留学日記5
帰国準備 (1971/01/03〜02/07)

1月3日
今後の計画
・カーター教授に会う (Advanced Statisticsについて質問)
・カーガー教授に会う Special Topics について相談
・レジストラーに、修了条件の確認
・フォーリン・アドバイザーに、I-20の確認
・01/30     冬学期終了
・02/01〜02/02  NYCへ土産物買いに、旅行会社でメキシコ旅行の計画とビザの申請
・02/03〜02/04  帰国荷造りと発送
・02/05〜02/19  Special Topics論文のためのデータ集め
・02/20     NYCへ、ジャッフェ博士に会う
・02/21〜02/25 メキシコ旅行
・02/27     ロスアンジェルス発ホノルル行き
・02/28     ホノルル発
・03/01     羽田着16:20

――結局、この計画通りにはいかなかった。メキシコ旅行は取りやめ、Special Topicsのためのデータ収集と原稿書きに追われたからである。
Special Topics in Management(経営学特殊講義)は、カーガー教授の強い勧めで履修することになった。私が苦労しているのを見かねて助舟を出してやろうと思ったのか、頼りなさそうなのでかわいそうに思ったのか。とにかく、彼が個人指導してあげるというこことで、受講者は私一人。テーマは、「研究開発管理の日米比較」である。

しかし、冬学期終了までにうまくまとまりそうになく、今学期はIncomplete にしてもらい、来学期再履修ということになった。といっても、私自身は日本に帰国してしまうので、太平洋をはさんで手紙でやり取りしようということになった。私が原稿を書いて送る、カーガー教授がそれに加筆修正、あるいはコメントして送り返す。それを何回か繰り返して5月までに論文としてまとめる。私としては、これが修士論文のようなものだ。

今学期履修中のAdvanced Statisticsの単位がとれ、この論文がパスすれば、マスター(MS)の称号を得ることができる。というわけで、留学期間延長は1ヶ月だけ勤務先の大学にお願いすることで済み、帰国することになった。

このSpecial Topics in Managementで書きあげた論文は、のちにカーガー教授(Delmar Karger)との共著という形で、‘Managing R&D in Japan’ というタイトルのもとにManagement International Review (Vol.12 No.1) 1972に掲載された。
カーガー教授との交際はその後も続き、この論文の続編 ‘Managing R&D in Japan Revisited: The 1970 Decade’が、同誌Vol.14 No.2 (1974) に掲載された――

1月5日
今日で、クリスマス休暇も終わり。
冷静に考えてみれば、いろいろな人がいるなかで、私のような人間もいるということだ。
もうどんなにあくせくしても、なるようにしかならない。

1月20日
あと一日で、冬学期の授業も終わり。
嫌だ、嫌だ、といいながら、結局、お前はやる気でいた。一瞬、一瞬、イヤだ、イヤだ、といいながら、結局はこれからもやるだろう。

1月21日
授業は終わった。もう、クラスに出ることはない。
テストが終われば、あとは論文を書くだけだ。
愛用してきたレミントンのタイプライターは、ボブにプレゼントする約束だ。彼は、このRPIでMSがとれたら、私立ニューヨーク大学(NYU)に移ってPhDをめざすという。
――事実その通り、彼はめでたくPhDを取得し、ブラジルの大手金融機関に就職して、長年勤務してきた。つい最近まで交友を続け、会うことはかなわなかったが、毎年、クリスマスカードを交換したり、時に電話で話したりした――

1月30日
Advanced Statisticsの期末テスト。
思えば、長い1年だった。

1年間の総合成績の見込み
A 4(Advanced Statisticsも含むとして)
B 4
C 1
あと、Special Topicsが未定だが、論文が期日までに完成さえすれば、おそらくA。
これで、マスターは取得できることになる。
――5月初旬にカーガー教授に論文を提出し、A評価を得た。Advanced StatisticsもA。7月初旬に、RPIからMaster of Science in Managementの学位記が郵送されてきた――

2月7日
あと3週間足らずで、サチや子供たちに会えると思うと、嬉しくてたまらない。
トロイに来てから、ちょうど1年経った。ダウンタウンから大学への、あの雪の坂道を登りながら、何回帰る日のことを待ちわびたことか。
ちょうど6カ月たった時のこと、暑い夏の日差しの中をスーパーに買い物に歩いて行った。草いきれのむんむんする匂いは、田舎の夏を思い出させた。やっと6カ月たったと思った。あと6ヶ月頑張ろうと思った。

今日は朝から雪が降り続いている。6インチも積もるそうだ。
帰国すれば、何もかも懐かしく思い出されるだろう。
もう一度訪ねてみたいと思うに違いない。
おそらく5年経っても10年経っても、この辺りはあまり変わっていないだろうと予言できる。日本の方が、特に「たまプラーザ」や福山の方が、ずっ〜と激しく変化しているだろう。

アメリカに来て、このまま帰って悔いを残すことはないか。
そりゃ、いっぱいある。・・・・・・・・

でも、私にはこれしかなかった、これしか方法はなかった、といえる。
何か一つつかむとすれば、これしか(マスターをとるしか)なかった。

要するに、お前は自分という人間がどの程度のものか、よく分かっただろう。これだけ急激な環境変化を与えられて、それでも自分の本質はそれほど変えられなかった。


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