小豆島1

1.土庄から吉田まで


[ホームページへ]

(写真をクリックすれば、拡大します)


(1)土庄泊まり(04/13)
もともとの計画では、早朝に自宅を発ち、午前中に小豆島・土庄港に着き、午後は土庄南部の鹿島―柳―小瀬の霊場をめぐる積りでしたが、昨夜からの強い雨続きに恐れをなして、午後自宅発、土庄泊まりとし、明日から歩き始めることにしました。

福山から岡山まで電車、岡山駅から新岡山港までバス、そこから小豆島・土庄港まではフェリーを利用します。
フェリーの乗船時間は1時間10分、乗船定員400人以上のところへ、このときは私たちを含めて10人足らずの乗客でした。土庄港着は午後5時10分。
この頃、雨は降ったり止んだり、霧雨模様の寒い小豆島上陸となりました。

   
フェリーから土庄港を望む

最初にお断りしておきますが、ここの八十八ヵ所霊場は、四国と違い、札所が遍路道に沿って番号順になっていません。例えば、57番の次が53番かと思うと、その隣に65番札所があったりします。
また、納経所は「寺」と名がつく札所、30ヵ所のみにあり、「堂庵」とか「山岳霊場」のご朱印は、納経所のある札所管理寺院でまとめて頂く仕組みになっています。
納経帳には全札所の記帳がすでに印刷されており、札所ではこれにご朱印を押してもらうだけで、寺院の納経料150円、その他は50円です。

(2)土庄・総本院から馬越・大聖寺までへ(04/14)
朝7:00 朝食、7:45 旭屋旅館(土庄港)を出発。霧雨のなか、念のために雨具を着けて歩き始めます。
まず、土庄町中心街にある霊場総本院に向かいます。ここで最初のご朱印と、納経管理札所の説明などの入った案内パンフレットをいただきました。

これから参拝する札所は、すべて川かと見まがう土淵海峡(世界一狭い海峡とのこと)をはさんだ対岸にあり、そちらへ向けて街中を歩いていきます。長年のご無沙汰で遍路の勘が鈍ったのか、散々道に迷い、地図上ではわずか900メートルしかない 57 浄源坊に、やっと着きました。
ここは無住の堂庵なので、納経所はありません。次の、本覚寺でいただきます。
65 光明庵を経て、58 本覚寺には、9:45 に着きました。港を見下ろす高台にあり、展望が大変よろしい。桜もまだ咲いていました。

   
光明庵にて
本覚寺へ下る

本覚寺は納経管理寺院なので、ここで本寺と 57、65 の3ヵ所の朱印が頂けるはずなのですが、寺には誰もいません。みれば、朱印の大きなハンコが3つ置いてあり、そばに誰が置いたか、250円のお金があります。どうも勝手に朱印を押して、納経料として本寺分150円、管理札所分50x2、合計250円を置いていけばいいらしい。私もそのようにして、寺をあとにしました。

このころ雨も上がり、薄日もさしてきました。遍路道から県道に入り、海沿いの道3キロほど進むと、伊喜末でまた遍路道に入ります。
66 等空庵参拝後、分かり難い遍路道を石手印を頼りに 68 松林寺へ登って行きました。ここで納経帳にご朱印が頂けるはずなのですが、またまた誰もいません。本覚寺と同じように勝手に朱印を押し、納経料を置いて本堂を出たところでお寺の人が帰ってきました。
「勝手にご朱印を押させていただきました」
「どうぞ、どうぞ」
というわけで、お寺を出ましたが、道がよくわかりません。幸い、年配の女性が通り掛かったので(「幸い」というのは、この小豆島の遍路道ではなかなか人に出会うことが難しいからです)、道を尋ねると、親切にも次の札所 67 瑞雲堂までわざわざ道案内してくれました。
般若心経を唱え参拝し終わって出てみると、まだ外で待っています。「さて、次へ」と思っても、またまた道がよくわかりません。

すると、また一人、今度は男の人が現れました。先ほどの女性と知り合いらしく、二人で道順のことを話し合っています。
「道を教えてあげるから、何か書くものを出せ」
と男の人がいいます。手帳に詳しく道順を書いて教えてくれました。

お二人に丁重にお礼を言い、教わった道順に従って歩いていきます。あまり手入れをしてなさそうな畑の際の道、竹藪の中の道を歩いていると、先ほどの男性が、今度は自転車に乗って私たちを追いかけてきました。
「心配なので、分かれ道まで案内する」と言われて、恐縮してしまいました。
「海へ出ていない限り、いつでも案内してあげる」というから、きっと漁師さんなんでしょう。

どうも、地図にはない近道を教えてくれたらしく、早くも次の札所 69 瑠璃堂に着きました。ちょうど正午のサイレンが鳴り渡り、私たちも道端で、宿の接待で頂いたおにぎりで昼食にすることにしました。
20分ほどで切り上げ、先ほど教わった道を 70 長勝寺へ向けて歩き始めます。参拝後、間もなく広い車道に出ました。車道とはいっても、私たちが歩いている間、ほとんど車の通ることはありませんでした。
途中、土地の篤志家が自ら土地を提供して作ったらしい私設公園がありました。散る桜がきれいです。

   
海を見下ろす遍路道
篤志家の手になる(?)私設公園

3キロほどこの車道をダラダラと登って行くと、71 滝ノ宮堂です。その先を再び遍路道に入ると、小豆島遍路道最大の難所といわれる笠ヶ滝の登りが始まります。
初めは巨岩の間を縫うように尾根道ですが、その後は山の南壁、礫岩(?)のロッククライミング″です。三点確保で慎重に登って行きます。所々に鉄パイプの手すりがついています。
案内地図には「笠ヶ滝徒歩巡拝初めての方は、車巡拝路よりお参りください」と書かれています。確かに、雨天だと相当に危険だと思いましたが、今日は雨は降っていません。

   
笠ヶ滝への登り(1)
同(2)
同(3)

2:40、72奥の院 笠ヶ滝(標高270m)に着きました。
残念! 本殿へ登る鎖道には黒黄のロープが張ってあり、「本殿2時終了、登頂禁止」の看板です。
前の札所 70 長勝寺で「笠ヶ滝は2時で終了ですよ。いまからではちょっと間に合わないのではないか」といわれてきたのですが、それにしても残念です。誰も人はいないし、ムリヤリ本殿への、この崖のような参道を登ってみようかとも思いましたが、やはりやめておきました。

   
笠ヶ滝本殿を仰ぎ見る
禁登頂の立札
下りの鎖道

泣く泣く下りに差し掛かりましたが、この鎖道と石段がまた凄い。ほとんど人の歩いた気配がなく、びっしりと苔むして、たいへん滑りやすい。手すりがついているのでこれを頼りに下っていくと、またまた黒黄のロープです。ここもすでに午後2時で通行禁止になっていたところを下ってきたのでした。
この急坂の石段と鎖の岩場は、72 滝湖寺まで続きました。

滝湖寺に着いた頃、すでに3時半を回っていたので、予定を変更して、今日はこの先の馬越の73 救世堂75 大聖寺までで打ち止めとしました。大聖寺に参拝したのが、午後4:30。
バスのいい便もなく、ここからタクシーで今朝出立した土庄の旭屋旅館に帰りました。今夜、ここに連泊です。
本日の歩行距離18.4キロ、高度差270mの登り下りでした。

(3)馬越・大聖寺から小部・かつや旅館まで(04/15)
今日は、昨日打ち止めにした馬越までバスで行き、そこから歩き始めます。このような計画にせざるを得ないのは、ここ土庄から今日宿泊予定の小部まで泊まるところがないからです。
バスはターミナル発が 8:20 なので、出発はゆっくりです。親切にしていただいた旭屋の主人と女将さんに見送られて、バスに乗り込みました。東馬越のバス停に着いたのが、8:45。

またまた雨です。雨具を着けて、バス道を外れ、76奥の院 三暁庵に向かいます。
雨は間もなく上がりましたが、道は車の通れる十分な広さがあるのに、なかなか分かり難い。地図とコンパスのにらめっこで歩いて行きます。途中の小さな神社のクスノキが大変立派でした。

   
歓喜寺への遍路道
小さな神社の大きな木

77 歓喜寺に到着しました。歓喜寺とはなかなか乙な名前です。ご本尊は如意輪観音、「月花と見るめのみかは寺の名を ききてよろこぶ人もありけり」とあります。
先ほどの大きな木の神社のところまで戻り、舗装された歩きやすい道を下がっていくと、76 金剛寺です。途中、案内の大きな石標識を見逃してしまい、海岸近くまで出てしまいました。写真の屋形の地蔵などに見とれていたためでしょう。金剛寺の山門は鐘付堂を兼ねた見事なものです。

屋形の地蔵
金剛寺山門

次は、番外 藤原寺です。
「小豆島八十八ヶ所」とはいうものの、こうした番外や奥の院まで含めると、札所は合計九十四ヵ所に上ります。
誰もいない藤原寺本堂の軒先を借りて、おにぎりの昼食としました。
ここから今夜宿泊予定の小部まで、ほぼ海岸沿いの県道26号線を延々と歩きます。約10キロあります。

78 雲胡庵は「道の駅 大坂城残石記念公園」から少し山の方に入ったところにあります。このあたりを小海と呼び、大坂城築造のための花崗岩の石切り場と、そのときの大きな残石をみることができます。

大坂城築城の残石
雲胡庵の参道

ここ雲胡庵から次の札所 79 薬師庵までは、実に4.3キロあり、緩やかにアップ・アンド・ダウンの、比較的車の多い県道26号線で、歩きへんろにとって最も好きになれない道です。この緩やかなアップダウンは車にとっては何でもないのでしょうが、歩きの人にとってはひどく疲れる。

更に次の 80 観音寺まで1.2キロ、更にさらに、小部の宿まで2.6キロです。これがすべて県道26号線の歩きです。舗装道路は足にこたえる。宿に着いたのは、まだ3時を過ぎたはがりでしたが、片道3.2キロの「恵門の滝」まで往復する元気は全くありませんでした。このまま宿に入り、早々と風呂に入れてもらいました。

先ほどお参りした大部の 80 観音寺は、本堂改築中でした。別名「うどん大師」とあります。
参拝の終ったところで、住職の奥さんと娘さんらしい女性が出てきて、
「うどんを接待するから、ぜひ食べていきなさい」といわれる。
札所の寺院で、このように言われたことは四国でも一度もありませんでしたから、びっくりしてしまいました。でも、せっかくのご厚意を無にすることはできません。仮本堂に上がり込んで、ありがたくいただきました。薄口のおつゆの、とってもおいしいうどんで、おつゆも全部飲んでしまいました。

そのうち、住職が帰ってきて、私たちの無事を祈って、太鼓をたたいて祈祷してくれました。
旧本堂は鉄筋コンクリートだったそうですが、この鉄筋コンクリートというのは海風に弱く、改築中の新本堂は木造建築だとのことでした。
本日の歩行距離は、僅かに14キロ。

(4)小部・かつや旅館から吉田・吉田庵まで(04/16)
今日は今回区切り打ちの最終日。朝 7:30 頭陀袋とカメラだけ持って、片道3.2キロの 81 恵門の滝を目指します。恵門の滝は標高340mの山上にあり、宿の「かつや旅館」はすぐ裏が白砂の続く海水浴場ですから、海抜 0m から登ることになります。

なだらかな上り道をしばらく行くと、「右不動道」の石柱があり、ここからいよいよ急坂の登りが始まります。案内地図には「急な山道で石がゴロゴロしている。足に自信のない方は自動車巡拝路を車に注意して歩いてください」とあります。
本当に大小の石がゴロゴロするたいへん歩き辛い道で、時間も随分かかりました。最後は、長い、長い石段を登り詰めます。

石段の上り口で一休みしていると、1台の軽自動車が車道を下ってきました。ここを管理する僧侶らしく「上には誰もいませんが、どうぞお参りしてください」といって、そのまま下って行きました。見ると、後部座席に菅笠を被った若い女性が乗っています。
昨夜、宿で一緒だった人で、私たちより先発した人に違いない。彼女は、今回のお遍路で初めて会った歩きへんろでした。

   
恵門の滝への登り口
「恵門の滝」山門
洞窟内の不動明王

石段を登り詰めて着いた先が、洞窟の中の 「恵門の滝」でした。
靴を脱いで、洞窟の中に入ります。長い洞窟の中、いくつかのお参りどころがありますが、ご本尊の不動明王は一番奥に鎮座まします。確かにすごい霊場です。苦労して登ってきた甲斐は十分にありました。

しかし、帰りはとてもあのゴロゴロ道を下る気にはなれません。車道を下ることにしました。考えてみると、徒歩道とそれほど距離が違うことではありませんでした。宿に帰り着いたのは、10時でした。

かつや旅館でお茶をいただき、一休みして、次の札所 吉田庵へ向けて、今度は荷物を背負って、出発しました。
吉田庵まで、標高260mの豆坂峠越えを含む4.4キロの長丁場です。県道26号線をしばらく行くと、豆坂峠への遍路道に入ります。

子安地蔵を過ぎ、いよいよ峠への山道が始まります。設置された案内板によると、「82番まで 4,173m、峠まで 1,813m」とあります。石ころだらけの歩き難い急登の道を、汗をかきながら登って行きます。所々で咲いているミツバツツジがきれいです。
間もなく、やや平坦な尾根道となり、最近の雨続きで所々に水たまりがありますが、つい先日切ったばかりとみえる新しい溝が排水をよくしています。あまり人が通るとは思えないこのような遍路道でも、このように整備に努めている人が地元にいることを想像させます。ありがたいことです。
でも、全体的には整備不十分の山道で、日本アルプスのよく整備された登山道を歩くといったようなわけにはいきません。

やっとの思いで豆坂峠(標高260m)に着きました。ちょうど12時で、ここで昼食を摂りました。
20分そこそこで、下りに差し掛かります。これがまた登り以上に急な坂で、この急坂は吉田ダムに下り着くまで続きました。

   
豆坂峠への道
豆坂峠からの下り道

ダム湖の北側を回り込むようにして行くと、ダム堤の上に出ます。午後1:00でした。堤の上は実に気持ちがいい。「海の見えるダム」とのことです。ここで30分ばかり休憩しました。
ここからはダム堤につけられた梯子を下って行きますが、これがまた実に長い。ダム堤高 74.5m を一気に下るのです。

   
吉田ダム湖
ダム堤上の巨大な女性像
ダム堤と通行のための梯子

82 吉田庵に着きました。2:15 で、まだ早いですが、これで打ち止めです。これからバスに乗って土庄まで帰り、それからフェリー、バス、山陽線電車に乗って、自宅まで帰るのです。

このあたりは小豆島北東部で、小豆島中心街から最も離れた静かな山国のような地区でした。
今回は、この吉田庵で打ち止めとします。本日の歩行距離10.8キロ、通算高度差600mの登り下りでした。

「小豆島八十八ヶ所の感想は?」と聞かれたら、四国にも劣らない険峻な遍路道で、正直申上げて、小豆島巡りをバカにしていた(いや、失礼、いささか甘く考えていた)ことを深く反省します、と私は答えるでしょう。


小豆島八十八ヶ所巡拝へ戻る

ホームページへ戻る