山行雑感2

山行雑感(その2)


ごあいさつ

「山行雑感」に続き、2004年8月以降の山行について、このページに掲載します。それ以前については「山行雑感」をご覧ください。
次がいつ掲載されるかは、私の山行次第です。

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6.蝶・常念展望の山旅(2004/08/22)
7. 北スペイン・トレッキング(2005/08/20)
8. 妙高ピストン登山(2005/09/13)
9.初冠雪の木曾駒ケ岳(2005/10/28)
10.早池峰・岩手山の山旅(2006/08/13)


6.蝶・常念展望の山旅(2004/08/22)

8月9日から3日間、酷暑の下界を後に、妻と二人で蝶ケ岳から常念岳を廻ってきました。
今回の山行は、山上からの展望スケッチが私の目的です。蝶ケ岳から常念にかけて、その展望の素晴らしさはかねてから聞き及んでいましたし、最近、読んだスケッチの本にもこの辺りから描かれた絵があり、矢も盾もたまらなくなったというわけです。
田代博さんの『山岳展望の楽しみ方』(山と渓谷社、1991)という本のなかに、「展望五拾名山番付」があり、蝶ケ岳は西の横綱、常念岳は前頭6枚目となっています。

8月9日、初日の午前7時、烏川本沢の三股を出発します。間もなく、常念への登山道を右に分け、しばらく沢道を進むと、いよいよ急登に差し掛かります。樹林帯のなかでさほど暑さは感じませんが、展望は一切ききません。
ほどなく、蝶沢に着きます。そこで早くも昼食を取っている登山者に追い着き、私たちも少し上のほうでコンビニで買ったおにぎりなどで簡単な昼食とすることにしました。10:30頃です。
ここから道はガレ場となり、しかも急登で歩きにくいことおびただしい。これに1時間半以上もかかり、ハイマツ帯から常念への稜線が見え始めるころには、雨まで降り出してきました。
それほどひどい降りではないので、雨具はつけず強引に歩いて、蝶ケ岳ヒュッテに入りました。12:30でした。

蝶ケ岳(標高2677m)頂上付近は広く、どこが真のピークなのか、よく分かりません。とりあえず、一番高い所ということでそこへ空身で登ってみます。
付近一帯はガスで何も見えません。ヒュッテもすぐ近くのはずなのに、それさえも見えません。諦めて小屋に帰り、「これが、何で展望横綱か」と嫌味を言いながら、ビールを飲んで横になり、夕食を待ちました。

ところがです。
夕食後、ガスは見事に晴れてきました。穂高連峰が目の前です。右手に、槍ケ岳もくっきりとみえます。実に見事です。展望横綱の名に恥じないすばらしいものです。
折りしも、夕日が穂高の後ろに落ちていきます。それはそれは、素晴らしい眺めでした。
でも、それまではガスの中、スケッチする時間は全くありませんでした。

2日目、早起きして、5時に朝食、昨夕と比べてもさらに一段と鮮やかに槍・穂高を展望できます。

穂高連峰(蝶ヶ岳から)


槍ヶ岳(蝶ヶ岳から)


残念ながら、スケッチしている暇はありません。直ちに常念岳へ向けて出発です。蝶槍までは、実に楽しい稜線歩きです。左に穂高、槍、北に大天井,燕岳、さらには鷲羽、水晶岳までくっきりとみることができます。
南西に目を転ずれば、乗鞍から御嶽山、さらに南に雲海の彼方、遠く富士とその横に南アルプスまで遠望できます。
私たちは、前方の巨大な山塊の常念を目指します。蝶槍で、やっと1枚のスケッチをものにすることができました。槍ケ岳を描いたものです。

蝶槍から望む槍ヶ岳


2512m峰付近からの常念岳


お花畑や樹林帯を抜けると、岩屑の歩きにくい道を2512mピークへと登り、これを下がって、いよいよ常念への登りとなります。
岩を乱雑に敷きつめたような嫌な道を登ったり下りたり、にせピークを3つほど越え、ジグザクの急登を経て、やっと常念岳(標高2857m)の頂上です。
前日と同様、10時近くなるとガスが出てきて、展望がきかなくなります。常念の頂上は狭く、祠が祀ってあります。このときほとんど展望はききませでした。
そのなかを常念小屋へ向けで実に歩きにくいガレ場を、私たちの足で1時間もかけて、ガスの中を泣くようにして下りました。それでも、12:30頃には小屋に着くことができました。

幸い、雨は降っていません。小屋の外に出て、この常念小屋をスケッチしました。花もいくつかスケッチしました。

常念小屋


3日目、朝食の最中、5:30頃、神々しいほどの朝焼けの槍ケ岳です。穂高連峰まで見事な朝焼けが一瞬の間、私たちを楽しませてくれました。

朝焼けの槍ヶ岳(常念小屋から)


この素晴らしい展望を後にして、今日は車を置いてある三股まで下らなければなりません。
その下り道について、私たちは昨日から問題を抱えていました。小屋を少し登ったところから常念を巻くようにトラバースする道を予定していたのですが、この道がほとんど廃道同様で通れないということです。
昨日泣きながら下ったガレ道を常念八合目まで再び登り、そこから前常念へと向かう他ないのです。約1時間の余計な歩行を強いられることになりました。標高差約300m登って、それから1,400m下る難行です。

前常念からの道がまたひどい。稜線を岩伝いにまっさかさまに下っていくのです。それが終わったと思ったら、今度は樹林帯の中をジグザクにどこまでも続く急坂を下って行きます。やっとの思いで本沢に到着するまで、前常念から5時間近くかかりました。下りながら話し合ったことです。「もう二度とイヤだ」

苦しくはありましたが、これほどの展望を楽しむことのできる山はそうざらにはない、とはっきり言うことができます。
展望名山横綱の蝶ケ岳はその通りだと思いますが、常念岳も決して前頭などではない、蝶と並び立つ横綱だと信じます。


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7.北スペイン・トレッキング

「北スペインの巡礼と山旅」ツアに参加した私たち6名(うち、女性4名)は、今年(2005)7月27日夕刻ほぼ定刻にバルセロナ空港に到着し、ツア・リーダー(ガイド)となるジョセフィーナ(愛称ジョシー)の出迎えを受けて、この日はそのままホテルに入って休みました。
翌日から、10日間にわたるサンティアゴ巡礼とスペイン北部の国立公園の山々を巡るトレッキングが始まりました。
ここでは、ピレネー山脈中のアイゲストルテス/ラゴ・デ・サン・マウリシオ国立公園内とカンタブリア山脈中のエウローパ山国立公園内のトレッキングについて述べます。巡礼については、「サンティアゴ巡礼の道」に掲載しました。

(1)バルセロナからアンドラ公国へ(07/28)
今日は山行はありません。アイゲストルテス/ラゴ・デ・サン・マウリシオ国立公園(長い名前ですね、スペインの地名は長くて、地図上で探すのも大変です)トレッキングのベースとなるセウ・デ・ウルヘルへの移動日です。
ついでに、スペイン・フランス国境の深い谷間の小国、アンドラ公国を訪ねましたので、それについても触れます。

時差ぼけのせいか、朝早く目が覚めたのでホテルを抜け出し、近くの狭い路地に入っていくと、スケッチに格好のモチーフがありました。ローマ時代の古い城壁の一部です。
お巡りさんに疑心の眼で見られながら(スペイン感覚では、あまりに朝早いので)描いたのが、下の絵です。今回は忙しい旅で、スケッチする暇がほとんどありませんでした。これは数少ないスケッチの一つです。

バルセロナ市内の城壁


バルセロナでは、公認ガイドに案内されて、あの有名なガウディの聖家族教会、ミラ邸、そしてグエル公園などを見学しました。すべてガウディの設計になるもので、ガウディ、ガウディの連続にいささか食傷ぎみでした。

バルセロナからは、これからサンティアゴまで私たちを車で送ってくれるドライバー兼マウンティンガイドのロマン君がセウ・デ・ウルヘルへ専用のバンで送ってくれました。長いドライブでした。
ホテルに着いて相談の結果、「アンドラ公国に行っても買い物をするのでなければ見るものは何もない」というジョシーを圧して、やはり訪ねてみたいということで、再度ホテルから出発しました。道はかなりの渋滞です。これでは、ジョシーが嫌がるのも無理はない。

この国はすべての商品がタックス・フリーであるため、スペイン、フランス両国から大勢の人が買い物に来ることで経済が成り立っているらしい。私たち日本人にとっては、買い物をしなくてもやはり、そこに足跡を残したい珍しい国であることは確かです。
私は、アンドラ公国発行の切手のセットを買い求めました。
スケッチは、この国の政治の中心(?)であるカウンスルを側面から描いたものです。公国の国旗がなびいています。

アンドラ公国カウンスル


(2)アイゲス公園の渓谷を遡る(07/29)
国立公園の名前が長いので、アイゲス公園とよぶことにします。
宿泊のホテルからボア谷を車で上流へ、ロマンが私たちのバンをリベラ・デ・サン・ニコラウまで運転し、ここから4輪駆動のジープをチャーターして乗り換え、登山口のプラネル・デ・サン・エスペリから歩き始めます。
渓谷を右に見ながら、爽やかに歩いていきます。いくつかルートがありますが、私たちは川に近い低いルートをとりました。湿地帯もありますが、木道が整備されています。ジョシーによると、車椅子のためだそうです。なるほど、木道は幅も広いし、完全にバリアーフリーになっています。
全体としてゆるやかに登るうち、2時間ほどで避難小屋のあるところに着きました。その先を少し登って越すと、今日の目的地エスタニー・ロングという湖です。この美しい湖のほとりで、用意したパックランチを頬張りました。

下りは、別の道を通りました。そして、登りのときジープで来た距離も歩いて下ります。見事な滝がいくつもあり、そのそばを通って下ります。
下るほどに、面白さが減じてきます。例えてみれば、横尾から梓川沿いに上高地へ下る感じとでも言えば想像していただけるでしょうか。





途中1箇所、面白いところがありました。面白い、といっては失礼なのでしょうが、見捨てられた小さな廃村の中を通りましたが、そこにもちゃんと教会があったということです。上の写真がそれで、素朴ななかにも見事なまでの美しさを保っているのがご覧いただけると思います。もちろん、今は使われていません。

降りは、3時間を要しました。
登り降りとも、私にとっては少しばかりスピードが速すぎる。同行のT氏と、これはどのくらいのスピードで歩いているんだろうか、と話しながら下りましたが、T氏は、時速4キロ以上ある、5キロ近いかもしれない、と言います。私もそのように感じました。
その夜、ガイドのロマンに「もう少しゆっくり歩いてくれ」と頼みました。

車に乗り、今日予定の宿泊地ベナスクへと向かう途中、世界遺産に指定されているタウルのサン・クリメント教会に立ち寄りました。お金を払えば、鐘楼の天辺まで登ることができます。
明日は一日、トレッキングのため、ベナスクのホテルに連泊です。

(3)アネト山を望む(07/30)
今日のトレッキングの目的は、ピレネー山脈最高峰アネト山(標高3,404m)を間近に見る地点まで登ろうというものです。どこまで行けるか。

ロマンの運転する車で登山口パランサ・デ・レムニェまで行き、9:15に歩き始めました。湿原をしばらく進んだ後、小高いところに出ますが、その下は涸れた大きな池です。スペインは、今年、雨が非常に少ないとのことですが、そのせいでしょうか、水が涸れてしまっています。
涸池の淵を回り、あと急な登りと平坦な道を繰り返しているうち、小屋のある賑やかなところに出ました(10:40)。小屋の看板にラベスルタ 1920m(標高) とあります。何のことはない、ここまでバスが来るのです。バスが着いて、大勢の登山客が降りてきました。

私たちは立ち止まらずそのまま歩き続けるうち、ひろびろとした牧場に出ました。ここでしばらく休憩です。アネト山をはっきりと望むことができます。私は早速、スケッチ帳を取り出しましたが、時間がない。お恥ずかしい絵ですが、ご笑覧に供します。

アネト山を望む




更に進み、乗越地点バレタ・デ・レスカレタ(標高 2,200m)まで来ましたが、ガスが出てきて、まったく展望が利きません。おそらくもう晴れることはないだろうということで、ここから引き返すことにしました。
先ほど休憩した牧場まで引き返し、昼食にしました(13:30)。
登山口に降り着いたのが、4:30。ホテルに着いて、市内を散策しました。

(4)渓谷を遡行する(07/31)
今日は、車で西に移動し、オルデサ/ペルディド山国立公園内のベロス谷を遡行します。この公園はピレネーの中央に当たり、深いカルスト渓谷と怪異な高い岩壁が特徴です。
登山口に着いたのは、既に10時を大分まわっていました。かなりの水量で、激流と大きな滝があるかと思うと、広い川床に澄んだ清らかな水が広がり、この暑い最中、ちょっと泳いでみたくなります。
案の定、「遊泳禁止」の立て札が立っています。帰りのことですが、子どもを含めて何人もの人がここで水浴びしていました。

1時間ほど歩き、標高1200m地点で休憩、更に2時間歩き、1400m地点まで来たとき、かなり疲れているように見えたのでしょう。マウンティンガイドのロマンの判断で、予定のリパラタを前にして引き返すことになりました。

長いドライブののち、ハカのホテルに着きました。この夜は殊に話が弾み、飲めない人が多いにもかかわらず、みんなで赤ワインを2本も空けてしまいました。
そして、国境を越えてフランスとの稜線を歩いてみたい、という私たちの希望を入れて、明日午前中、ロマンが案内してくれることになりました。山の案内と車の運転を兼ねるロマンは、いくら若いとはいえ大変だったろうと思います。心から感謝しています。

(5)フランス国境を越える(08/01)
朝、目覚めたとき、あまりいい天気ではないように思いました。いろいろ議論がありましたが、一応予定通り、フランス国境の山を目指すことになりました。
ロマンの運転で昨日来た道を途中まで引き返し、更に北上します。車は大きなダム湖のほとりを通過して、更に国境のエル・ポルタレー峠を越え、フランス領に入りました。

フランス領の山、ピク・ドゥ・ミディ・ドサウに少しでも近づこうという積りですが、歩き始めて30分、早くもみぞれ交じりの雨です。雨具を取り出し着けてしばらく行きますが、雷が鳴りはじめました。
これでは危険、ということで直ちに引き返すことになりました(これまでのところ、山行はすべて途中で引き返すばかりですが、やむを得ません)。
車に乗っての帰り、高い山に新雪が積もっているのが見えました。

ハカへ引き返し、これからしばらくはサンティアゴ巡礼の道を歩く予定です。

(6)エウローパ山麓トレッキング(08/03)
ピコス・デ・エウローパは、2000mを超す山々が連なるカンタブリア山脈中の最高峰山群です。
昨日、サンティアゴ巡礼の道から外れて北上し、おそろしく急角度で上るケーブルカーとその後の約1時間の歩行を経て、フェンテ・デの山上のホテルに宿泊していたのでした。

朝早く起き出して、朝焼けを撮り、スケッチもしました。絵の中に遠くに見える赤い屋根は、スペイン国王の別荘とのことです。
T氏は、夜中に起きて空を見上げたら、澄み切った夜空に天の川が素晴らしかった、と言って皆を羨ませがらせました。





ホテル前の山塊


8:30朝食、9:00集合、ジープに乗り登山口まで、登山口のブエルトーナから登りはじめます(9:40)。
初めはなだらかな車道ですが、ややあって急登の登山道となります。ガレ場で、草木はほとんどありません。雪渓もいくつか渡ります。やっと登山の気分になってきました。
先に、巨大なドームが見えます。

歩き始めて2時間あまり、予定の乗越ホルカドス・ロジョス(標高2344m)に着きました。素晴らしい展望です。南にカンタブリアの山群、北にエウローパの峰峰(残念ながら、もう少し上らなければ最高峰は見えません)、その先がカンタブリア海だというのですが、それは見えません。
満足して、もと来た道を降ります。登山者が続々と登って来ます。いろんな言葉で挨拶が飛び交います。

しばらくして分岐点(エウローパ山の頂上近くの雪渓への直登路?)で、目の前の草地を登ると、その上は大きな一枚岩の絶好の休み場所です。
ここで昼食にしました。

目の前に大きなドームが見えます(高さ700mとのこと)。ペニャ・ビーヤとよばれ、「年老いた岩」という意味だそうです。
ロマンの指差すところをよくよく見ると、そのドームの一つのローソク岩をロッククライマーが登っています。金具がときどき日にあたってきらりと光ります。私たちが食事している間に、遂に登頂に成功しました。

昼食後、今度はホテルまで歩いて帰りました。3:30頃帰着、休憩時間もいれて、約6時間のトレッキングでした。
ホテルに着いて、早速飲んだビールが何物にも代えがたく美味しいものでした。

明日からまた、サンティアゴ巡礼の道に復帰します。



スペインの名も知らぬ花々


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8.妙高ピストン登山(2005/09/13)

8月末に、黒姫高原での学会の研究会に出席したついでに、燕温泉から妙高山にピストン登山してきました。
心積もりでは、復路は大倉(燕新道)ルートを帰りたかったのですが、うかつにも妙仙吊橋が落ちていて渡れないということを現地に行ってから知り、往路を引き返すことになりました。

いもり池から望む妙高山


8月31日、燕ハイランドホテルから車で、すぐ近くの燕温泉街下まで行き、無料駐車場に駐車。
5:20登山開始。温泉街を通り過ぎ、石段を上って薬師堂の前から舗装された道を登り、昨日わざわざ入りに来た天然野天風呂「黄金の湯」の辺りまで来たとき、はたと疑念が湧いてきました。
もしかして、車のライトをつけっ放しにしているのではないかと。心配で、大急ぎで引き返しました。ちゃんと、消していました、やれやれ。
だから、正しくは5:40スタートとなりました。

よく整備された赤倉温泉管理道路を進むうち、やがて管理小屋に着きました。ここに水場があり、冷たい水がこんこんと湧き出ています。
付近に温泉の源泉がいくつかあり、勢いよく蒸気を吹き上げているのに、こんなにすぐ近くに冷水が湧き出ているなんて本当に不思議な気がします。

北地獄谷を遡行するうち、光明滝が見えてきます。上のほうに、称名滝も見えます。どちらも岸壁の色は赤茶けており、これらの滝が温泉水であることを表わしています。



光明滝頭のそばを通り、左岸を見れば麻平への分岐も閉鎖されています。吊橋が落ちているためです。
石のゴロゴロした河原は実に歩き難い。水の流れを2回渡ります。橋がかかっているわけではないので、増水しているときはきっと大変だろうと思います。

道は、左手支流に入ると、「胸突き八丁」と書いた立て札があり、これを苦労して登りきると、天狗堂です。池の平、新赤倉からのルートとの合流点です。ちょっと休もうということになりましたが、蚋やら小虫がいっぱい飛んできて、うるさい。早々に退散、また歩き始めます。
光善寺池に着き、さていよいよ急登の始まりです。



登りはきついけれども、振り返れば、北アルプスの北から南までずーっと見渡すことができます。前方には、妙高も見えてきました。
やっと、クサリ場に着きました。かなり急ですが、足場がしっかりと刻んであり、問題なく登ることが出来ます。






笹やダケカンバのなかの道を急登すると、あっけなく頂上(南峰、標高2454m)に出ました。9:50でした。
360度の展望です。快晴ではありません。高雲もあり、眼下には雲海もありますが、実に素晴らしく展望のきく幸運に恵まれました。遠く、富士山も見えます。笠雲がかかっているのが分かります。
ここで、昼食を取りました。三角点は、ここよりやや低い北峰にあります。その向こうに、火打山、焼山が見えます。空身で北峰まで往復してきました。

10:30下山開始。来た道を引き返します。






燕温泉に着いたのが、13:45。
薬師堂下のお店の自動販売機で買って飲んだコークのおいしかったこと。 車に乗って、昨夜宿泊したホテルまで下って温泉を使わせてもらい、さっぱりした気分で上越道経由で山荘まで帰りました。

この山は、登りはじめると登りばかり、下りはじめると下りばかり、アップアンドダウンのまったくない、"効率的”登山のできる山です(標高差1350m)。やっと頂上かと思ったら、その前のニセ頂上だったり、そういうことはありません。

いろんな人から、この山の隣の火打山の花の美しいことを何度も聞かされました。来年は花時を選んで、きっとこの火打山に登ろうと決心したことでした。

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9.初冠雪の木曾駒ケ岳(2005/10/28)

10月24日、木曾駒ケ岳に登ってきました。
22日に寒冷前線が本州を南下し、新潟県辺りでは大雨が降ったということで、本州の高い山々は雪に覆われるであろうことは十分に予想されました。現に、23日の朝のニュースでは浅間山の初冠雪を報じていました。
木曽駒は標高2956mで、中央アルプス最高峰ですが、ロープウェイを利用すれば、その終点、千畳敷駅から、足で登るのは標高差僅か350mほどです。

駒ヶ根の「菅の台バスセンター」から一番バス7:20発に乗り、「しらび平」でこれまた朝一番のロープウェイで、軽々と2612mの高地に立つことができます。
降り立つと、一面の雪景色です。しかも、千畳敷駅前は、前日の日曜日が好天気だったせいか、多くの人たちの踏跡でテカテカに凍っており、滑らないように注意して歩き始めます。8時半です。

絶好の登山日より。千畳敷カールはすっかり落葉しており、ナナカマドの見事な紅葉はもう見ることはできません。その代わり、それらの木々や岩などに吹き付けられた霧氷が実に見事です。一面に白い花が咲いているかのようです。
澄み切った空の、左手の方には下弦の月が白く輝いています。

八丁坂の急坂を足元に注意しながら登っていきます。氷雪の道で、とても滑りやすい。9時ごろ、浄土乗越に着きました。

雪の宝剣岳と天狗岩


左手に宝剣岳(標高2931m)、右手に中岳(2925m)、その向こうに駒ケ岳が見えています。宝剣はゴツゴツした岩塊の集まりでいかにもアルペン的、駒ケ岳の方はなだらかな優しさをみせ、対照的です。
宝剣山荘横から中岳を目指します。この辺りまで来ると、さすがに踏み跡は少なくそれほど凍ってはいないので歩きやすい。中岳を上り下り、またしばらく登ると駒ケ岳頂上です。途中、宝剣岳のほうを覗いたりしたので、頂上に着いたのは、10時過ぎでした。

素晴らしい展望に、しばし言葉がありません。東から南にかけて南アルプスを全山にわたり見渡すことができます。その向こうに、富士山がくっきりと見えています。富士山はロープウェイを降りたときから見えていましたが、ここまで雲に隠れることはありませんでした。

南アルプスとその向こうの富士(ロープウェイ千畳敷駅から)


木曾駒ケ岳頂上にて

西を見れば、御嶽山、その右手は乗鞍岳のはずですが、ここだけは雲がかかっています。
さらに右手、北方に穂高が見えます。その後に槍ヶ岳のはずですが、これは見えません。

空は必ずしも快晴というわけではなく、高雲がありますが、山々は見事に見渡すことができます。これほどの展望を楽しむことができたのは、久し振りです。
祠を囲む石垣の陰で風をよけながら、昼食を摂りました。そのとき、頂上には20人ほどの人たちがいたでしょうか、それぞれ展望を楽しんだり、写真を撮ったり、食事をしたりしていました。

名残惜しい思いをしながら、11時過ぎに頂上を後にします。
下りで、今朝バスやロープウェイで一緒に上がってきた若い人たちのグループに行き合いました。聞けば、宝剣に登ってから来たとのこと。「怖かった」と、口々にいいます。岩伝いにクサリ場もあるところに雪が積もっています。
アイゼンを持たない私たちにはとても無理です。来るとき、登りかけて止めたのはやはり正解でした。この屈強の若者たちが「怖い」というのですから。もう諦めて、ロープウェイ駅へ直行することにしました。

霧氷が太陽に照らされて、キラキラと輝いています。千畳敷カール一面、輝き渡っています。奥のほうの岩塊にへばりつくような木々までもが輝いています。
それは、それは、美しい眺めでした。来た甲斐がありました。







ロープウェイ千畳敷駅発12:50、しらび平発バス13:10で帰ってきました。
ロープウェイから見る岩壁とその間を流れ落ちる幾筋もの見事な滝の連続、バスの窓から眺めた全山の紅葉、いずれも見事なもので十分堪能することができました。

しかし、やはり千畳敷カールの紅葉と宝剣岳は心残りです。来年を期したいと思います。



10.早池峰・岩手山の山旅(2006/08/13)

(1)8月6、7日と早池峰・岩手山に登ってきました。私としては初めての東北山行です。
前日の5日、中尊寺を見学してきた仲間たちと花巻駅で午後2時に落ち合い、早池峰行きバスで峰南荘へ。
峰南荘はレストハウスということですが宿泊できます。なんと、24.5畳敷きの大部屋に男女取り混ぜ4人が宿泊です。それはいいのですが、窓からいろんな虫やら蚊やら飛び込んできます。しばらくはハエ叩きなどを持って総がかりで退治に専念。
しかし、嫌なことばかりではありません。夜になると、ホタルまで飛んで来て私たちを喜ばせました。

夕食までは時間があるので、早池峰神社にお参りしました。なかなか由緒ある立派な神社で、境内も広い。なかに、「岳妙泉寺築地塀跡」と書かれた木造の碑があり、神仏習合の名残かと推測したりしたことです。
そういえば、この神社前に民宿が何軒かありますが、以前は参詣する人たちのための宿坊だったそうです。
早池峰神社から早池峰山をスケッチしました。

早池峰神社から早池峰山を望む


翌6日(日)、小田越までのシャトルバス、1番バス5:30発に乗ります。荷物は最小限に、あとは宿に預かってもらい、帰りに回収することにしました。
このシャトルバスも、ここまで私たちが乗ってきた花巻発のバスも、盛岡発のバスも、今日が今年最後の運行です。皆さんお目当てのハヤチネウスユキソウのシーズンが終わるからです。

リーダーのI氏の考えから、急遽、計画を変更して、河原の坊から登ることにします。河原の坊コースは岩地と石塊で下りが大変との情報で、このようにしましたが、標高差では小田越コースより200m余分に登らなければなりません。
コメガモリ沢の渡りを繰り返し、しばらく行って朝食です。ガスコンロでお湯を沸かし、私は味噌汁にお握り、コーヒーもいただきました。私は山でお湯を沸かしたりすることは滅多にないので、これが大変なご馳走でした。

早池峰登山道からの薬師岳(1645)



頭垢離から沢を離れ、岩地の急坂を登ります。
お目当てのハヤチネウスユキソウも群れをなし、あるいは1輪だけ孤独に私たちを出迎えてくれます。
リーダーの適切な定期的休憩宣言で疲れ知らずで、鎖場も無事に過ぎ、早池峰山頂(標高1917m)に着きました。
頂上は岩塊・巨岩が群れ、奇怪な景色の中に早池峰神社奥宮が祀られています。ここでまた、お湯を沸かし、豪勢なお昼です。食事の準備は仲間に任せ、私は、といえば早速、スケッチです。

早池峰山頂にて


写真は頂上直下に建つ避難小屋です。
ゆっくり展望を楽しんで、いよいよ下りです。お田植場の木道をしばらく行くと、大きな一枚岩の上にかかるハシゴ場に差し掛かります。五合目あたりから傾斜もゆるくなりますが、何しろ蛇紋岩が滑りやすい。注意して下り、間もなく小田越登山口に到着。

小田越からシャトルバスで峰南荘へ、そこに預かってもらった荷物を詰め替え、、盛岡行きのバスを待ちます。このバスは盛岡駅直通です。盛岡駅からタクシーで、明日の岩手山登山口・網張温泉に向かいました。
温泉でゆっくり汗を流し、明日に備えました。それにしても、東北の山とは思えないほど、暑い一日でした。

(2)8月7日(月)、今日の目標は岩手山です。
今日は不急の荷物を宿に預かってもらうというわけにいきません。ここ網張温泉(岩手山西側)から馬返(東側)へ縦走するからです。
全行程、10〜11時間という計画なので、寄る年波を感じる私としてはいささかの不安がありますが、そうも言っていられないので、頑張るしかありません。

朝6時少し前に宿を出発、目の前にリフトがあります。第1、第2、第3リフトと利用すれば、高度差約500mほど稼げますが、残念ながら運行開始は午前8時から(休日は7時から)です。
リフトを横目に、歩き始めます。日が差してきますが、さいわいに木陰続きで、その点は助かりました。
犬倉分岐手前の第3リフト終点で一休みしていたら、リフトが動き始めました。負けてはならじ、と私たちも休憩もそこそこに歩き再開です。

犬倉分岐、姥倉分岐を越えて、黒倉山の肩から切通しに差し掛かると、完全に樹林帯を抜け、火山特有の硫黄の匂いが鼻についてきます。雪かと見間違うような硫黄の堆積も見られます。このあたりは、2年程前まで火山活動のため、登山が規制されていたとのことです。

切通しからはお花畑コースを行くことにしました。別に、鬼ヶ城という岩場コースがありますが、お花畑コースを歩きながら、あちらにしなくてよかったと思うほど峨峨たる山並みコースと見受けました。
お花畑に出ました。東北の山は実に高山植物が豊富です。同行仲間の女性たちは、お花にずいぶん詳しい。でも、名前を聞いても私はすぐ忘れてしまう。
花々を楽しみながらゆっくりと逍遥、といいたいところですが、下山時刻が定まっていて、それが気になり、急ぎ足で通り過ぎます。

お花畑から急登、山頂と鬼ヶ城の間の広い鞍部、不動平に出ました。
そこの避難小屋に荷物を置いて、空身で山頂まで高度差約200mを往復することにしました。ザレ地の急坂を登りますが、これが実に歩きにくい。2歩登っては1歩ずり落ちるという感じで、やっとの思いで外輪山の山稜に出ます。
石仏が点々とおかれた山稜を左にたどり、コマクサの群生を楽しみながら、最高地点、薬師岳(2038m)に登頂。

展望を楽しむ間もなく、直ちに下ります。登りに苦労したザレ地は実に快適。砂走りで一気に下ります。
再び荷物を背負って、柳沢コースを馬返しに向かって下ります。八合目避難小屋(シーズンには泊まることもできます)で、しばし休憩。そこで飲んだ御成清水(湧水)のうまかったこと。水筒にも満たし、下山再開。
いよいよ恐怖の急坂下りが始まります。岩と石と砂の急坂を滑らないように足元に注意しながら下るので疲れてしまいました。四合目あたりまでこれが続きます。低木林帯に入って階段の道になったりしますが、傾斜は依然として急です。

I氏は、計画的に休憩を取ってくれるのですが、3、4分もすると、「さあ、出発」とつれないこと。でも、今日中に横浜まで帰らなければならない私の時間を気遣ってのこととわかっていますから、わがままを言ってもいられません。
やっとの思いで馬返しに到着したのは、午後4時半を過ぎていました。
道々、たくさんのトンボが舞い始めており、既に秋の気配いっぱいでした。

山行時間は合計11時間弱、休憩時間を除けば、正味歩行時間は約10時間ということになります。それも後半はかなりの速足でしたから、私にとっては久し振りのきつい登山ということになりました。
しかし、I氏を始め仲間たちのお陰で、2つの東北の山を登れたことは幸いでした。

I氏は実に綿密な計画を立てる人で、その計画はほぼ10分刻みにスケジュールされており、休憩も定期的にきちんととります。全行程が頭に入っており、行動中は地図も案内書も見ることはありません。
「すごいですね」というと、計画時点で「行程を何回も頭の中でシミュレーションする」といいます。
彼は、一度の山行で3回楽しむことができる、といいます。最初は計画を立てるとき、次に実際に山に入って行動するとき、そして3回目は帰って山行の反省やら写真の整理やらで楽しむ。実に幸せな人ですね。

馬返しからタクシーで盛岡駅へ、私は東北新幹線で東京へ、他のメンバーは明日の栗駒山登山のため一関まで。
というわけで、盛岡駅でお別れしました。楽しい山行のできたことを仲間たちに感謝しつつ、新幹線車内でビールを飲み干しました。うまかった。





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