂きました。前回参拝した4、5番、さらには遠く離れた 86 当浜庵 もここ観音寺の管理下にあります。
ここで、岡山駅で仕入れたおにぎり弁当を食しました。見下ろす坂手の海と町が美しい。
3観音寺より坂手市街を望む 瀬戸内芸術祭2016の幟 展示アート作品の一さらに登るほどに、道々に淡青色の幟が何本も見えます。その幟をよく見てみると、「Setouchi Triennale 2016 瀬戸内国際芸術祭2016」とあります。どうやら、島の随所にアジア各地の作家たちのアート作品を展示しているらしい。それを目当てに、若い人たちが巡り歩いています。私の登っているこの道にも、いつになくかなりの若者が歩いているし、バスのなかでも何人もの若い人と乗り合わせました。
その一つと思われる巨大な化け物のようなアート作品が展示され、若者がその前でVサインをして写真を撮っていました。
いよいよ本格的な山登りです。静かな杉林のなか、さらには草原のなか、どこまでも続く登り道を汗をかきながら登ること約50分、 3奥の院 隼山 に到着。奥の院といいながら、本堂の外に太子堂まで備えた立派な寺院です。平常は無住のはずですが、今日は一人の僧侶が掃除をしたりしていました。
山腹をトラバースするようにして進むと、「讃岐十景」と称する展望台があります。坂手の市街から、前回訪れた映画村のある半島、これから訪れる三都半島まで見渡すことができます。
3奥の院隼山 「讃岐十景」坂手港を望む鐘楼堂を過ぎると、すぐに1 洞雲山 の本堂です。
「ここが1番札所か」と感じ入る山岳霊場で、洞窟のなかにご本尊 毘沙門天がまします。標高300m の高所にあり、ここまで登りはかなりきついものがありました。なにしろ海抜 0m からの登りですから。
洞雲山への遍路道 仙雲窟 1洞雲山本尊山道を下って行くと、間もなく長い石段の登りにさしかかります。この上に 2 碁石山 があります。
碁石山を出たのが午後2時過ぎ。ここも洞雲山とほぼ同じ標高 300m ですから、登ってきたと同じ高低差 300m を、安田の市街まで下らなければなりません。これが案に違わず、大変な悪路。例の鉄パイプの手すりがある所はまだマシで、小石やらドングリが道いっぱいに転がっている下り道は実に歩きにくい。何回が滑って転んでしまいました。
やっと町中へ入り、前回参拝した札所を 7→8→9 と逆にたどっていくのですが、これがまたわかりにくい。前回通った道のはずなのに、逆に行くと全く分からない。
迷ってしまい、なんとか常光寺付近まで来て、そこで植木の剪定をしている植木屋さんに 9 庚申堂までの道を聞きましたら、
「それは、口ではなかなか説明できない」と言って、
「そこの軽トラに乗れ」と、その車でわざわざ送ってくれました。その上、助手席においてあった缶コーヒーをお接待してくれました。
「おへんろさんは何歳になる? 私は満で80になったよ」と、植木屋さん。
「それじゃ、私の方が年上だ」と、私。
すると、植木屋さんはちょっとガッカリしたような顔をしました。80歳になっても、こうして現役で働いていると自慢したかったのでしょうが、
「私の方が若い、その歳で感心ですね」といってあげればよかった。
前回、不注意でスキップしてしまった 11 観音堂 へぜひともお参りしなければ、と道を行きますが、またまた迷ってしまいました。道を聞こうにも人影がない。あきらめかけていたところへヒョイト案内板が目に入り、なんとかお参りすることができました。
もう後は宿泊予定の「ひろきや旅館」まで行くだけです。ひろきやには前回も泊まったのでと、ゆったりした気分で歩いて行きましたが、またもや道を間違え、やっとの思いで宿に着いたのは、午後5時前でした。
6時夕食、珍しく20人ほどの団体遍路客と一緒になりました。
旅館の窓から見る夕日本日の歩行距離 7キロ、登り下り高低差 300m 。
(2)安田から池田・国民宿舎へ(10/30)
今日の予定は、、ここ安田のひろきや旅館から池田の国民宿舎までですが、その途中、釈迦ヶ鼻を先端とする三都半島に3ヶ所の札所があります。それをすべて歩いて巡拝するには、高低差 200m の山越えを含む21キロ超の行程になります。
この難路を80歳を超えた私が踏破出来るだろうか、昨夜から思い悩んでいました。朝起きたときの体調に相談しようと決心して寝に就きましたが、今朝起きて決心しました、この3札所はタクシーで巡ろうと。やっぱり自信がありませんでした。全行程歩きで通すことを、あきらめたわけです。もう一日余裕があればできるのに、と残念です。
6:40 宿を出発。安田市街を西に向かって 21 清見寺 を目指します。道を迷わないように、地図を手に持ったまま街中を進みます。
清見寺は、寒霞渓に通じる大きな道=「神懸通り」に突き当たるすぐ手前にあり、ここまでは道に迷うことはありませんでしたが、この神懸通りを南下して途中から脇道に入って 22 峯山庵 にお参りするはずが、見事に道を間違えてしまいました。
兎にも角にも、もう一度神懸通りへ出さえすればと、そのようにしましたが、行き着いたのは、23 本堂 でした。そこから峯山庵は逆道をたどり、なんとかお参りすることができました。
国道436号線に出て、タクシー会社に行き、三都半島の3寺を廻る予約をとっておいて、24 安養寺 に向かいました。
安養寺から 25 誓願寺庵→ お水の大師→ 27 桜ノ庵→ 26 阿弥陀寺への遍路道は、国道とほぼ並行に標高30〜50m の山腹を走っており、この道を左手に海を眺めながら歩くのは実に快適です。今日は昨日と違い、天気は快晴です。
道ばたのオリーブの木 へんろ道10時過ぎ、待ち合わせ予定の森口屋旅館の前に着きました。電話でタクシー会社に連絡すると、間もなくタクシーが来ました。
国道から県道251号線に入り、クネクネとどこまでも続く九十九折りの道をタクシーで運ばれるのは、少しばかりやましい気持ちの反面、こんな道を――実に、6キロ以上もある――歩かないことにしてよかったとも思ったことです。
28 薬師堂に着きました。タクシーを待たせたまま、お参りしましたが、ほんとうに小さなお堂でした。罪滅ぼしとして、たっぷりと(?)お賽銭をあげました。
タクシーは山越えの遍路道を走ることはできませんから、ここから半島の先の方へ向けて走り、反対側の西海岸に出、29 風穴庵 にお参りしました。風穴庵(かざあなあん)というから大きな風穴でもあるのかと見回しましたが、見当たりません。運転手さんに聞いても、その由来は知らないようでした。帰ってからネットで調べてみました。
28薬師堂 29風穴庵「本堂横にさらに山奥に続く山道があり、登りきったところに別のお堂が建っています。そのお堂の右手に塩が盛られた岩穴があり、手を入れると風が吹き出ていました。その場所から風穴庵という名前が付けられたのでしょうか。」 (bewave.co.jp/shodoshima/ohenro/kazaanaan.html)
とすれば、残念なことでした。歩いてお参りせず、タクシーを使ったバツです。
さらに、タクシーで 30 正法寺 へ。正法寺では、ここまでタクシーで廻った札所 28、29 の御朱印も一緒に頂きました。ここでタクシーを返し、再び歩き始めますが、時間はまだ早く10時半前です。11時には、早くも 31 誓願寺に着いてしまいました。
誓願寺の山門をくぐれば、いきなり巨大なソテツが目の前に迫ります。日本一のソテツといわれ、国の天然記念物です。雌株で、根元周り 8m 、高さ 7m余り、取り囲む石柵は 32m に及ぶとのことです。
11時で少し早いのですが、境内のイスに座って昼食にしました。宿で作ってくれたちらし寿司のお弁当で、とても美味しかった。時間もあるので、30分かけてゆっくり食しました。こんな大きなお寺なのに、そして今日は日曜日なのに、この間参拝客もおへんろさんも一人も来ませんでした。
31誓願寺のソテツ 誓願寺の香川保存木 34保寿寺庵の藤棚12時には 34 保寿寺庵に着きました。このまま進めば、早すぎで国民宿舎ではチェックインしてくれないだろうと、藤棚(上右の写真)の下のベンチで1時間ほど昼寝をしました。海から渡ってくるそよ風がほほに気持ちよく、小さな幸せを感じます。ここでも、その間、誰一人登って来ず、実にゆったりと時間を過ごすことができました。
いつまでもこうしているわけにもいかず、やおら起き上がり、32 愛染寺に向かいます。近くなで、すぐ着いてしまいます。
ご本尊は愛染明王。縁結びのお寺というだけあって、「良き伴侶がみつかりますように」といったたくさんの絵馬が風に吹かれてカラン、カランと音を立てているのがとても心地よい。お地蔵さんまで二人仲良くしています。
また、真柏の素晴らしい巨木もありました。樹齢900年を越すとのことです。
32愛染寺の真柏 仲良しカップルの地蔵さんここを真っ直ぐ下ると県道の向かい側が「小豆島ふるさと村」です。道の駅でもあり、海の駅でもあります。――「海の駅」とは何か?――今日は日曜日とあって、商工祭りが開かれ、多くの人で賑わっています。駐車場も満車で、入場する車が道路で長い列を作って待っているほどです。
私も時間があるので、ふるさと村の中を抜けて国民宿舎まで行くことにしました。国民宿舎は標高 60m の所にあり、少しばかり汗をかきましたが、午後2時前に着いてしまいました。少し待ってからチェックインし、早々と温泉風呂に入り、ゆっくりしました。部屋の窓から見事な夕日を眺めることができました。
大繁盛の「ふるさと村」 入港待ちのオリーブ丸 宿舎の窓から見る夕日本日の歩行距離僅かに 10キロ。登り高低差110m、下り50m。
(3)池田から土庄へ(10/31)
宿舎で朝食を少し早めてもらって7:00 に摂り、7:30 には出発することができました。今日は曇っていますが、時々日もさします。
県道まで下がり、まず 33 長勝寺を目指します。長勝寺までの道順は簡単でしたが、そこから脇道を行くうち、見事に道を間違えてしまいました。行く手にないはずの池田小学校が見えます。
「おかしい」と思いながらもなお歩いて、小学校門前に来てしまいました。ちょうど、何かの用事で学校まで来た若いお母さんに道を聞いて、全く方向違いに歩いていたことが分かりました。彼女は親切にも乗ってきた軽四輪に乗せてくれ、国道まで運んでくれました。助かりました。小豆島の人はみんな親切です。
36 釈迦堂、37 明王寺 は同じ場所にあります。いずれも立派なお寺で、釈迦堂は国宝です。
来た道を少し戻り、38 光明寺にお参りします。
「光明寺という名はよく聞きますが、当寺も浄土真宗ですか」と住職にお聞きしますと、「いえ、真言宗です。小豆島八十八ヶ所はすべて真言宗です」とのお答え。
四国八十八ヶ所には真言宗以外のお寺もありますが、ここではすべて真言宗とのことです。
36釈迦堂(国宝) 38光明寺 39松風庵次の札所 39 松風庵に向かう途中の道で、その住職にまた出会いました。松風庵は、「墓地の奥、高い松の木がそびえているから、すぐ分かりますよ」と教えてくれました。
確かに、すぐ分かりましたが、次の 35 林庵がなかなか見つからない。ここもまた広い墓地の奥の、高所にありました。墓所管理事務所かと思うような風情で、お寺のように見えませんでした。
ここから九十九折りの長い車道を延々と歩き、その後長い石段を登って、 42 西ノ滝に着きました。標高300m にある山岳霊場で、普段は無住のようですが、今日は長勝寺の住職と思われる僧侶がおられ、色々と説明してくれました。ここは、長勝寺の奥の院なのです。
本堂から洞窟のなかを通って、護摩堂へ向かいますが、その途中に「龍水」という清水の湧く場所があります。弘法大師の加持水とのことです。
護摩堂は断崖絶壁に建っており、下の写真で見るように、そのインパクはすごい。そこからの眺めも絶景です。遠く四国の屋島まで望むことができます(下右端写真の左遠くの横長の島影)。まさに、天空の霊場と呼ぶにふさわしい。
42西ノ滝参道の石段 洞窟内の龍水 護摩堂 護摩堂から四国・屋島を望む41 仏谷山も山岳霊場で、ご本尊は洞窟のなかにまします。無住のはずが、ここでは一人の女性が留守を守っている様子で、私の読む般若心経に木魚をたたいて合わせてくれました。
洞窟の外に休憩所があったので、まだ11時ですが、「昼食を摂らせてください」とお願いしたら、お茶をもってきてくれました。昼食といっても、今日は弁当を買い損ねて、最初の宿の女将さんからもらったおせんべい「島の味」で済ませました。これがまた美味でした。
蒲生のへんろ道(1) へんろ道途中の大岩 へんろ道(2)急坂の車道を下り、遍路道に入って、40 保安寺にお参りした後、国道へ出ました。
そこへ、運よく土庄行きのバスが来ました。あわてて手を上げ、乗ることができました。この先の札所は国道を2キロほど離れた土庄にあるのです。バスに乗ることができ、歩かないで済みました。
土庄の市街に帰りました。ここから伝法川の右岸に建ついくつかの札所を上庄まで巡拝する予定なのですが、そこへ入る道が分かりません。散々迷いましたが、親切な青年の懇切な案内で、はじめて自分の位置と行く方向が分かりました。ショッピングセンター(オリーブタウン)のなかのお店の位置を勘違いしていたのです。
なんとか、赤穂屋交差点から遍路道に入ることができました。時刻は午後1時を少しまわっていました。
56 行者堂、55 観音堂など、このあたり墓地が至る所にあり、札所はそのなかにあります。 そうした墓地のなかを行くうち、またまた道に迷ってしまいました。今度は人影もなく道を尋ねるわけにもいきません。
54 宝生院がどうしても見つけられず、最後は運を天に任せて歩いていたら、突然に、その宝生院の門前に出ました。地図に書かれた寺院の位置が少々狂っていたのが原因です。
宝生院は大きなお寺です。
ここの真柏がまたすごい。幹の根元の周囲は 16.6m もあり、地上 1m のところで三方に裂開したように支幹を出し、その支幹も太さはそれぞれ 7m 前後もあります。樹齢1500年以上といわれ、国の特別天然記念物とのことです。
54宝生院 宝生院の真柏(特別天然記念物) (同左)真柏同じ境内に 51 宝幢坊があり、すぐ隣に 52 旧八幡宮があります。
さらに、墓地と住宅の境目あたりを歩いて行くうち、操舵輪やら車輪やらを飾った面白い家を見つけたので、写真を撮っていたら、家の持ち主が帰ってきました。少し話をしましたが、こういう丸い物に趣味のある人と見受けました。
50 遊苦庵、49 東林庵にお参りし、本日はここで打ち止め。午後3時。
上庄のバス停まで出ましたが、折悪しくバスの便がありません。タクシーを呼んで、今日の宿、土庄港の旭屋旅館まで帰りました。旭屋には、これで3回目の宿泊となります。
本日の歩行距離約11キロ。登り高低差 330m 、下り 360m 。
(4)中山周辺の札所巡り(結願)(11/01)
今日はいよいよ結願を目指して、午前中、残りの札所を巡り、午後のフェリーで帰宅する積もりです。曇時々晴れの天候。
中山廻り池田行きのバスに乗らなければなりませんが、これが便数が少ない。土庄港発9:00にしようと思っていましたが、7:30発に間に合いそうということで、宿の女将さんにせかされて急いで準備します。女将さんは女将さんで、急遽、昼食用の握り飯を作ってくれました。
なんとか間に合い、20分ほど乗って中山バス停に着き、遍路道を登っていきます。
まず 43 浄土寺、45 地蔵寺堂にお参りします。この二つは同じ場所にあります。地蔵寺堂の隣に鳥居があり、同じ境内に神仏共に祀られています。
45地蔵寺堂と隣の鳥居 杉の巨木遍路道の急坂を手すりを頼りに登っていくと、やがて 44 湯舟山に到達します。ここは標高 240m あり、中山バス停が 120m ですから、高低差 120m を登ってきたことになります。
さらに遍路道を行けば、左手に中山千枚田をみることができます。
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中山の千枚田 |
遍路道をさらに進めば、やがて 47 栂尾山です。洞窟のなかにご本尊十一面観世音がまします。振り返れば、眼下に絶景が展開しています。
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47栂尾山 | 洞窟内の本尊 |
急坂を注意しながら下ると、48 毘沙門堂。広い車道に出て、46 多聞寺に到達します。山門をくぐると、地下へ下る階段があり、なかは真っ暗、おそるおそる進むとすぐに本堂の前に出ます。
ここまでほぼ遍路道を歩いて来ました。遍路道では道に迷うことは余りありませんでした。
いよいよ最後の札所 74 円満寺へ向かいます。先ほど乗ってきたバス道を逆にたどり、右手に遍路道をとれば、円満寺です。
立派な大きなお寺でした。ここでも真柏が見事です。これに見とれているうち、本堂の写真を撮るのを失念してしまいました。まことに失礼ながら、円満寺のホームページから借用して、本堂の写真を転載します。
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74円満寺の真柏 | 円満寺本堂(本寺HPより) |
3回に分けた区切打ちで、小豆島までの往復時間も含め、延べ12日間の小豆島八十八ヶ所巡拝が、これで結願しました。結願寺が“円満”寺というのも、なんとなく嬉しく感じます。
午前10時20分でした。
本日の歩行距離約5キロ、登り高低差100m 、下り70m 。
タクシーに円満寺駐車場まで来てもらい、土庄港発11時のフェリーで無事に帰ってきました。
小豆島巡拝は、最初にも書きましたが、なかなかの難所も多く、四国と比べても一日一日の歩きは楽なものではありませんでした――歳のせい?――。西ノ滝で出会った僧侶が言っていましたが、「ここ小豆島では、毎日、山登りがありますからねえ」というが、それは真実と思います。
歩きへんろにはほとんど出会うことがなく、その点は少しばかりさみしい思いをしましたが、地元の人たちは皆さん大変親切でした。心から感謝します。
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