山行雑感4

山行雑感(その4)


ごあいさつ

「山行雑感(その3)」に続き、2009年06月以降の山行について、このページに掲載します。それ以前については「山行雑感」および「同(その2)」「同(その3)」をご覧ください。
次がいつ掲載されるかは、私の山行次第です。

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16.臥牛山・備中松山城へ登る(2009/06/14)
17.伯耆大山へ、登頂断念する(2009/08/09)
18.ダウラギリ・アンナプルナ展望の旅(2009/12/04)
19.尾白川渓谷に遊ぶ(2010/07/28)
20.車山から霧ヶ峰へ(2011/07/04)


16.臥牛山・備中松山城へ登る(2009/06/14)

備中松山城は岡山県高梁市にあります。標高430mに立つその天守閣は国の重要文化財で、現存天守を持つ山城としては最も高い所にあるということです。
ここに登城するには、最短でも「鞴(ふいご)峠(標高290m)」(駐車場がありますが、土日祝日には一般車両は乗り入れ禁止)から歩かなければなりません。
今回、私たちは高梁市街にある登山口(標高65m)から登りました。午前8:45出発。

いきなり階段の急登です。しかもこれが延々と続きます。ただ救われるのは、この道がケヤキやカシ、アカマツの巨木の鬱蒼たる中を行くため、日差しをさえぎってくれることです。
いたるところに「サルに注意」の看板があります。

・サルを棒などで突いたり脅したりしてはいけません。
・サルと目を合わさないようにしましょう。
・サルに餌をやってはいけません。
・サルに持ち物、特に紙袋、を取られないように注意しましょう。
などなど。

ということは、猿(ニホンザル)が群生しているらしい。遭遇することを期待したのですが、帰るまで私たちの前には現れませんでした。

50分ほどで標高290mの「ふいご峠」に着きました。
ここから先は誰もが歩かなければなりません。ここまでタクシーで来た人も、平等にみんな歩くしかない。尾根道でそれまでほど急ではありませんが、山道であることに変わりはなく、ハイヒールではとても登れないでしょう。

それにしても、なんでこのような急峻な山地の頂上に城を作ったのか。もちろん、城砦は守備の基地ですから、攻め難いところほど堅固な要塞ということになります。ここ松山城も難攻不落とうたわれたそうです。

でも、この築城にはとてつもない労力を要したであろうことは容易に想像できます。
写真を見てください。


この急峻な崖の岩の上に石垣を積み上げているのです。人のいるあたりにかっては大手門がありました。
いまこの崖石が少しづつ動いているのではないかと、その動きを検知するための装置が設置してあります。

10:00 天守の見える城内に到着しました。
それほど大きくはありませんが、その優美な姿は他に類をみない素晴らしいものです。

備中松山城(右上が天守)

ここからお城の裏手にまわり、臥牛山(がぎゅうざん)頂上を目指します。
番所跡から下っていくと、石垣に囲まれたかなり大きな池があります。おそらく城内での貴重な水源だったのでしょう。
大変な巨木がありました。樹齢350年、樹高30m、樹周4.7mのアベマキです。「森の巨人たち百選」に選ばれているそうです。この外にもこの臥牛山の森には巨木が手つかずでたくさん残っています。

また登りになり, しばらく行くと近代的な吊橋に出ます。橋への出入口には二重の網戸が付いています。これを開閉して橋を渡っていきます。猿が橋に入り込まないようにするためだそうです。

臥牛山頂上(標高472m)の三角点は登山道から外れた茂みの中にありました。そこに至る踏跡もほとんどなく、白赤のポールが立っていなかったら、見つけられなかったかもしれません。展望も全くききません。

この道は頂上手前の分岐点で右へ行くと「ふるさと村」へ、左に進むと、ぐるりとまわってお城まで引き返すようになっています。いずれもほとんど通る人もないだろうと思われる山道です。
間もなく左手にさっき渡ったばかりの吊橋がすぐそこに見えてきました。道は吊橋のかかっている谷のすぐ上流を横断する形です。
「なんでこの吊橋が必要なんだろう? これも“公共事業”なんだろうね」とはある仲間の言。
この間、約30分でした。

城内のベンチで昼食をとり、しばらく休憩して、登って来た道を下山しました。それなりに楽しい登山(登城というべきか)になりました。
スケッチは、二重櫓を大急ぎで写生したものです。




17.伯耆大山へ、登頂断念する(2009/08/09)

2009年8月9日早朝、伯耆大山に向けて雨の中を貸切バスで出発しました。
大山自然歴史館下の駐車場に着いたとき、依然として雨は降り続いていた、いやむしろ激しくなっていたと感じられました。
大山は濃い霧の中、全くみることができません。

この時点で、バスに同乗した仲間のうち、女性を中心に約半数の人が登山をあきらめ、大山寺参詣に切り替えました。
残り半数18名は雨具を着け、山頂に向けて出発しました。午前10:10ごろでした。

夏山登山道入口から登り始めます。
登山道はよく整備されていて、丸太階段が続いています。どこまでも続いています。話には聞いていましたが、本当にどこまでも、どこまでも階段です。
これがまた、私にとってはとても歩きにくい。歩幅が合わないうえに、階段を作っている丸太を越す時に脚にかなりの力を入れなければならないからです。バネの利く脚をもった若い人のようにはいきません。
しかも、写真(下山後、撮ったもの)でお分かりのように、線を引いたように凹凸のない稜線を登り続けるのです。傾斜は登るほどに次第に急になってきます。

この単調さがとてもたまらない。周囲は、鬱蒼たるブナの林らしいのですが、登山道脇の樹齢何百年という太い幹は見えますが、10m先は視界ゼロの深い霧のなかです。
1時間ほどで、私はすっかり気力を失ってしまいそうでした。とにかく行けるところまでと、雨と汗にまみれながらもリーダーについていくことです。

大勢の若い人たち、なかにはTシャツに運動靴という猛者もいます。飛び跳ねるように登り、下ってきます(こういうことが年寄りにはできない)。どんどんと追い越されます。聞けば、韓国から来たツアー登山客とのことです。
この他に小学生くらいの子供たちも元気に登って、下ってきます。
この人たちをみるにつけ、私は日ごろの鍛錬の不足もさることながら、よる年波を感じざるを得ませんでした。

途中立ったまま5分ほど休憩しましたが、12時前に六合目避難小屋に着きました。この頃、風も出てきました。台風9号の影響と思われます。
麓の駐車場が標高約800m、この六合目が1350mですから、標高差約550mを1時間40分ほどで登ったことになります。歳とった私にはかなりのハイ・ペースでした。
当初からここまで、と決めていた人を含めて18名中8名が登頂は諦め、ここから下山することに決しました。私もその一人です。
写真は六合目から頂上の方向を望んだものです。

若い人たち(といっても、50代の人たちが中心です)は、休む暇もなく風雨の中を弥山頂上を目指して登って行きました。
下山組はゆっくりと昼食を摂りました。といっても、風雨の中、雨と汗で濡れた体では寒くもあり、早々に下山することにしました。
同じ道をゆっくりと、登りとほぼ同じ時間をかけて駐車場まで帰ってきました。下り始めると少しづつ視界も開け、雨も上がってきました。

伯耆大山は標高1729m。
「海と山の王国に立つ神の山、日本海に沈む夕日を望む中国地方の最高峰」(『中国地方の山100選』より)とのことですが、なんとも残念なことでした。

登頂組は、午後3:30頃には無事下山してきました。
計画しながら登頂を果たすことができなかったのは、私にとってこれで2回目です。(もう一つは40数年前の利尻岳です)
私の体力の限界を知ることができたという点で有益な山行でした。(悔し紛れの強がり? あるいは言い訳?)


18.ダウラギリ・アンナプルナ展望の旅(2009/12/04)

2009年11月下旬、ネパールの「氷河展望ロッジに滞在・ジョムソン街道の旅」のツアに参加しました。トレッキングは僅かに1日半程度でしたが、山岳展望は十分に満喫しました。
ここでは、そのトレッキングとロッジ滞在の3日間ほどを、写真を中心にして綴ってみます。
(写真画像をクリックすると、拡大します)

11/19 
天候の安定している早朝をねらって航空機はポカラを飛び立ち、アンナプルナ山群の南麓からカリガンダキ川の渓谷を抜けていく山岳フライトです。機上から、右にマチャプチャレやアンナプルナ、左にダウラギリの雄姿を望むことができます。
30分ほどで、9時にはジョムソン空港に順調に到着しました。空港は標高約2700mの高地にあり、南方にアンナプルナ後山に相当するニルギリ山群が迫っています。

空港近くで一服したのち、カリガンダキ川沿いの道を四輪駆動車に分乗して滞在予定のロッジのあるナウリコット村へ向かいます。この道はジョムソン街道と呼ばれ、ネパールを南北に縦断するメインルートらしいのですが、もちろん舗装はしてないし、大きな石がごろごろしているのを避けながら走っていくのだから運転手も大変です。

今は乾期のこととて、もうもうと上がる土埃のなかを1人、2人、あるいは3人のグループで歩いている人たちがいます。土地の人も稀にはいますが、多くが外国から来たトレッカーとのこと。
3日後のこと、同じこの道を四駆で帰ったのですが、その時一人の日本人トレッカーに出会いました。ポーター1人を連れて、ポカラからこのジョムソン近くまで2カ月ほどかけて歩いてきたとのことです。あと1ヶ月ほど滞在するとのことで、その体力・気力に感服してしまいました。

途中、マルファ村に立ち寄り、昼食をとったのち高台に建つ僧院をたずねました。ここから段々畑と集落の様子が一望できました。写真右の平屋根の縁に積み上げてあるのは燃料にする薪です。写真左はジョムソン街道。


悪路を走る四駆に揺すられ、くたびれ果てましたが、幸いにも早く、2時過ぎに滞在予定のロッジ、タサン・ヴィレッジに到着しました。
このロッジの個室にはシャワーはあるのですが暖房がなく、夜は湯たんぽを貸してくれましたが、それでも朝方は寒い思いをしました。


ロッジはナウリコット村のはずれにあり、小高い丘の上に立っているので、360度のすばらしい展望をたのしむことができます。西にダウラギリ、東にニルギリをまじかに展望することができます。ダウラギリ、ニルギリともに、ロッジから約8kmの距離にあります。
上写真の山は左からニルギリ北峰(標高7061m)、中央峰(6940m)、南峰(6839m)です。

当地の日没はおおよそ午後5:15、日の出が午前6:20頃。この日、夕陽が落ちたばかりのダウラギリと、翌朝の朝焼けに輝くダウラギリを御覧に入れましょう。 (ダウラギリ峰は標高8172mで、世界第7位の高峰、その前にダウラギリ氷河が見えます)

夕方のダウラギリ(5:11 p.m.)

   
朝焼けのダウラギリ(6:43 a.m.)
同(6:54 a.m.)

11/20
今日は一日、トレッキングの日です。
ロッジの屋上からダウラギリの朝焼けを堪能し、朝食をとって、8:40にロッジを出発。同行14人にポーター4人(うち、1人は別行動で昼食弁当を運ぶ)に、サブザック程度の荷物にもかかわらず、これを全部持ってもらい、空身で歩く殿様トレッキングです。


松林のなか、つづら折りの道を標高差200mほど下ると、そこはカリガンダキ川支流のボクシコラ川です。吊橋を渡り、対岸からまた急坂を標高差300mほど登ります(上写真右がその登山口)。途中、展望台、ヤク生贄儀式跡などで休憩し、360度の展望を楽しんだのち、目的地のセコン湖に11:20到着しました。

セコン湖に映るニルギリの素晴らしさに感動しました。下写真右のニルギリ南峰の右鞍部にアンナプルナT峰(8091m)の頂上がほんの少し頭をのぞかせているというのですが、私は確認できませんでした。更に右の方にはアンナプルナ南峰(7219m)が見えています。


12:10 セコン湖を出発、来た道を戻り、14:00 ロッジに帰着しました。標高差計500mの登り下りでしたが、空身だし、天気も風景もよく、まったく疲れを感じず、ぜいたくな(というか、ヤワな)トレッキングでした。

11/21
今日はナウリコットに別れを告げ、コバン村を経て、ジョムソンのロッジまでの予定です。タサン・ヴィレッジからコバン村まで歩いて下り、あとはジョムソン街道を四駆で走り、ジョムソンのオムズ・ホームというロッジに宿泊しました。


上写真左はタサン・ヴィレジから見下ろす段々畑とカリガンダキ川、右はナウリコット村の一風景。

11/23
早朝、ポカラのサランコットの丘に懐中電灯やヘッドランプをつけて登り、朝日と山々の朝焼けを堪能しました。
マチャプチャレ(標高6997m)は、秋という季節のせいか雪が少なく、ちょっとがっかりでしたが、でもその山姿はいつ見てもマッタホルンに決して負けない見事なものです。
マチャプチャレの左は左からアンナプルナ南峰、T峰。マチャプチャレの右は左からアンナプルナV峰(朝日がまだ当たっていない)、W峰、U峰。

アンナプルナ南峰、T峰、マチャプチャレ(6:39 a.m.)
マチャプチャレ、アンナプルナV峰、W峰、U峰(6:37 a.m.)

   
朝焼けのマチャプチャレ(6:50 a.m.)

終始天候に恵まれ、最高の展望の旅でした。ポカラでの最後の夕方、ホテルの窓から一瞬の美しい夕焼けを見ることができました。




19.尾白川渓谷に遊ぶ(2010/07/28)

2010年7月下旬、思い立って尾白川渓谷へ出かけました。この酷暑の中、滝の冷気にあたって来ようという魂胆です。
尾白川渓谷は北杜市白州にあり、甲斐駒ケ岳への登山道のなかで最も長大で、日本三大尾根の一つといわれる黒戸尾根の登山口でもあります。

8:10 登山口駐車場に着きました。しばらく行くと、竹宇駒ケ岳神社があります。冷水が右から左へと参道を横切り、これが清めの水となり、最後はトイレの手洗いとなって流れ下っています。

尾白川にかかる吊橋を渡ると、渓谷道と尾根道の分岐に到ります。渓谷道は登り専用で、下りは尾根道を通ることになっています。
尾根道の方は同時に、黒戸尾根への登り口でもあります。

  渓谷道は尾白川右岸を登って行きますが、これが予想外の難路でした。二、三日前に降雨があり、かなりの水量が激流となって走り下っています。

8:30 まず最初の滝、千ヶ淵に着きました。ここから先は、登山装備で登るようにとの注意書きがあります。
事実、急傾斜のアップダウンの繰り返し、いたるところに鉄製の階段や鎖が設けられており、断崖絶壁を伝わるようにして歩いていきます。登山靴で来てよかったと思いました。
(写真画像をクリックすると、拡大します)

   
千ヶ淵

ここから案内図によると、旭滝まで35分とありますが、その間に大きなものでも二つの滝がありました。
下の左写真はアップで撮っていますが、なかなか豪壮なものです。名前はわかりませんが、次の滝に「三の滝」と表示がありましたから、これは「二の滝」とでも呼ぶべきなのでしょうか。

   
二の滝(?)
三の滝

つれあいが写真に夢中で、なかなか案内図通りの時間では進みません。別に急ぐ旅でもなし、ここはゆっくりと付き合うことにします。

9:50 旭滝に到着。この滝は川岸に降りて、岩の裏手に回らなければ全貌を撮ることができません。
また、これまでにも川のいたるところに、右写真のような小さな滝をみることができます。

   
旭滝
小さな滝

下は、百合ヶ淵と神蛇滝です。百合ヶ淵の水の青はたとえようもなく美しい(私の技術不足で、その見事な色を出すことができません)。
神蛇滝は三段の滝で、登山道からは遠望しかできません。秋には周囲が紅葉して、とてもきれいだろうなと思いました。

   
百合ヶ淵
神蛇滝

ここまでの途中、意外なものを見つけました。冷気が吹き出す風穴です。小さな穴でしたが、汗をかいた身体にはとても心地いいものでした。
旭滝からここまで、写真好きらしい男性と抜きつ抜かれつ来ましたが、この人は何回もここを訪れていると見えて、この渓谷について随分詳しく、いろいろと教えてくれました。
これから先は比較的平坦な尾根道を40分ほど登ると、最終目的地の不動滝です。

11:20 不動滝の見える吊橋に到着、ここで昼食です。
地図をみると、標高1150mほどです。登山口が約800mですから、350mほど登ったことになります。実際には、アップダウンが激しいので、それよりはるかに大きな標高差を登っているに違いありません。

吊橋を渡り、滝壺まで迫ろうとしますが、その途中を大きな岩がさえぎり、その岩に滑り止めこぶ付きのロープが取り付けてあり、これを頼りに岩を乗り越えます。下左の写真。
それだけではまだ滝壺まで到達しません。さらに別の岩の間を水しぶきを浴びながら通り抜け、やっと滝壺の淵に到達します。そこで、大急ぎでシャッターを切ったのが、右の写真です。冷気で寒いほどです。
不動滝は、この渓谷の滝のなかで最大の規模を誇ります。

   
不動滝前の岩とその奥に滝
不動滝(滝壺から)

これまであまり登山者とは行き合いませんでしたが、私たちがゆっくりしている間に、次々と登山者に追いつかれ、不動滝に着いた頃は、もう何人もの人が現れました。そのなかに、旭滝から一緒でいろいろと教えてくれた男性も、神蛇滝からひき返すと言っていたのに、結局、不動滝まで来て、また出会いました。

これから先は、尾根道を下山しますが、多くの人が登って来るのに行き合いました。この尾根道は渓谷道に比べると、とても歩きやすい。渓谷道のように、道すがら多くの滝をみることはできませんが、神蛇滝と不動滝は尾根道を来てもみることができます。なかにはサンダル靴で登ってくるご婦人方もいました。

不動滝から1時間20分かけて下山、13:30 に駐車場に着きました。かき氷で喉をうるおし、滝巡りを締めくくりました。


20.車山から霧ヶ峰へ(2011/07/04)

(画像をクリックすると、拡大します)

信州の山荘を訪ねてきた友人たちと車山から霧ヶ峰へハイキングに出かけました。
天気予報では、午前中から雨が降り出すとのことでしたが、あえて出かけることにしました。白樺湖からビーナスラインに入る頃、雨模様に加えて強い風も吹いてきました。
おそらく車山山頂へのリフトは動いていないでしょうと思いながら通り過ぎ、富士見台の展望台に立ち寄りました。一面の深い霧で、富士山は裾野がわずかにみえるだけです。南アルプス、八ヶ岳など、もちろん何も見えません。

さらに走って、予定した車山肩の駐車場に着いたのが、9:15。ここから車山山頂へ向けて登り始めます。

私は、ハイキングにはいささか大げさとは思いましたが、登山靴に履き替えました。以前、この付近を歩いた時、大小の石ころのごろごろ道に閉口したことがあったからです。

この車山肩が標高約1800m、山頂が1925mですから、標高差100m余りを登るわけですが、登山道は山頂を巻くようにして登っていくので、傾斜は緩やかです。

ニッコウキスゲは全く咲いていません。まだ早いとは思っていましたが、それでもいくらかは咲いているだろうと微かな期待をしてきたのですが、その期待は見事に裏切られてしまいました。

強風に悩まされながら、40分ほどで山頂に着きました。濃い霧で、すぐ近くにあるはずの気象レーダー観測所のドームすら見えません。早々に退散し、車山乗越経由で車山湿原に向かうことにします。
この天候では登山者はいないだろうと思ったのに、何組かの人たちに出会いました。聞けば、リフトは動いているそうです。確かに、車山北東斜面を下る頃には風も弱まって、視界も幾分開けてきました。

車山乗越から直進すると、蝶々深山、物見岩を経て八島湿原に達します。今日のこの天候のことでもあるし、私たちは車山湿原から車山肩に引き返し、霧ケ峰の方に廻ってみようということになりました。
この高原一帯は、いま、レンゲツヅジの赤とコバイケイソウの白が咲き誇り、見渡す限り、赤と白の見事な競演!


ニッコウキスゲの黄色も見事ですが、この赤と白、それに草木の緑、これまた決して黄色に劣るものではありません。来てよかった、と心からそう思いました、

車山湿原の中の長い木道を歩いて、車山肩に帰ったのが11時過ぎでした。
ここから霧ヶ峰駐車場まで下るルートは2本あります。どちらにしようかと地図を出して相談していたところ、そばにいたご婦人から、「往きは西側、帰りは東側のルートがいいでしょう」と親切な示唆を受けましたので、それに従うことにしました。
ルートを進むうち、見つけました! ニッコウキスゲの花を。 下の写真の中央に、二、三輪咲いているのがお分かりでしょうか。


つぼみはたくさん見かけますから、あと1週間ほどしたら咲き始めるでしょうと、出会った環境保護員の人が説明してくれました。昨年は、シーズンになっても、ニッコウキスゲの花をほとんど見ることができませんでしたが、今年は大丈夫でしょう。

この霧ヶ峰への西側ルールは、花咲く草原、大小の岩を避けながら歩く道、笹原、疎林の中と、なかなか変化に富んだ楽しい道です。ちょうど、正午、12時に霧ヶ峰駐車場に着きました。レストランで昼食にしました。信州そばではなく、ラーメンをいただきました。


目の前の丘の上に霧鐘塔が見えます。登ってみることにしました。10分ほどかかりました。展望は全くききません。南側はグライダー滑走場です。もちろん、この霧の中、今日はグライダーは飛んでいません。
車山肩への帰り道は、東側ルートをとりました。このルートはビーナスラインとほぼ平行に走っており、あまり面白味のある道ではありませんでした。

車山肩駐車場に帰着したのは、午後2時でした。
登り下り標高差通算約170m、歩行距離12キロほどのハイキングでした。
ビーナスラインを戻り、白樺湖温泉「すずらんの湯」で汗を流し、山荘に帰りました。

車山高原、霧ケ峰高原、八島高原を総称して霧ヶ峰と呼ぶそうですが、その名にふさわしく情緒ある霧の中のハイキングではありましたが、一方、この霧のせいで展望は一切ききませんでした。


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