戦後史21-2

昭和21〜24年(中学時代)


『あたらしい憲法のはなし』

勉強の方は、これまたあまり記憶がない。断片的な記憶をたどってみれば、たとえば教科書である。戦後、国民学校6年生の時は教科書に墨を塗らされたが、中学校に入ってからも教科書はひどいものだった。新聞紙のような大きな紙に印刷されたものを自分で手で折ったり、切ったりして、薄っぺらな小冊子とし、本の体裁に整える。
年が経つうちにだんだん充実はしてきたが、そのなかに『あたらしい憲法のはなし』というのがあった。著作兼発行者は文部省、発行所は実業教科書株式会社、発行年月は昭和22年8月である。

その3か月前、昭和22年5月3日に施行された新憲法についての、中学1年生を対象にした教科書とのことであるが、中学2年生であった私たちにも配布されたのか、教室で教わったのか定かではないが、この教科書には記憶がある。
インターネットで検索してみると、その表紙の絵にも、内容の文章にもところどころ記憶がある。以下少々長くなるが、青空文庫からその一部を引用してみる。

六 戰爭の放棄

 みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
 そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。(以下、省略)

七 基本的人権
 くうしゅうでやけたところへ行ってごらんなさい。やけたゞれた土から、もう草が青々とはえています。みんな生き/\としげっています。草でさえも、力強く生きてゆくのです。ましてやみなさんは人間です。生きてゆく力があるはずです。天からさずかったしぜんの力があるのです。この力によって、人間が世の中に生きてゆくことを、だれもさまたげてはなりません。しかし人間は、草木とちがって、たゞ生きてゆくというだけではなく、人間らしい生活をしてゆかなければなりません。この人間らしい生活には、必要なものが二つあります。それは「自由」ということと、「平等」ということです。
 人間がこの世に生きてゆくからには、じぶんのすきな所に住み、じぶんのすきな所に行き、じぶんの思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆけることなどが必要です。これらのことが人間の自由であって、この自由は、けっして奪われてはなりません。また、國の力でこの自由を取りあげ、やたらに刑罰を加えたりしてはなりません。そこで憲法は、この自由は、けっして侵すことのできないものであることをきめているのです。
 またわれわれは、人間である以上はみな同じです。人間の上に、もっとえらい人間があるはずはなく、人間の下に、もっといやしい人間があるわけはありません。男が女よりもすぐれ、女が男よりもおとっているということもありません。みな同じ人間であるならば、この世に生きてゆくのに、差別を受ける理由はないのです。差別のないことを「平等」といいます。そこで憲法は、自由といっしょに、この平等ということをきめているのです。
 國の規則の上で、何かはっきりとできることがみとめられていることを、「権利」といいます。自由と平等とがはっきりみとめられ、これを侵されないとするならば、この自由と平等とは、みなさんの権利です。これを「自由権」というのです。しかもこれは人間のいちばん大事な権利です。このいちばん大事な人間の権利のことを「基本的人権」といいます。あたらしい憲法は、この基本的人権を、侵すことのできない永久に與えられた権利として記しているのです。これを基本的人権を「保障する」というのです。(以下、省略)

こうして読んでみると、当時の新しい息吹をまざまざと感じる。官民挙げて新しい社会を築き上げようという意気込みを読み取ることができよう。しかし、この教科書はその後2〜3年しか使われなかったという。

この新憲法の理念をどれほど私が理解し得ていたか、おおいに疑問であるが、それ以来、生涯においてさまざまな現実問題に直面した時、この新憲法の理念に立ち返り考えるという営みを続けてきたのが私たちの世代ではなかろうか。
上にあげた「戦争放棄」と「基本的人権」の理念は、今日に至るまで私の考え方・ものの見方のバックボーンになっていることを思い知る。

しかし、敗戦から2年にも満たない当時、すでに「逆コース」は始まっていた、とは田舎住まいの中学生は知る由もなかった。ただ、記憶にあるのは“2・1ゼネスト”である。
昭和22年(1947)2月1日に、経済的要求から発して吉田内閣打倒にまで盛り上がった全官公労のゼネストが計画されていた。その“2・1スト”が、決行の前夜、占領軍最高司令官マッカーサー元帥直々の“声明”によって禁止されたのである。

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